ア ピアチェーレ が発足してから間もなく1月。
皆様 もう名前は覚えていただけたでしょうか?
この間不登校関係で実際にお会いする人に
ほらほら あの 新しく立ち上げた ア なんとか
いやいや ピ なんとか のことだけど...........
などと言われ、うん まずは名前をしっかり覚えてもらうところから
地道に活動していこう と思っている次第です。
実は仲間内ではすっかり呼び名は 最初のアはとってしまって
ピアチェーレで定着しています。(^O^)
ですので みなさんもそう読んで頂ければ と思います。
ならば 初めからピアチェーレという名前にすれば良かったのでは?
と思われるかもしれませんが
ピアチェーレの前にア がつくか つかないかで
意味が違ってきて
私たちは ア ピアチェーレ という言葉の持つ
自由に という意味が気に入って
このコミュニティーのコンセプト にしたいと思ったので
こだわって ア ピアチェーレとしました。
また ピアチェーレの字の並びの中には
ピア(仲間)という言葉が入っていて
それも大いに気に入っているところです。
************************
息子が不登校になって
長いこと 孤独の中でもがいていました。
誰にも相談することができなくて
どこに相談していいのかもわからなくて
学校や病院で息子の状況を話さなければならない時にも
心に鎧を着せ、内面の葛藤や悲しみを見せないよう必死でした。
私のこの苦しさは誰も分かってくれないし
悲しさを共有したいとも思わない
とそんなふうに意固地になっていました。
地域の不登校生の親の会にも
顔を出したことのないまま過ごしました。
繋がるのがこわかったのです。
そういうところに顔を出してしまったら
もう状況は固定してしまうのではないか
息子の今の状況が
不登校とラベリングされてしまうのではないか
そんな不安を抱いていました。
とにかく現状を抜け出して
あっちの世界(学校に通う生活)に息子を戻したい
と考えていた私にとって
不登校保護者の人とつながることは
その足枷となってしまうように感じていたということもあります。
狭いコミュニティーの顔の見える関係性の中で
我が子の悩みをさらけ出すということに対する抵抗感も
半端なかったですしね。
息子が学校に行かない自分の状況を
俺は不登校じゃない と言い張っていたように
実は親の私も、
うちの子は不登校じゃないと思いたかったのですね。
そんなふうに
この状態は一過性のもの
一刻も早くどうにかしてやるんだ と
もがきにもがいて
繋がることを頑なに否定していた私が
不登校保護者同士の仲間の繋がりを得て
現状をすんなり受け入れられるようになって
息子の不登校に対する態度がやっと変わりました。
不登校を受け入れるということは
息子を受け入れることでもありました。
私が生きやすくなったことで
息子もきっととても気持ちが楽になったと思います。
傷の舐め合い という言葉には悪意や刺が含まれていて
好きではありません。
でも 私はそのシチュエーション自体は
全く否定的には捉えておらず大切なことだと思っています。
とにかく どこの誰よりも
我が子の不登校という同じ局面を過ごしている人同士の
不登校という事象に関する共感能力に勝るものはなく
そうした仲間と心の底から思いを分かち合うことが
おのずと各人の癒しや安心感につながって
その人が前を向いて歩き出す大きなきっかけや力になると
今では心の底から信じています。
繋がり方は 自由に!
集い合う人たちはピアであるということを大切に
これから活動していければ と思っています。^^
というわけであらためて
不登校をキーワードに集うピアのコミュニティ
通称 ピアチェーレ
どうぞ宜しくお願い致します。 (^O^)
※ 本格始動は2015年4月より

皆様 もう名前は覚えていただけたでしょうか?
この間不登校関係で実際にお会いする人に
ほらほら あの 新しく立ち上げた ア なんとか
いやいや ピ なんとか のことだけど...........
などと言われ、うん まずは名前をしっかり覚えてもらうところから
地道に活動していこう と思っている次第です。
実は仲間内ではすっかり呼び名は 最初のアはとってしまって
ピアチェーレで定着しています。(^O^)
ですので みなさんもそう読んで頂ければ と思います。
ならば 初めからピアチェーレという名前にすれば良かったのでは?
と思われるかもしれませんが
ピアチェーレの前にア がつくか つかないかで
意味が違ってきて
私たちは ア ピアチェーレ という言葉の持つ
自由に という意味が気に入って
このコミュニティーのコンセプト にしたいと思ったので
こだわって ア ピアチェーレとしました。
また ピアチェーレの字の並びの中には
ピア(仲間)という言葉が入っていて
それも大いに気に入っているところです。
************************
息子が不登校になって
長いこと 孤独の中でもがいていました。
誰にも相談することができなくて
どこに相談していいのかもわからなくて
学校や病院で息子の状況を話さなければならない時にも
心に鎧を着せ、内面の葛藤や悲しみを見せないよう必死でした。
私のこの苦しさは誰も分かってくれないし
悲しさを共有したいとも思わない
とそんなふうに意固地になっていました。
地域の不登校生の親の会にも
顔を出したことのないまま過ごしました。
繋がるのがこわかったのです。
そういうところに顔を出してしまったら
もう状況は固定してしまうのではないか
息子の今の状況が
不登校とラベリングされてしまうのではないか
そんな不安を抱いていました。
とにかく現状を抜け出して
あっちの世界(学校に通う生活)に息子を戻したい
と考えていた私にとって
不登校保護者の人とつながることは
その足枷となってしまうように感じていたということもあります。
狭いコミュニティーの顔の見える関係性の中で
我が子の悩みをさらけ出すということに対する抵抗感も
半端なかったですしね。
息子が学校に行かない自分の状況を
俺は不登校じゃない と言い張っていたように
実は親の私も、
うちの子は不登校じゃないと思いたかったのですね。
そんなふうに
この状態は一過性のもの
一刻も早くどうにかしてやるんだ と
もがきにもがいて
繋がることを頑なに否定していた私が
不登校保護者同士の仲間の繋がりを得て
現状をすんなり受け入れられるようになって
息子の不登校に対する態度がやっと変わりました。
不登校を受け入れるということは
息子を受け入れることでもありました。
私が生きやすくなったことで
息子もきっととても気持ちが楽になったと思います。
傷の舐め合い という言葉には悪意や刺が含まれていて
好きではありません。
でも 私はそのシチュエーション自体は
全く否定的には捉えておらず大切なことだと思っています。
とにかく どこの誰よりも
我が子の不登校という同じ局面を過ごしている人同士の
不登校という事象に関する共感能力に勝るものはなく
そうした仲間と心の底から思いを分かち合うことが
おのずと各人の癒しや安心感につながって
その人が前を向いて歩き出す大きなきっかけや力になると
今では心の底から信じています。
繋がり方は 自由に!
集い合う人たちはピアであるということを大切に
これから活動していければ と思っています。^^
というわけであらためて
不登校をキーワードに集うピアのコミュニティ
通称 ピアチェーレ
どうぞ宜しくお願い致します。 (^O^)
※ 本格始動は2015年4月より
