昨日、東京から来たおばから「覚悟しといた方がいいよ」と。

覚悟とは、実母がちょっと様子がおかしいと感じたらしく、認知症を疑った方がいいんじゃないの?と。

うーん。確かに電話では時々話すものの、何年かに1回、もしくは年に数回(多くても2回とか3回ぐらい?)しか会わないおばにとっては「急激に」進んだ感じがしているかもしれない。

しかし、私や同居の兄は、「そのぐらいのことは今に始まったものじゃないよ」という感覚なのです。日常的に接していると、鈍るのか?それともそんなに気にしなくていいのか?

確かにね、奇行蛮行?の類いは、数年前に比べると増えた(苦笑)

一番著しいのはことばが出ないことですが。
出ないというか、何か一生懸命伝えようとしているけど、あれとかそれとか単語や固有名詞がぱっと出にくくなってるってのはある。
話も飛ぶし。
多分一見突拍子のない飛びかたをしているようで、頭の中ではどっかつながってるんだよね。でも、我々の感覚では「は?」と理解不能になってしまうんじゃなかろうかと思っています。

そんなとき、私は遠慮なく「なんの話?何いってるか分からない」と言います。容赦ないですね(汗)
だって分からないものは分からないんだもん。
でも、そう言うと「おお、そうか」という感じで一生懸命説明しようとして、ま、時間はかかりますが、大概、なんの話をしようとしていたか分かります。

時間をかければ大体の意思疏通は図れる状態です。
ただ、どうしてもそのテンポが、我々が日常的な感覚のそれとは著しくずれているので、イライラすることはある。

元々ネガティブ思考をするので、口を開けば人の悪口、不平不満ばかりで感謝の気持ちはひとかけらもないのか?と、聞いてる方がうんざりすることも多々。
かかわりかたのコツはあるんだろうけど、まだ学習には至っておらず。

おばの懸念は、薬を飲まなければならないのに、声掛しないと、飲んだつもりになって忘れていることがあるのと、思わぬところに乾物などの食料がしまわれていて愕然とした(でも、この場合は、昆布を茶筒に入れていたという類いで、茶筒が空いてたらいれないこともないなあと思わないでもないけど)妙な所にペンがしまわれている、など。

確かに、見せたいチラシを決まった所に置いてるはずなのにない、とか、ケータイが壊れたと騒ぐものの、なんてことない操作ミスだったとか(ケータイの操作は私だって分からないことばっかりだからこれもなんとも言えませんが)、音楽会のチケットがいつもの場所にないとか、探し物の類いが増えていることは事実。

これも何かの弾みで忘れないようにここに置いておこうと移動したことをすっかり忘れる、もしくは移動先を忘れる、ということなんてすよね。

うーん。確かにちょっと心配な面は増えてはいる。

でもさ、とりあえずは今の様子を見ながらやっていくしかないのです。
週一回通院しているから、そこの医師にも相談はしていて、一度検査をしようという話にはなっている。
それからの話よね。次に何をするかってのは。

しかしまあ、おばの警告は頭の片隅に置いて、あらゆるパターンを想定しておかねばならないのでしょう。