優しい人じゃないよ。
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なにがあろうとも

あっつです




先日学生時代のものを片付けていたときに、とんでもないものを見つけました。

友人への手紙です。




その友人とは幼少期からの付き合いで、相手の引越し後文通をするようになりました。

最後に手紙を受け取ったのは専門学生のとき。大学にその後入学し、手紙をだしたつもりでいたのですが、だし忘れてしまったようです。

完全にわたしの落ち度。弁解のしようもない。





連絡がつかなくなってしまったとずっと思っていて、なにかしてしまったのかなと思っていましたが、まさか手紙をだしていなかったとは思いませんでした。

相手に悲しい思いをさせてしまったかなと思うともうなんとも言えない。

今更と思いつつ手紙を送ってみたのですが、届くことはありませんでした。メールももう届くことはありません。なんてことをしてしまったのだろう。

自分でやってしまったことなのにとても悲しい気持ちでしかないです。





ねぇ、元気でやってますか。

その節はほんとにごめんなさい。

またどこかでお会いしたいです。




でわまたの


なんだっていつも

あっつです



別れとはいつも突然なものでして、お別れをしました。
ただ、まだ実感がないもので、次に地元帰るときのお土産も、好きそうなものを探してしまう。
あ、これ好きだって言ってたな。
あ、これ気に入りそうだな。
そして、ふと、あ、もういないんだったな、と気づくのです。




思えば昨年の7月。ばあちゃんの一周忌。
届いた連絡は信じ難いものでした。
少しだけ人よりも詳しい内容の話に、自分の持ってる知識が間違いであればいいと何度も思いました。

でもそんなことはなくて、思い出をたくさん作ろうという状況。

考えればいちばん帰省した一年でした。

顔出しに行ったり、旅行に行ったり、ドライブに行ったり…。

一緒にやりたいことなんて、やってもやってもなくなることなんてなくて、未来の約束を何度もしました。いつも笑顔でいる叔母を見て、長く生きられるんじゃないかなって思ったりもしました。





次の帰省を一週間後に控えたあの日、親からの連絡に心臓が嫌な音をたてました。

早く帰ってきた方がいいとの話に、休みをもらって帰省。病院に着いた頃にはもう面会時間が終了する頃で、ほんのちょっとだけ顔を出しました。

「おぉ、あっつ!」

笑顔でわたしを呼ぶ声も顔もいつも通りなのになと思い、明日お見舞いくるから、と声をかけ一旦帰宅。

次の日は朝から介護用ベッドの搬入などバタバタではあったのですが、お見舞いに行くことに。

そこにいた叔母は前日とは全然違う姿でした。

わたしは怖くて怖くて仕方ありませんでした。

何か話しかければ、その手に触れてしまえば涙がこぼれてしまうと感じました。

たった1時間しかいられないのに、なにもできない1時間でした。

ほんとうに、何もできない1時間でした。

これが叔母とのお別れになってしまいました。





今でもまだそばにいるんじゃないかなって思います。

次の約束は、とも考えます。

でももう会えないです。

夢の中でいいから、会いにきてくれないかな。





でわまたの


気づいたら


あっつです



気がついたら年は明けてるし、職場は新体制です。
時間が過ぎるのが早い。歳とったなぁってかんじ。



さてさて。
つい先日お世話になった方が退職されました。
今回は前向きな退職なので、悲しくはないです。
ただ寂しいだけです。
ふとした瞬間に、あ、いないんだったな、ってなるかんじ。



連絡先も知ってるし、会おうと思えばいつでも会いに行ける距離にいるのだけど。
共通のものがなくなってしまった今、どうしても話は噛み合わなくなっていくのかな。
なんだか、ちょっとだけ寂しいな。



それに、優しい人だから、なにかと気にかけてくれてるのだけど、もうあまり甘えるようなことはしないようにしたいのです。
甘えるってことは相手に対して負担にしかならないからね。強く生きられるように自分がならないとね。
それがきっと今自分ができる、ここまでお世話になった恩返しになると思うのです。



新しくいらっしゃった方もいますし、きっといろいろと変わっていくはずです。
今年は何事もなく過ごせる一年になればいいね。



たのしみもすでに数件あって、いまからドキドキです。
母方のばあちゃんのお祝いもあるので、なにをしようか考えるだけでも楽しいです。
こんなご時世だけどもどこか連れて行ってあげられるかな、せっかくだしゆっくりできるところに連れて行ってあげたいな。



それでは今年もよろしくお願いします。



でわまたの

感情ジェットコースター


あっつです



大抵感情はなにかに常に揺り動かされるものなのだろうけど、大人はどうやってその制御ができるんでしょうか。
年ばっかりとってしまって、制御機能のアップデートが間に合っていないようです。



ひょんなことで腹が立ったり、ちょっとしたことで嬉しくなったり、些細なことでつらくなったり、受け流せそうなことで苦しくなったり。
誰かの何気ないひとことが天にも昇らせてくれるし、地にも叩き落としてくる。
誰かの何気ない行動に気持ちが昂ることもあるし、沈んでいくこともある。
こんなに感情って面倒くさいの?取扱説明書ないとやっていけなくない?
ただこれらは他人軸のためであって、自分軸だとそうはならないのかな。




自分の人生は自分のものやぞ、誰にも口出しされる必要はない、とは言えないのだけど。
たくさんいろいろと迷惑かけてるしね。



助けてくれようと差し伸べてくれた手にしがみつきたいのだけど、相手を引き摺り込みそうでとても怖い。
差し伸べてくれたと思った手を掴んだ瞬間、振り払われるのではと思うと掴むことはできない。
引き上げてくれるであろう手が見えているのに、それにつかまる勇気はない。



それなら自分で溺れないようにしないとね。
差し伸べてくれる手はいつまでもあるわけじゃない。
ひとりでも生きていけるようにならないとね。
いつか今度は自分が手を差し伸べられる側になれたらいいね。



でわまたの

言葉の引き出し


あっつです



歳をとったからでしょうか、言葉の引き出しにはいっていたはずのものがなくなっています。
数年前までは引き出しの中は常にいっぱいで、言葉が溢れるようにでてきたのに、いまはなにも入っていない。



言葉を発することってこんなに難しいことでしたっけ?



表現が合わないとか、そんなことじゃなくて、言葉が出てこない。
母国語話しているのに母国語じゃないみたい。
大切な言葉も、たくさんしまっていたはずなのに。
困ったなぁ、悲しいなぁ。
誰だい、かわりに必要のない言葉ばかり置いていったのは。自分か。



容量オーバーになってしまったときに、整理したものが大切なものばかりだったのかなぁ。
いつだって言葉の引き出しはきらきらしていたのに、大切な言葉をいっぱいつめていたのに、いまは空っぽだ。
もう拾いに行けないや。



少しだけ困っているのは自分を表現するための言葉を無くしてしまっていること。
自分の状況を説明する言葉も落としてしまったこと。
でてくるのは言葉のかわりに涙になってしまいましたとさ。
なんもめでたくないね、困っちゃったね。




それでも「大丈夫」とか「なんとかなる」とか、そんな魔法の言葉は落としてなかったのでまだ頑張れそうです。
まだ、大丈夫で、まだなんとかできるところで踏ん張ります。



でわまたの
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