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図書館的音楽

作った音楽とか

映画「リバーズ・エッジ」を観に行った。

誰のものか分からない白骨化した河原の死体。

山田一郎は死体を見てほっとすると言った。

勇気が出ると言った。

死んだように生きている実感のない日々。

死体はそんな生と、死の間に一本の線を引いてくれる。

動かない死体を見ることで自分は確かに生きているんだと感じられる。

これとは違うんだと思える。

彼にとって死体は希望だった。


吉川こずえは死体を見てザマアミロと思った。

あたしにもないけどあんたらにも逃げ道ないぞザマアミロと言った。

死はすべての人に降りかかる不可避の絶望ではなく、

どんな人間をも一律に等価に、無にする希望。

彼女にとって死体は希望だった。


主人公の若草ハルナだけは死体を見ても陳腐な感情しか湧かなかった。

「よくわかんない」と彼女は言った。

彼女は希望を求めてはいなかった。

彼女は多分知っていた。

この世界に希望はないことを。

安心して身を寄せられるものがもうないことを。

何かに身を寄せて、体をあずけてしまえばしまうほど、それがなくなった時に、

倒れてしまうということを。

相手を愛して、相手に愛されることを望み、相手からの承認を生きがいにする……

ドラッグやセックスといった一時の快楽に身をやつす……そういった、

希望を仮構して生きている他の登場人物たちとは違った。


「大丈夫よあの人は何でも関係ないんだもん」


そんなふうに笑いながら、時に泣きながら彼女は生きていく。



この映画は岡崎京子さんの同名漫画の映画化で、

内容はほぼ漫画通りのストーリーだった。

時代背景、各シーンも忠実に再現されていた。

そして、最後に流れた小沢健二さんの明るい曲がなんともニクかった。

そう、この物語は内容の悲痛さとは裏腹に、なけなしの強さ、前向きさを与えてくれる作品だと思うから。

それは宮沢賢治の銀河鉄道の夜を読んだ後のような……そういう気持ちに、自分はなる。



「リバーズ・エッジ復刻版」

※「君の名は。」のネタバレあり。

年末に三重の実家から大阪のマンションに帰ってきた時、ちょうどTVで「君の名は。」が放送されるところだったので観た。

一度、DVDで観ているのでこれで二度目。

観ていてやはり思ったのが、新海監督がギャルゲー出身ということもあり、深夜アニメ的なセクシャルな描写があり、実家で家族と一緒にはあまり観たくないな……ということ。

それがポストジブリと評されるほどの人気を博しているというのだから、なんていうか、すごい。(うちのおばあちゃんまで観に行っていた。)

自分が気にしすぎなだけなのか……。

「君の名は。」はセカイ系的構造を持っている。

セカイ系とは主人公とヒロインの関係(主に恋愛関係)がそのまま世界の危機に直結しているような作品のことを云い、主人公と大切な人との関係性、つまり主人公の周りの小さな"セカイ"が"世界"の危機と同列のレベル、重さを持って語られている作品群をそう呼ぶ。

「君の名は。」で云うと、瀧と三葉の関係が直接、彗星の落下による町の消滅という危機に関係し、「三葉を救うこと⇔町を救うこと」という構図ができている。

セカイ系という言葉は元々、「新世紀エヴァンゲリオン」のヒットを受けて、そこから後進的に生まれたエヴァっぽい(主人公が独りで悩んでグチグチ言ってる)作品に対してなかば揶揄の意味を込めて使われていたらしいが、そこから次第に意味が更新されていき、上記のような定義に至っている。

セカイ系はゼロ年代以降の作品にはあまり見られなくなったようだけど、某国のミサイル発射のニュースとアメリカ大統領のツイート、知り合いのお腹すいた~というツイートを同じ階層の情報として表示するツイッターなんかを見て、それを日常的に活用していると、自意識が届く狭い範囲と世界の危機とのシンクロというこのセカイ系の短絡的想像力は、何となくだが現代の皮膚感覚に符合する気がしないでもない。

早朝、スマホのJアラートに起こされる。

日本上空を飛ぶミサイル。

SNSで飽和する情報。

一方的、過多的に情報は流れてくるが、さりとて何も出来ない。

さて、二度寝でもしようか?

いや、今日の一限の講義には絶対出席しなくてはいけない。

眠いが起きていようか?

遠いところで起こっている抽象的な危機も大事だが、

より具体的に身に迫る単位の危機を回避しなくてはならない……。

留年したら、両親に合わせる顔がない。

単位の危機が世界の危機に直結するわけではないが、

ネットのお陰で僕達私達のセカイと世界は近い。


 もう一つ「君の名は。」はゲーム的な構造も持っていて、三葉含め町の人たちが彗星衝突の犠牲になるバッドエンドをハッピーエンドに書き換えるべく、瀧は口噛み酒を飲み、セーブポイントからやり直すように、彗星衝突当日の三葉と入れ替わることに成功し、町を救おうとする。

