僕はこの「親ガチャ」という言葉が嫌いです…

僕の周りにこの言葉を使う人がいなくてうれしいです笑。どんな意味合いで使っているのか?はニュースから間接的に把握しているぐらいです。「親の年収が高いと、子供の学力や年収が高い」という相関関係があるそうですが、その逆である「親の年収が低いから、自分の学力や年収が低い」という意味合いで「親ガチャ外れた」と言っているんだろうなぁ と感じています🤔

いくつかの視点で彼らは間違っていると言いたくて、言語化してみました_φ(・_・


①学力塾に通う費用のことを例えて言われることが多々ありますが…彼らは毎日10h以上勉強して、携帯電話を持たず部活動も入らず(それらに回すお金がない)放課後は学校の先生に質問しに行って、図書館からたくさん本を借りて知見を広めようとしたのでしょうか??そういう努力をせずに親のせいにしている気がしてなりません


②親の姿勢を見て子は育つ

これはある人の受け売りなんですが。仕事ができる人というのは、大人になっても勉強をし続け、誰かのせいにせず自分事と捉えてあらゆる課題に取り組んでいる結果として、収入が高いんだ と。お金は結果論であって、親がそういう姿勢を持っていなければ、子は勉強などせず点数が悪い原因は「先生の授業がわかりにくいからだ」などと言いますよ と。まさに正論だと感じました。


③どのガチャなら満足??

親の年収が1000万?2000万??毎日、親が家にいてくれること?両親とも美男美女であること?お小遣いが毎月10万円もらえるところ?果たして彼らの要望に際限はあるのでしょうか??そもそもですが、国ガチャなら当たりではないでしょうか??


以上のように、他責思考の表れとして「親ガチャ外れた」という言葉が広まったんだなぁと最近考えていました。で、なぜこんなことをわざわざ書き連ねたのかというと、このようなマインドの変化が社会問題だと考えるようになったからです🤔

次の章ではその背景について


____________________________

「子どもとの関わり方で勘が鈍らないようにしなきゃなぁ」という考えから放課後デイサービスで働き始めてはや1年になります。

気になるエピソード①

そこでは宿題をやる時間と課題の時間があるのですが、課題は自分で決めるんですよね。しかし、自分で決めることができないんですよね。「こういう単元が苦手だからこれを頑張りたい」、「これが得意だからもっと伸ばしたい」というふうに課題を見つければいいのですが、それができないんです。仕方ないから先生が考えて用意したりするんですが、何を用意しても「嫌だ。やりたくない。」という子が半分ほどいるんですよね💦💦


気になるエピソード②

子どもたちと卓球をする曜日を設けてたりするんですが、対戦チームや対戦順を決めることができないんです。「何番でもいいよ(だから誰か決めて)」という子がほとんどです。それなのにこちらが決めたら「誰々とは対戦したくない」とか言うんです。学校で長く勤めている人は感じていないですか??

この座席は嫌だ

この班は嫌だ

このクラスは嫌だ

うちの担任は嫌だ

そして、この学校は嫌だ

昔に比べてちょっとずつ多くなってないですか?これらの根幹にあるのはYouTubeとTikTokだと思うんです🤔

指を1~2㎝動かすだけで、永遠に動画(簡易的ドーパミン)がやってくる…「これ違うな」と思っても指を動かすだけで代替案が自動でやってくるんです。だから平気で人に向かって「嫌だ(他を用意して)」と言う人になっているんだろうなぁと感じています。なおかつ、自分で決めない習慣がどんどん強固になっていってます。「これが見たい(調べたい,学びたい)」ではなく、アプリから自動で流れてくるもの。TwitterなどのSNSにおいても同じです。


スマホでの娯楽は、ほぼ全てが受け身なんです。だから、スマホに毒された人たち(主に子どもやスマホネイティブ世代,Z世代と呼ばれる人たち)の思考回路の多くは受け身じゃないですか??自分の人生なのに、自分を幸せにしてくれるのは自分ではない誰かと思ってないですか?感じ方は人それぞれ。偏見もかなり強いでしょう。もうすでに誰かを不快な気分にさせているような気がしてきたので、ここで終わりますが…


僕はこの受け身姿勢であり他責思考がスマホによってどんどん加速しているのではないかと危惧しております。しかし、これは非認知能力の代表として数値化できません。科学的に僕の懸念が正しいと説明できないんです。一方で、スマホが脳の発達を止めているデータがあることを本で知りました。それをメインとしたスマホ講座がもうすぐできるので、うまいこと講座(価値)を届けて、半径5m以内にいる人だけでも守りたい😌😌