今回の勉強会での学びは時間について。
私の知り合いで
時間ってなんだ?
どこに時間って存在しているんだ?
時計を分解してみたらあるのか?と
分解してみたけれど
そこに時間なんて無かった。という人がいた
時を刻み
共通認識として役立つ時計
それに基づいて動く日常
それはとても便利なもので
それはとても平和なことなのだけれど
その時計の動きに
振り回されている生き方をしていないかな?
はい。
私もその一人
生まれて → → → 死ぬまで
その全部が
ずーーーっと自分の時間
身体の皮膚に
『ここだけ皮膚がつながっていないのよね』
という場所がないように
時間も途切れることがなく
ずーーーっと全部 まるっと自分の時間。
それなのに
思うことがある
仕事に時間を取られる
食事に時間を取られる
家事に時間を取られる
子供に時間を取られる
他にも多々ある
時間を取られるという感覚
これってよくある。
あ~無駄な時間だったとかね。
会社にいる時間
自分の時間を売ってる?
まぁ表現としてそういう言葉を使っていることも
あるかもしれないけれど
そもそも
生まれて 死ぬまでずーーーっと自分の時間なら
切り売りなんてできない
一生という自分の時間
一生という自分の命
もしも
あ~時間を取られた!と思ったならば
その時間
残念なことに
自分を生きていないことになる
あらら

時間を取られたわけではなく
自分が無駄と思う時間も
自分が選んで
時間という命を
使っているということ。
私が選んだんじゃない!と思ってもね。
そして
私の時間という命を使っている
ということは
私の人生に関わる
すべての人の
時間という命もつかっているということ
だったら
どう使おう?
人生という時間
時間という命