「読者の心にのこるような、深い漫画を描くんだよ」
って、先生から言われてるような気がした。
漫画家として、今はまだ、日の当たる場所じゃないかもしれない。
それでも私は、人間の可能性や強さを描きたい。
「どうせ無理だ」と諦めて、どうして読者をは励ませるだろう。
だから、私は信じ続ける。自分の持つ可能性を。
売れる売れないを気にする「浅き」境涯ではなく一人の読者に希望を届ける「深き」志の漫画家でありたい。
2012.8.25(土) ばあちゃん ウガンダ 「どうせ無理?」
「読者の心にのこるような、深い漫画を描くんだよ」
って、先生から言われてるような気がした。
漫画家として、今はまだ、日の当たる場所じゃないかもしれない。
それでも私は、人間の可能性や強さを描きたい。
「どうせ無理だ」と諦めて、どうして読者をは励ませるだろう。
だから、私は信じ続ける。自分の持つ可能性を。
売れる売れないを気にする「浅き」境涯ではなく一人の読者に希望を届ける「深き」志の漫画家でありたい。
2012.8.25(土) ばあちゃん ウガンダ 「どうせ無理?」
私のの使命とは、目標の追求ではなく、人間としての振る舞の中にあるのだと自覚するようなりました。どんな仕事でも、ベストを尽くそうと決意しました。
小説『人間革命』には
「私たちの置かれた立場や、合理的な考え方に慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。
しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、大聖人は明確に教えていらっしゃる。
これを信じるか信じないかは、私たちの問題です」
94年にアメリカ創価大学・大学院が開学しました。
その折、創立者の池田会長は、他者に貢献し、人々の幸福を実現する生き方に触れ、
「アメリカ創価大学の使命もまた、
『貢献的生』
を生きる世界市民を排出することにある」と、メッセージを
2012.8.25(土)アメリカSGI デボラ・ディチェサレさん体験ページ
「人生は不幸なものではない。
居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむことが出来る。
人生の法則を知るならば、人生は幸福なのだ。
何事にも感情的であるな、
何物も畏れるな。
何事も理性的、理知的であれ。
そして、大きな純愛を土台とした感情に生きなければならぬ。
敵味方を峻別せよ。」
戸田城聖が姪に送った手紙
“富を手にし、衣食住に恵まれることが、真の幸福ではない。
本当の崩れざる幸福とは、
わが胸中から泉のごとく湧き出る歓喜であり、
生命そのものの充実感である”
その生命の充実感を湧現せしめる人生の法則を知り、
実践する道が信心せあり、
御本尊への唱題。
感情的になってしまうことを戒めています。
それは、自分で自分が制御できず、
恨みや憎悪や嫉妬、また衝動的な欲望に振り回されて、
自分を破滅させてしまう。
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』(御書1025p)
(新・人間革命4967 厚田58 2012,8.22)
厳粛なる道!
それは
教育の道である。
それは
正しき人間の道である。
そして
それは
人間にとって
最も大切な
学問と人格の
向上の道である・
君よ
無価値な人生を送るな!
最も価値ある
教育を身に付けた
無情の人生を
晴れ晴れと生き抜き
勝ち行くのだ!
人間が人間として
最高に目覚めるのは
教育しかない。
教育は
知識の拡大と深化とともに
健全なる身体の鍛練であり
そして
知性と情熱と
人格の完成への一歩である。
それは
学歴の為の教育ではない。
出世のための教育でもない。
傲慢になるための教育でもない。
見栄の教育でもない。
真正の人間の創りゆく
謙虚にして遠大なる
生命の道を修得するための
教育である。
教育は
知識をポンプとして知恵の泉を
汲み出す力である。
そして常に
瑞々しい向上心をもって
知力と体力と精神力を
磨き鍛えゆく場なのである。
「艱難に勝る教育なし」
私が
十代の時から好きな
ギリシャの箴言であった。
その教育は
人格は磨くものだ。
人のために
尽くすものだ。
いな
人のために
犠牲になっていくものだ。
平和のために戦うものだ。
いな
平和のために自らを犠牲にして
戦闘していくものだ。
それが
教育の皇帝だ。
願わくは
君は
今までの出世主義の教育に
溺れるな!
そのような集団から
もっと高い自由を
求めゆけ!
人のために
平和のために
深い人生のために!
(「平和と友愛の讃歌 世界の教育の光を」池田名誉会長より
「祈りは、必ず通じる。
だれ人も、祈りぬいた人間にかなわない。
祈られた存在は、
必ず祈る人の境涯に包まれ、
善の方向へと向かうものだ。」
池田名誉会長
2011.11,11
この地球上に生まれ出でた
私たちは
何のために生き抜くのか。
何を目標として
確信ある
そして後悔なき人生を
送ればよいのか。
同様な
もがきと悩みは
誰人も持っているに
違いない。
それぞれに
多種多様な存在として
生を受け
この大地に生活しゆく
我々の誕生の目的は
いったい何であるのか。
生きるために
際限のない
苦労をするのは
何故なのか。
湿った霧のような
不安の心を
いかにすれば
解決できるのか。
明るい壮麗な
人生の道はあるのか。
晴れ晴れとした
愉(たの)しき淑(しと)やかな
楽園は どこにあるのか。
いかに天空の彼方を見つめても
明確な答えは出ない。
不思議なる
万有(ばんゆう)の働きよ!
