日本で希少なフラメンコ男性舞踊家の永田健さん。
うちの舞踊団公演では第一作目から出演してくださっています。
どんな役も楽しみながら引き受けてくださり、そして、舞台をビシッと締めてくださるので、とても頼りになる存在。
第二作目では、私は茶々を演じました。
茶々は、信長の姪であり、後に秀吉の側室となり、最期は家康と闘って生涯を終えた女性です。
ストーリーは創作なのですが、茶々は秀吉の右腕だった石田三成と不義密通を重ね、秀吉の子と偽り、三成の子を産むというものでした。
三成は、愛する茶々と茶々との間にできた我が子を守る為に、関ヶ原の戦いで家康と闘い、負けて処刑されます。
敗戦の将という、中々のカッコいい役どころなのですが、
「信長やりたかった」
と永田さん(^-^;
ごめん、信長は、この人がやりました。↓
池森暢昌さんです。
美術系アーティストでもある彼が、自らのこの衣装も制作しました。
彼なりのクレイジーな信長で素敵でした。
でも、永田さん、「信長がよかった」と…(^-^;
で、その永田さん、今、スペインで信長を演じながら公演をやってるそうです。
すごいですね。
現地では、日本語でのブレリアを普及させようと活動している方もいるそうで、フラメンコも発展を遂げているんだなって思いました。
「これがフラメンコ!」
というものがフラメンコの核としてあって、
日本語でのフラメンコを普及させようとしている人たちですら、
「これぞ、フラメンコ!」
ってものが好きなんだと思います。
心の中心となるところには、プーロフラメンコへの愛が溢れている。
でも、日本人の私たちが、フラメンコを知らない日本人のお客様の前でフラメンコを演じる際、何か他の要素も取り入れてみようと工夫するのは、悪いことではないと私は思ってます。
自分の『好き』を伝えるのが仕事ですが、相手のニーズをくみ取ることなく、ただ自分の『好き』を押し付けるだけでは、それは仕事じゃなくなってしまう。
仕事とは、相手あってのこと。
思考錯誤、紆余曲折を得てる途中、失敗に終わることもあるけど、でも挑戦してると、何か得るものはある。
それも、楽しみながら挑戦するのさ
手前味噌ではございますが、私も舞踊団公演で、日本語の歌詞の演目を作ったことがあります。
全てではありません。
一部の演目のみです。
私は、『THEフラメンコ』が好きなのですが、それでも、こういうのもありだと思ってます。
戦争の反対は平和ではない。
なぜなら平和を守る為に、戦争が起きているから。
戦争の反対は、受容。
自分と違うものを受け入れる心。
日本語のフラメンコの敵がプーロフラメンコじゃないし、
プーロフラメンコの敵が日本語のフラメンコじゃない。
両方あり。
多様性を受け入れる時代になってきました。
君を追い行く薄月夜
源氏物語をフラメンコで描きました。
六条御息所(紫の衣装)が葵上(青い衣装)を生霊となって殺めるシーンです。
黒い衣装の群舞は、六条御息所の怨念を表現しています。
エル・ビトは、本来ですと明るく可愛らしいスペイン民謡なのですが、そこに日本語の歌詞を載せ、憎き恋敵を呪い殺すおどろおどろしいものに変えています。
歌詞を日本語にしたことで、フラメンコに馴染みのない日本人のお客様にも好評をいただいた演目でした。
落花流水
愛し合っていたのに、引き離された額田王(私)と大海人皇子(池森暢昌)。
何年経っても、忘れることのできない二人。
額田王に向かって、大海人皇子が手を振ったのを見て、額田王が詠んだ有名な歌。
中学校の国語の時間でも習いましたね。
『あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』
動画は、この歌を表現した演目です。
どちらも、歌詞は私が考えました。
カンテはどちらも森薫里さん。
フラメンコは決まったエスティ―ロに色々な歌詞を載せていきます。
まさに、替え歌。
ならば、それを日本語でやってもいいじゃないか!と思ったのでした。
私は物語を作ったり、歌詞(短歌)を作ったりというのも好き。
なので、こういったことも舞台で披露することを、楽しく取り組んでいます。