積極的不登校について考える上で協調性についてしっかり言語化できたのでまとめるぞ💪


自分の子には「協調性のある子に育ってほしい」と誰しも思う一方で、「学校へ行かず、集団で過ごす時間が無くなると、協調性のない子に育ってしまうかも」と不安に思う人はとても多いはずです😌


定義から改めて考えていきます💡

協調…考え方や立場が違っても、協力し合って力を合わせること

協調性…自分と異なる立場、違う意見や考え方を持つ人たちと協力しながら、同じ目標の達成に向けて行動できる能力のこと


つまり、協調性を伸ばすには

①それぞれの立場,考え方,役割などをしっかり理解(把握)すること

②目標を明確にすることで、みんなが同じ目標へ向かっている


この2点が実は超重要なんです!具体的にサッカーを思い浮かべてみましょう⚽️

❶勝つことを目標にすることで、攻める人,守る人,パスをつなぐ人 などの役割(立場,考え方)をみんなで把握しているか?

→それが出来ていると、やみくもにボールを追うようなサッカーはせず、中学生以上の子たちがやるようなサッカーになるはずです。別表現だと、「チームワークが良い」とも言うでしょう。

❷目標が無く(ただ楽しければそれでいい)、それぞれの役割が決まっていない(把握していない)。

→これだと全員がボールを追っかけまわしている、小学校低学年で見られるようなサッカーになるかと思います。これは各自しっかり考えず周りと同じことをしているだけなので、同調です。

協調⇔同調 であるはずなのに、日本ではこの違いがよくわからず同じ言葉として使われている場面がほとんどです😇例えば、8:30に登校するという時間をバラバラにすると、授業開始が合わず全員にとって不利益になってしまいます。これは時間を合わせること(同調)=協調 となるのですが💦



では1チーム40人になったらどうでしょう??

1人1人の特性を把握して、それぞれどのように考えて動こうとしているのかわかりますか?それに合わせて「自分はこう動けば全体的に見て必要なことをしているぞ」と言えますか?

それが学校(クラス)の中で行われているんです。しかも、発達段階的にもまだまだ幼い子たちでやろうとしているのだから、ほぼ不可能です。

だから、それっぽく体裁を整えるためには「みんなと同じことをやる」という同調に落ち着くわけです🫠🫠



もっと言うと、学校やクラスでの目標と、それを達成するための手段(ルール)が結びついていないから、勝手に決められたルールを押し付けられているだけになるんです。つまり民主主義の破綻です。


ちなみに、世界一の教育と謳われるフィンランド🇫🇮では目標もルールも自分たちで考えて話し合って決めるんですよ。日本との大きな違いですね



同調と協調の勘違いとして具体例を上げると

英語の時間に数学をやっていたり、一人だけ自転車で通っていると協調性がないと言われます😇英語が得意でその内容を理解できているから数学をやっているんでしょうし、心臓に持病を持っているから自転車なのかもしれません。そのような事情をクラス全員分理解できますか?そもそも理解しようという姿勢がありますか?





ここにはきっと働きアリの法則が当てはまっていて、2:6:2の割合になっているんだろうなと思います。そして、学校では安易に多数決が取られるので、思考停止人間が数で上回ることで同調圧力が発生する。結果的に、「両者の違いを理解できている20%の人」たちは学校での居心地を悪くし、積極的不登校へ徐々に移ってるんだろうと思います🤔🤔



まとめ

学校(1クラス40人などの集団)では「協調性のある人」を育てようとする手段が「集団行動を強制する」ぐらいしかなく、思考停止人間と同調圧力に苦しむ人を量産している。

理想は小集団(家族を始めとした、10人以下の集団)でしっかり対話を図ることが、協調性を伸ばす方法です。つまり不登校の方が協調性高い可能性も充分あります(その不登校が2割に当てはまるただの自己中だと違います)。


補足

海外に比べて、日本の学校はとにかく学校行事が多いです。クラス,学年でまとまるという、必然的に同調せざるを得ないのです🫣

僕もこの前放課後デイサービスで、4,50人集まって2台しかないのにみんなで卓球やることがあったのですが、「1人1人どう考えてるか??あ、無理やな」と早々にあきらめました😇