少し間があいてしまいましたが、フリフリフェスタの続きです。
不登校編
👩🏻中学で不登校、通信制高校に進み現在は女子大生。思い描いた楽しい中学生活とのギャップを感じ徐々に体調に表れるようになる。学校へ行けない自分を責め、一生懸命な親に申し訳ないと思っていた。
👦🏻小中と不登校。高校は楠の木学園へ進み現在は農業関係の仕事をする23歳。小学校のころから授業中座っているのが苦痛で友達ともよくケンカ。やがてからかいやイジメを受けるようになる。学校に居場所がなかった。
👩🏻⚖️中学1年から不登校。中学は形式卒業。高校には進学せずに海外へ。現在はニュージーランドでアドベンチャーの勉強をしている25歳の息子さんの母親。学校に行かない理由がわからないわけがないと息子さんを責めたてた。世間体を気にし、物にあたり罵声を飛ばし親自身も荒れた。
👩🏻⚖️小学4年から行きしぶりが始まり中学卒業まで不登校。その後通信制高校、専門学校に進み現在はSEとして働く社会人2年目の息子さんの母親。学校に行かない選択肢はなく真っ暗だった。体調が悪い息子を休ませることができなかった。あの頃は学校復帰が前提で子供より学校にむいていた。
上記の不登校経験者2名、不登校経験者のお母さん2名のお話をうかがいました。
以下は印象に残った言葉です。
まずは不登校経験者のお話
*学校に行かない理由がわかっていたらすぐに行けるようになった。わからないから闇の中にいた。
*学校に行けない自分はいい子じゃないと思っていた。だから家にいても勉強やお手伝いをしなければいけないと思っていた。
*学校は安心で安全な場所でなくてはいけない。家では自由だったけど友達がいなくて寂しかった。
*親がいろいろしてくれることは自分のためだと十分にわかっていたが、それに応えられない自分を責めた。「あなたのためよ」と親がよく言うセリフは子どもにとってはつらいセリフ。
*私のために学校へ行かせようとすることがイヤ。手を尽くしてくることがイヤ。画策がイヤ。
*学校へ行かない今のままの自分でも認められたとき生きやすくなった。
*学校がすべてではない。行かないことを決めたことはすごいこと。幸せになれる場所を探して欲しい。
私もなんとかしようとあの手この手で攻めていきました。これダメか、、じゃあこっちか、、
まるで実験でもするようにいろいろ試していましたが子供にはすべてお見通し、画策としか思われていなかったのでしょうね。
「よかれと思って」「あなたのためよ」
これはもう禁句ですね。
これをずっと辿っていくと子どものためなんかじゃなくて自分(親)のためなんです。
自分の不安の解消のためだったり
自分のプライドを守るためだったり
次は親御さんのお話
主に考えが変わった転機についてのお話でした。
*ボランティア仲間に誘われて行った親の会で愚痴をこぼして共感してもらい一人じゃないと感じた。同時にいろいろな情報も入ってきてよかった。
*思春期懇談会で「バウンダリー(境界線)ワーク」を受けて、今まで子どもと親の境界線が混乱していたことに気づいた。
*子どもの人生まで背負う必要はない。子どもは子ども自身で元気になる。
*青少年センターで西野先生の相談の時「卒業式に行けるといいんですけどねー」と言ったとき「行って欲しいのはお母さんでしょ。お子さんはどう思ってるのかな」と言われ目からウロコが落ちた。
*子どもは親を試し続ける。子どもを信じて。
*一番苦しいのは子ども本人。生きてさえいればなんとかなる。
*言葉にしないと伝わらない事もある。「愛してるよ」「宝物だよ」と言葉にして言い続けて欲しい。
私も息子の言動に一喜一憂しました。
息子に元気がないと一緒になって気分が滅入り、息子にしかどうすることもできない問題をどうしよう、どうしようと不安に思いオロオロしまくりました。
息子が困っているだろうと勝手な先読みをして余計なことをしまくりました。
まさに親子の境界線がしっかりと引けていませんでした。
だんだん子どもが大きくなるにつれて、この親子の境界線をしっかり認識して、踏み込むことなく、踏み込まれることなく、いい塩梅を保つことがお互いに楽な関係になれるのではないかなと思います。
このバウンダリー(境界線)についてはこれから私たちも勉強していきたいと思っていますので、また情報をシェアできたらと思います。
このシンポジウムは神奈川新聞に掲載されました

最後に今年も西野先生の動画を貼り付けておきますね。
学校に行けなくてつらいとき
不安で眠れない夜
消えちゃいたいくらい苦しいとき
西野先生の優しい声を聴いて安心してください。