ひょっこりと時間ができたのと、水曜日のレディースディということもあって、久しぶりに映画館で映画を見てきました。
9/11で大好きなお父さんを亡くした少年の1年後を描いているこの映画。
父親が亡くなったという事実を受け入れられずにいた少年が、偶然みつけた鍵が父からのメッセージなのではないか、と、袋に書いてある「ブラック」という文字だけを頼りに、なんの鍵かを探し出す行動が主軸です。
探し出す間に出会うさまざまな人たち。
なかなか見つからないあせり、あきらめ、苦痛。
最後は、「こういうメッセージだったのか」と父の愛の深さを感じさせられつつ、成長した少年のカットで終わります。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ぐいぐいと引き込まれてしまい、あっという間の2時間でありました。
母、祖母、それまで会った事のなかった祖父、鍵を探しながら出会った人たち………。ほんのワンカットしか出て来ない人であっても、丁寧に描かれていることで、それぞれの人たちの背負っているものを感じずにはいられません。
9/11の1年後。ワタシもNYに行っていました。グランドゼロももちろん。教会のフェンスに無数に付けられているメッセージや写真。あのときの状況が思い出され、さらに、去年の震災から今年にかけての震災に会われた方たちのことも思い浮かべられ、胸がつまされる思いでした。
理不尽に終わらされた命。
残された人たちの、どうしようもなくやるせない思い。
少年に対する父の愛情が深ければ深いだけ、父の不在の喪失感から抜け出せずにいたのでしょう。
そんな少年を見守る母の愛もまた、素晴らしいものでした。
少年の「鍵を探す」という行動を、じっと見守る、ということがどれだけ大変なことか。
でも、少年が自分の意志で、自分の力で、見つけ出すことの意味を理解していたからこそ、心配な思いを押さえながら、少年が納得いくまで、口を出さず見守り続けたのでした。
そして、それは、亡くなった夫の教育方針でもあったのです。彼女もまた、愛する夫を亡くしたどうしようもない悲しみを感じながらも、夫の意志を受け継いだのです。
まだ消化しきれていない状況です。
あまりにも膨大なメッセージに、気持ちがあちこちいってしまいます。
時を空けて、もう一度見てみたい映画です。
体の細胞のひとつひとつに、ゆっくりとしみこませて行きたい。そんな映画でした。
9/11で大好きなお父さんを亡くした少年の1年後を描いているこの映画。
父親が亡くなったという事実を受け入れられずにいた少年が、偶然みつけた鍵が父からのメッセージなのではないか、と、袋に書いてある「ブラック」という文字だけを頼りに、なんの鍵かを探し出す行動が主軸です。
探し出す間に出会うさまざまな人たち。
なかなか見つからないあせり、あきらめ、苦痛。
最後は、「こういうメッセージだったのか」と父の愛の深さを感じさせられつつ、成長した少年のカットで終わります。
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ぐいぐいと引き込まれてしまい、あっという間の2時間でありました。
母、祖母、それまで会った事のなかった祖父、鍵を探しながら出会った人たち………。ほんのワンカットしか出て来ない人であっても、丁寧に描かれていることで、それぞれの人たちの背負っているものを感じずにはいられません。
9/11の1年後。ワタシもNYに行っていました。グランドゼロももちろん。教会のフェンスに無数に付けられているメッセージや写真。あのときの状況が思い出され、さらに、去年の震災から今年にかけての震災に会われた方たちのことも思い浮かべられ、胸がつまされる思いでした。
理不尽に終わらされた命。
残された人たちの、どうしようもなくやるせない思い。
少年に対する父の愛情が深ければ深いだけ、父の不在の喪失感から抜け出せずにいたのでしょう。
そんな少年を見守る母の愛もまた、素晴らしいものでした。
少年の「鍵を探す」という行動を、じっと見守る、ということがどれだけ大変なことか。
でも、少年が自分の意志で、自分の力で、見つけ出すことの意味を理解していたからこそ、心配な思いを押さえながら、少年が納得いくまで、口を出さず見守り続けたのでした。
そして、それは、亡くなった夫の教育方針でもあったのです。彼女もまた、愛する夫を亡くしたどうしようもない悲しみを感じながらも、夫の意志を受け継いだのです。
まだ消化しきれていない状況です。
あまりにも膨大なメッセージに、気持ちがあちこちいってしまいます。
時を空けて、もう一度見てみたい映画です。
体の細胞のひとつひとつに、ゆっくりとしみこませて行きたい。そんな映画でした。