北陸新幹線が3月14日に開業しました。と同時に、越後湯沢と金沢をほくほく線経由で結ぶ特急はくたかが廃止されました。特急はくたかは私が2003年4月から約1年半金沢に単身赴任した際に、自宅と金沢との往き来で利用した特急でありまして、その頃はまだ工事中の北陸新幹線の高架を車窓から眺めながら、開業はまだまだ10年以上先のはるか遠い話だと思っていました。それがついに開業したかと思うと、様々な懐かしい思い出がこみ上げてきます。当時の記憶をたどりながら、単身赴任から1ヵ月位までに金沢で体験したことや特急はくたかの思い出を書いてみました。大変お恥ずかしながら、掲載させて頂きます。

  午前0時を過ぎた深夜、「ちょっとお兄さん」という女性の声が暗闇の中から突然聞こえた。幹線道路の裏手にある街灯がほとんどない路地での出来事だっ た。声がした方向に振り向くと、彼女はいきなり私の腕をつかんだ。それもかなり強い力だったので、私は思わず彼女の方によろめきそうになった。会社の同僚が開いてくれた歓迎会の帰り道で、ほろ酔い気分だった私は恐怖のあまり素面に引き戻された。暗がりの中で彼女の姿を確認すると50代くらいだろうか。私は「今夜はもう遅いので」と今から考えると間の抜けた返答をした。そして、彼女の手を振りほどくと緩やかな坂道を駆け上がった。駆け上がりながら、何事が起きたのかはおおよそ察しがついた。
 翌朝は引っ越してきてから初めてのごみの回収日だった。私が住むマンションから道を一本隔てたところにある所定の場所にごみを出してバス停に向かおうとした時、気が付くと老婆が私の横に立っていた。次の瞬間、老婆はいきなり私が出したごみ袋を開けると素手で袋の中をかきまわし、中身を確認し始めた。「あんたぁ、今日は燃えるごみの日ながぁ、これは捨てられへんがゃ」と中に紛れ込んでいた不燃ごみを取り出して、私の眼前に見せた。私は老婆からごみ袋を奪い 取ると、マンションに引き返した。マンションの入り口で振り返ると、老婆は気味の悪い笑みを浮かべながら私を見つめていた。私は背筋が寒くなった。そうい えば金沢に赴任した初日、金沢駅近くにある不動産屋でマンションの鍵を受け取った際、「あのあたりはごみとか色々大変なので注意して下さいね」と応対して くれた二十歳前後の女性から言われたことを思い出した。“あのあたり”とは“にし茶屋街”裏手の一角で、私はそこにあるマンションで単身赴任生活を始めたのだった。“ごみとか”の“とか”には昨夜の出来事も含まれるのだろうかと会社に向かうバスの中で考えた。
 北陸随一の歓楽街である片町から犀川を渡るとそこはまるで別世界に感じられた。会社帰りににし茶屋街を通りマンションに向かう際、料亭から三味
線の音が聞こえてきた。時には芸妓さんの後ろ姿を見かけることもあった。薄い水色の古ぼけた木造の建物がマンションに通ずる道と茶屋街の通りが交差する角にあり、これが見番であることを後にタクシーの運転手に教えられた。
 金沢での生活がひと月ほど経とうかという休日、泉鏡花が金沢の出身であることを思い出し、彼が生まれ育った浅野川沿いの生家跡に行くことにした。泉鏡花 といえば怪奇趣味、幻想文学といったことは知っていたが、これまで一度も彼の作品を読んだことはなかった。記念館をひと通り観た後、ショップで彼の代表作 「高野聖」の文庫本を買った。記念館を出るとあたりは夕暮れ時だった。浅野川、主計町茶屋街、ひがし茶屋街に隣接する記念館から空を見上げると、目の前の卯辰山に真っ黒な雲が迫っていた。
 次の週はゴールデンウィークだったのだが、丸々仕事が入っていた。代わりに連休後に休みを取り、単身赴任してから初めてひと月ぶりに自宅に帰省した。そ して、再び金沢の単身赴任先へ戻る金曜日の夕方、越後湯沢から特急はくたかに乗った。上野から上越新幹線で越後湯沢まで行き、特急はくたかに乗り換え、ほく ほく線経由で金沢まで行くのである。
 越後湯沢を出発してしばらくすると、泉鏡花記念館で購入した「高野聖」の文庫本をとり出して読み始めた。特急なので通過駅に過ぎないのだが、「見佐島」、「まつだい」、「虫川大杉」、「くびき」と独特の駅名が車窓を通り過ぎて行く。気が付くとすっかり陽が落ちて、点在する街のほのかな灯りが見えた。 特急はほくほく線を走り終え、犀潟から北陸本線に入った。右側の窓に目をやると、真っ黒な日本海から激しく打ち付ける高波を浴びる北陸自動車道の高架が見えた。まさに海岸線ぎりぎりの高架で、日本海の荒波を浴びながらトラックが走り過ぎて行く。左側の窓に目をやると、海とは一転の断崖絶壁。飛騨山脈の北端がまさに「親不知」という地名のごとく眼前に立ちはだかっていた。そんな断崖絶壁を見つめながら、私を金沢の地に単身赴任させた上司の顔が頭に浮かんだ。私は心の中で彼を呪い殺した。
 越後湯沢を出発した特急はおよそ2時間30分ほどで金沢駅に到着した。駅前でタクシーを拾い、運転手に「にし茶屋街の見番まで」と伝えた。初老の運転手は一瞬怪訝な顔をしたが、目的地を改めて尋ねることもなく車を走らせた。金曜日の夜でもあり、片町は酒に酔った集団の喧騒で埋め尽くされていた。見番でタ クシーを降りると、にし茶屋街の所々で枝垂れ柳が春の夜風に乗って揺れ動いているのが見えた。マンションの前まで歩き、赴任早々駆け上がった坂道を見下ろ した。あたりは静まり返り、人の気配は皆無だった。部屋に入り、明かりとテレビをつけた。テレビから「はやぶさ」という小惑星探査機が鹿児島県にあるロ ケット打ち上げ施設から発射された様子がニュース映像で流れた。