北極と南極を軸として
青き地球は
この時のこの瞬間も
正確に回転し
大宇宙に軌道を描いている。
「成住壊空(じょうじゅうえくう)」―
壮大なる
宇宙の生成流転の中かで
地球という惑星も
私たちの人体も
はるか彼方の昔に
爆発した星々元素が凝結してできたものだ。
「すべてのものは
生まれては死に、
またよそで生まれ変わる・・・・・
『生(いのち)は
永遠不窮の流れ、
すべての死をもって
再び すべての『生(いのち)」を形造る」
これはビクトル・ユゴーの直観であった。
仏法の慧眼(けいがん)は
大宇宙の森羅万象は
「五大」すなわち
「地・水・火・風・空」の
五つの要素からなると
明察している。
そしてまた
小宇宙である
この私たちの生命も
大宇宙と同じく
「地・水・火・風・空」から
なっているのだ。
日蓮大聖人は
けなげな純朴な弟子に
無量の慈愛と無限の信頼をもって
仰せになられた。
「今 あなたの一身は
地・水・火・風・空の
五大である。
この五大は
妙法蓮華経の五字である。
それゆえに
あなたはさながら
生命の宝刀である。
生命の宝刀は さながら
あなたなのである。
悠遠なる過去から
現在へ
現在から
永劫の未来へ―
妙なる生命の大法則は厳然と律動している。
この大法則とともに
宇宙は永遠にして
我らを包んでくれる。
そして
この大法則とともに
我らの心もまた
永遠に宇宙を
包み返していけるのだ。
何のために
我らの生命は
生老病死を
繰り返してゆくのか。
その究極の目標に
導いてくれる
確固たる法理こそ妙法である。
ここにこそ
尊極なる生命の
常楽我浄の軌道があますところなく
示されているのだ。
池田名誉会長 桂冠詩人の世界
福島 生命を映す「五色沼」
2011.4.10(日)
『沖縄・戦後子供生活史』加藤彰彦(現代書館)で、
子供をせかしがちな親に対して、「お年寄りと子どもはリズムも波長も合い、
共に安心できる存在」と語る。
社会の第一線にいる親世代は忙しいが、お年寄りには、子どもと比較的似かよった 時間がある。
昔話を聞かせたり、子どもの話をじっくり聞く余裕がある。
核家族が進む現代、祖父母と孫が接する機会の多い家族はめっきり減った。
そうした環境下で、親が子どものリズムに、どう上手に合わせるか、が大切だろう。
教育本部の友が語っていた。
子は「ダメダメ」とばかり言われて育つと、
人との関わり方が見につかなくなる。
反対に、肯定的な言葉かけをすれば、
「気持ちが受け止められた」
という安心感を抱き、
人との関わりを受け入れられるようになる、と。
まずは“聞いてあげる”ことが大事なのだ。
「すべては、子どもを『一個の人間として尊重するところから始まる」
と池田名誉会長。
入学・進級で子ども達が新しい一歩を踏み出す今、すべての大人が自覚したい。(碧)
2011.4.12(火)聖教新聞 「名字の言」
「なくしたものは大きいけど、得たものはある。それは人のやさしさです。」
大震災で被災した友の声が心に残る。
どの街にも、家族や家を失いながら、他者のために尽くす
“無名の英雄”がいた。
これは、マスコミが海外の声として引用するように、
「日本人だから」できることなのか。
略奪や暴動が起きるのが普通なのか。
そうではない。
人間は大災害の時、助け合い、自分をなげうってでも人に尽くすようにできている。
それを立証した本が、静かな注目を集めている。
『災害ユートピア』(高月園子訳、亜紀書房)。
1985年のメキシコ大地震、
2001年の「9.11」テロ、
05年のハリケーン「カトリーナ」
― 大災害を検証し、ふだんの秩序が失われた時、
すばやく自然発生的に、相互扶助の共同体が立ち上がることを描き出した。
つまり、人間にとって、
「自分だけ助かりたい」という利己心よりも、
「人とつながりたい」
という思いの方が、より本質的な欲求なのだ。
そして、東日本大震災の被災者の方々は、
この人間という、存在の素晴らしさを身を持って示してくれた。
支え、励まし合う温かな社会を築きたい。
それこそが、復興にあたって最も大切なこと。
その先頭に立つのが創価の使命と信じる。(飛)
2011.4.17(日)聖教新聞「名字の言」
今回の震災で甚大な被害を受けた岩手の陸前高田に、1本だけ、高さ12㍍の松が残った。
大津波にも負けず、屹立する大樹の雄姿は、
まさに“希望の松”。
被災された方々に無限の勇気を与えている。
中国の古典に
「千丈(せんじょう)の松樹(しょうじゅ)、
常に風霜(ふうそう)有り」(顔氏家訓がんしかくん)とある。
天高くそびえ立つ松の木は、常に風や霜にさらされるが、
断じて耐え抜く。
私たちも、友に「勇気の松明(たいまつ)」を灯しながら、
いかなる困難も乗り越え、どんな試練も勝ち超えていきたい。
そして、正義の心根をしっかりと張り、
信心の幹をさらに太くし、地域に信頼の枝と葉を、いよいよ若々しく広げていこう。
地涌の使命の旗を、心に翩翻(へんぽん)と翻して。
2011.4.18(月)聖教新聞「名字の言」