モロトフ=リッベントロップ協定
まずはモロトフから。
スターリンの片腕として、乗り込んだ1940年11月13日のベルリン。
そしてリッベントロップ
「この時期に価値があるのかと」
外相同士の名前が残るのは、ある意味凄い。
お互いに個性が強いのか…それとも歴史の表舞台に登場したのは、やはり1939年8月23日
世界を震撼とさせたこの2人
NO.2故にあまりスポットが当たらずに謎も多いが
とにかくも両国とも得るものが大きかったが故に名を残した。
そう『独ソ不可侵条約』
まずはモロトフから。
スターリンの片腕として、乗り込んだ1940年11月13日のベルリン。
リッベントロップ外相より「英国の敗北は必至」に
「今、上空を飛んで爆弾を落としているのは、どこの国の飛行機かな?」と、やり返したのは、
一筋縄ではいかないエピソード。
リッベントロップがモスクワ訪問した時に、
スターリン、モロトフを大変気に入リ
意気投合した経緯もあり
モロトフにリップサービスだったかも?ですが
これには総統や外相は一瞬冷静さを失った。
「たまたま今飛んでいるだけだ」と総統が応戦したとか…
そのモロトフ。1986年まで生存し長寿を全うしたのは驚きもありますそしてリッベントロップ
ソビエトとの交戦は痛い目に遭う。
と分析していたこと。
が、その分に英国を軽視していた。
で、日本とイタリアを加えた
四国同盟に熱心だったのだが…
1941年4月の日ソ中立条約には冷めた目で見ていた。「この時期に価値があるのかと」
そして、6.22に何を思ったのかと…