電車に乗っていて、駅に着いて扉が開いたとき、向かい側で「大丈夫ですか?」と声がした。ふと目をやると50代くらいの男性が目を閉じたままシートからずり落ち、隣の人にもたれかかってている。もう一度大きな声で呼びかけられていたが、反応がない。自分はあわててホームに半身を出し、手を振って乗務員らしき人を呼びつけた。現場を確認すると、
「少しお待ちください」
そう言って係員は一度その場を離れた。その後も何人かの係員が状況を確認にやって来た。そういえばと思い立って救急車は呼んだか訪ねると、すでに要請したとのことだった。
依然意識のない男性は規則的にやや大きないびきをかいているように聞こえる。果たしてこれが息をしているということなのか、自分には分からなかった。後に調べて分かったことだが、これは「死戦期呼吸」の一種で、かなり危険な状態らしい。顔に目を向けると口の端から少し泡をふいているのが分かった。これで素人目にも危険な状態であることは明らかだったが、自分にはどうしてもいびき状の呼吸らしきものが気にかかった。胸骨圧迫をするべきかとも思ったが、息をしているとすれば心臓は動いているということだろうし、そんな状態で胸骨圧迫をすればますます危険な状態になるという懸念は拭えなかった。
自分は判断を機械に委ねようと、AEDを持って来るよう係員に頼んだ。結局要救助の男性には何もしないまま時間だけが過ぎた。
「心臓動いてます?」
乗客のひとりがそう呟いた。しかし自分を含めてその場にいた誰もその問いに答えることは出来なかった。今思えば脈をとるくらいは出来たはずなのだが、あの時は焦ってしまい考えが至らず、出来なかった。
やがて4,5人の係員が担架とAEDを持って戻ってきた。
「AED使いますか?」
係員のひとりがそう言った。
別の係員が、
「担架で運ぼう。頭持って…1,2の3!」
と言うと、男性は担架に乗せられ、ホームに降ろされた。
その後も、
「横向きに…回復体勢にして」
とか言っていたところをみると、係員も意識はないが呼吸はあると思っていたようである。男性はそのまま担架で運ばれていった。
この頃になると救急車のサイレンが聞こえたので、恐らく男性はそのまま救急隊に引き継がれたであろう。長い時間がたっていた気がしたが、7~8分の出来事だったようである。
男性のその後については知る由もない。ただ今になって思うことは、男性の状態は当時の自分や周りの人が思っていたよりもずっと危険な状態だったようだということである。自分があの時すぐに「これは間違いなく呼吸でなく死戦期呼吸だ」と見抜けていたら、そしてその状態がどれほど危険なことなのか知っていたら、すぐに救命措置をとらなければならないと判断できたはずなのに。あの時の行動が後に生死を分けたかもしれないと思うと今でも悔やまれる。
ないほうが望ましいことではあるが、次にまたこのようなことがあったとしたら、今回とは違った行動をとってみせると決意する。

