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福岡市でヨガを伝えています
ヨガインストラクターの真理です
判断した人は
喜びと哀しみを持って決めてきた。
それが感覚となってその人の中にある
そうkatsuさんが話されていた時
聞きながら思い出していた事がある
阪神・淡路大震災のときの
医療現場のこと
あの日、私は福岡で出勤準備をしながら
TVを付けて大きい地震があったんだ。
それだけの認識でいつものように
職場へ
病院勤務だったので
仕事をしながら
患者さんのテレビから流れる
情報を見ていた。
それから、時が経ち
その時、現場がどんな状況だったかを
学会で知ることになる
患者さんを受け入れられる医療機関に
どんどん患者さんが運ばれる
救急の現場では
限られた人材で
限られた器具と薬品を
どう使うか?
の判断が必要となる
しかも
消えかけている命の火
悩む時間は無い
いつもなら
出来る限りの技術や人や物を使えるが
それができない現場
DOA
心肺停止状態で
運ばれて来たこの人に
残り少ないこの薬を使うか
それとも
今運ばれて来ている
確実に助けられる誰かに
この薬を使うか
そんな
難しい判断をしなければならない
状況だったらしい
そして、その現場で働いていた人達は
あの判断は
間違っていなかったのだろうか?と
心を痛めた人も多くいた
上に書いたのは
震災だが
これはこれからの
日本の医療現場の
近い未来かもしれない
1人ひとりが
その判断と行動でいいのか?
いま一度
自らに問うた
行動をしたい
ある国では
医師になるには
瞑想を学ぶ事が必須らしい
厳しい状況でも
冷静に
判断しなければならない
しかも命がかかっている現場で。
医師にはそれが求められる
だから
瞑想
医師じゃなくても
瞑想してみたらどうだろう?
ひとつ
私がハッキリと
言えることは
瞑想は
神秘体験を求めてするもの
ではない
ということ
まずは1日1440分のうちの
たった5分
でいい
坐ってみませんか