私の生い立ち | モラハラ疑惑のある夫を観察するブログ

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自分を持ち平穏に生きたい

三人姉妹の三女として誕生。
末っ子なので父母に甘やかされ(自他ともに認める)、姉二人には若干やっかまれていたと思います。

都会まで快速電車で30分弱、最寄り駅から徒歩30~40分という辺鄙な山の上で育つ。
小中学校の徒歩通学も30分。大人になって飲み会などがあるときは、家の誰かに起きて待っててもらわないといけない(しかも「眠いから早く帰ってこい」と催促される)…
そんな交通の不便さから、都会暮らしの憧れを持っていた。
(現在実現できているので満足している)

中学校まで地元の公立に通い、高校は私立の進学校(女子高)。
その地域の中では一応上位括りの私立大学に進学し、卒業。
新卒で今の職場に就職。


父は家族を大切にしてくれたとは思いますが、はっきりいって、父はモラハラだと思います。
一人っ子でAB型(血液型による性格判断は何の根拠もないと言われますが…、私はある程度実感するところはあります)のせいなのか、理解しがたいところがありました。

ものすごくわがまま。自分を最優先しないと怒る。
自分が気に入らないと怒鳴りちらし、物を投げつける。
自分の価値観に合わないものは全否定。
口達者で、口論するときには死人に鞭打つように相手を責め立てる。
ドがつくほどのケチ。(子どもの習い事や教育にはお金を出してくれましたが…)
マザコン。
母は本当によく耐えたなと思います。
私が夫にモラ(?)攻撃されても、「母はあの父に耐えれたんだから」と思うとなんでも我慢できそうな気がしてくるほどです。
それを母に言うと「私もそう思う」と言っていました。

母は地方からこっちへ出てきて、父と結婚しました。
子どもができるまで働いていましたが、子どもができてからは専業主婦、大きくなってからはパート勤め、しかし私が中学2~3年か高校に上がったくらいで辞め、また専業主婦になりました。
父がモラハラだったので、きっと母は何度も「離婚したい」と思ったのでしょう、
「自分ひとりでも生きていけるように、自分の食い扶持は自分で稼げるようになりなさい」とよく私に言っていました。
(その教えが身について、私は女性が働きやすい職業に就き、何があっても働くつもりです)

上の姉とは6才離れているので、小さい頃から常に対等ではありませんでした。
父によく似て(AB型)、機嫌が悪いと当り散らしたり、口論では屁理屈で抑え込んで来たり、高圧的でした。頭もよかったので余計に上から目線でした。
個人主義というか協調性がないというか…、家族でイベントを楽しむという気持ちはあまり感じられませんでした。いつも部屋にこもって漫画(同人)を描いたりしていました。
頭がいいせいかプライドが高く、専業主婦になりたがる女を見下しているような節がありましたが、実は自分が一番専業主婦になりたかったという。
今は結婚して子どもも生まれ念願の専業主婦に。そのおかげなのか、だいぶ丸くなりましたが…(絶対結婚できないと思っていた)

真ん中の姉は4才離れていますが、上の姉よりは親しみやすかったかな…
しかしかなり偏屈というかひん曲がっているというか…、人の不幸を喜び幸せを妬むというか…私にはなにかと斜め上から物を言ってきました。
三姉妹の中で、一人だけ全く異なる系統の容姿をしているコンプレックスがそうさせたのか…。
今でも割と不愉快なことを言われますが、本人にはあまり悪気がなさそう。
私と同じ職業で、この春には60倍もする昇進試験に合格し、希望する職場に異動したのですが、環境が合わず最近病んでしまいました。
私のほうが先に結婚したのでとても焦っていたようで、この夏付き合って半年くらい?の人と早急に結婚していきました。
こう書き出してみると、姉たちとは歪な関係だな…


私が生まれるまで、両親(と姉二人)は父方の祖父母と同居でしたが、我が家も世間の例にもれず嫁姑の確執はあったようで、私が生まれた後ほどなくして同じ町内で徒歩3分くらいの家に引っ越しました。
私や真ん中の姉は頻繁に祖父母の家に遊びに行くなどしており、(別居によってほどよい距離感が生まれ)関係は良好だったと、子どもの頃の私は思っていました
祖父母はともに小学校の教師で、定年かそれに近い年まで働いていたそうです。
祖父もAB型なので(AB型の方、気を悪くされたらごめんなさい)、ちょっと変わっているというか、偏屈というか気難しいところがありましたが、悪い人ではなかったと思います。
車や航空機などの軍隊物(?)、洋服、海外旅行が好きでした。
祖父は、私が高校1年生のときに亡くなりました。生まれて初めて、身近な人が亡くなる経験をしたのがこのときでした。

祖父が亡くなった後、家族に不穏な空気が流れ始めました。
一人になった祖母を心配して、父はうちの家と祖母の家の二重生活をしていました。
食事は母が作るので、父が仕事帰りに祖母宅へ行き、祖母と一緒にうちの家で夕飯を食べ、その後父と祖母は祖母宅へ帰り、お風呂だけ入って帰ってくる、という生活でした。
更に姉二人は祖母宅へ引っ越しました(寝に帰るだけで、ご飯やお風呂はうちでした)。
私は大学受験前ということもあり(母の甘やかしもあると思いますが)、もとの家に住み続けていました。
この件で、姉(特に上)に酷くやっかまれました。祖母と上の姉との折り合いが悪かったこともあったと思います。

祖母は、子どものころは優しく甘やかしてくれる存在でしたが、祖父が亡くなって生活環境が変わってから、実はとても気が強いということがわかりました。
お金も大好きで、祖父の遺産を息子である父に渡したくないようなことを言ってもめたりしていたようです。
祖父が亡くなって、今までよりうちの家と祖母との距離感が近くなってしまったおかげで、嫁姑問題が再燃。しかも父は一人っ子のマザコンなので祖母の肩を持つ。
母が家を飛び出して一晩親戚(母の叔母さん)の家に身を寄せたり、心労で激ヤセしたり祖母恐怖症のようになって祖母の前で震えたりしていたのもこの時期、私が高校2年生くらいのときでした。

その頃は、姉二人は働いていたのですが、このとき私と上の姉の関係が最も悪化していた時期でした。
高圧的な態度をとったり、私の部屋に勝手に入ったり靴下や文房具をパクったりされ、私は私で姉の部屋にある漫画を勝手に読んだりしていたので、同居しているときから険悪ムードでした。
姉が祖母の家に行ったことで、やっと離れられると思っていたのに、実際はほとんどうちにいたので、この時期は顔を見るのも嫌でした。
姉が仕事から帰ってくる前にご飯を済ませ、物音で姉が帰宅する気配を感じると、自分の部屋がある2階に上がっていました。姉の方から玄関に入る前に「帰ってきたで! さっさと上あがりや!!」と言われることもありました。
そんな冷戦状態(?)はしばらく続いていたと思いますが、確か、両親が旅行で不在のときに姉が仕事帰りに真ん中の姉と私の分のケーキを買ってきてくれたのをきっかけに、徐々に関係が和らいでいったように思います。
(今でも姉と会話をするときは、私の中で、虚勢を張ったような、完全にわだかまりが解けていないようなぎこちなさを感じますが…)

私が大学2年の時、都会育ちで都会が大好きな祖母が都会暮らしをしたいためにマンションを買い一人暮らしを始めたことから、旧祖母の家(つまり元々住んでいた家)に両親と私が引っ越す形で、再び家族5人で暮らすようになりました。
そして私は結婚するまでその家で暮らしました。


(こうして書き出してみると、私もだいぶ歪んでいるようだ…)