「君の名は。」では一度のやり直しで大団円を迎えるが、これを何度も繰り返す作品は"ループもの"と呼ばれていて、反復する時間というSF的モチーフはアニメ、ゲームなどにもよく登場するので、なにがしかのループ、パラレルワールド作品を観たことがあると思う。

未来を変えようと進んで、過去をやり直すものから、閉じ込められたループからの脱出を試みるものまで、ループもの自体は昔からあるが、様々な変奏を以て、ジャンル横断的に広がっていった。

無自覚に世界を破壊、変革できるヒロイン、涼宮ハルヒに主人公であるキョンが振り回されるセカイ系作品「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメ版エンドレスエイトではループしていることを視聴者に身をもって体感させるため、ほぼ同じ内容を8話繰り返したある意味、伝説の回で、一挙放送があるたびに苦行、悪夢、地獄とか言われ、ポプテピピックは声優が変わるだけましだとか、未だにネタにされる。とりあえず、その分放送できなかったエピソードを三期でやってくれるのならエンドレスエイトの件は不問にしたいと思う(?

アニメではじめて観たループものは「ひぐらしのなく頃に」だったような気がする。

確定的な運命が繰り返される、このループという呪縛に抗い、自覚的に前回のループで辿った道とは違う道を選び、失敗してはまた選ぶといった行動を繰り返し、脱出を試みようとする、仏教の輪廻転生観をもったひぐらしのようなループ作品は多いように思う。

ところでこういったループ作品を見た時にこう思ったことはないか?

「何度でもやり直しがきくのであれば、受けた傷や人間の死に何の重みもなくなってしまう。

僕達私達の人生は一度きりで、失ったものは戻らないからこそ悲しみ、また時に喜びもできるのだ。

この設定では人間のリアルは描けない」と。

確かに一理ある。

「君の名は。」を観ているとこういう↓ツイートがまわってきた。



括弧内は作品の設定自体の否定で、言うなればカンフー映画を観て、暴力で解決するのは駄目だよと言うようなものであり、これはもうほぼ個人の気質、趣味の問題なので、この意見の是非についての議論は、好みの押し付け合い以上のものを生まない。

なので、それに対する意見は特になく、(しいて言うなら、それをテーマにした作品もまた良いよねっていうことぐらい)このツイートを見て思ったのが、生の一回性、不可逆性の破れたリセットのきく非現実的な世界、そういった想像力を持つ作品を好まず、それは現実を何も反映していない……と思う人もやはりいて、それも正しいということ。


 ここで唐突だけど、あなたはRPGゲームをしているとする。

ダンジョン攻略中に全滅してしまい、前回のセーブポイントであるダンジョン入り口に戻され、経験値もお金もアイテムも元に戻り、落胆する。

ゲームキャラのレベルはセーブ時に戻り、再チャレンジした際も初見の時と変わらずイベントやキャラ同士の会話は同じものが繰り返される一方、プレイヤーであるあなたはそのダンジョンを一度経験しているため、この道は行き止まりで、こちらに宝箱があり、この敵は物理攻撃が効かないといった知識レベルは上がっており、前回よりは容易にそのダンジョンを攻略できるはず。

何度ループしても元の状態に戻るので肉体的な成長(ゲームで云うキャラのレベルUP)は出来ないがループを自覚し、前回のループの記憶(ゲームで云うプレイヤーの知識レベルのUP)をいかしながらトゥルーエンドを目指すというこのやり直しのきく物語の構造は、僕達私達のゲームをやっている感覚に非常にリンクしている。

アクションゲームで、前回はこのステージの最後でゲームオーバーになったが、何回も挑戦していたらクリア出来たとか、オンラインの対戦FPSをしていて、最初はバンバンキルされたけど、それでも続けていたら、勝てるようになってきたとか、先のツイートの文章と対比させるならば、一度起きたことを変えようと何度も反復を繰り返し、幾度となく死んでその都度、落胆し、辛さを味わうからこそ、成功した時の喜びは大きく、それまでの失敗が報われるのである。

やり直しのきくループものでは人間のリアルは描けない?

いや、考え方を変えると、変な言い方だが、この構造はゲーム上のヴァーチャルな世界での私たちのリアルなふるまい、感覚を忠実に模写している。

評論家、東浩紀さんはキャラクターのメタ物語性が開くリアリズムのことを「ゲーム的リアリズム」と呼んだ。

「君の名は。」には複数回の時間反復はないが、三葉を一度失ったからこそ、もう二度と失いたくないという強い想いが映像から伝わり、そうして最後にもう一度出会い、階段でお互いの名を尋ねるという感動的なラストに繋がっていく。

この過去のリセットこそが作品の感動の強度を高める働きをしている。

このリセットという性質も現実に則さない荒唐無稽なものではない。

日常を見返してみれば、

他人とトラブったり、気に入らないことがあってSNSのアカウントを作り直す。

それまでのネット上のクリエイター名義を変更して心機一転、一から創作を始める。

ソシャゲのインストール時に引けるガチャがイマイチだったのでアンインストールしてリセマラする。

というように、ネットを使う僕達私達にとって実際に選択可能なものである。

ネットというヴァーチャルの世界では自分自身のパーソナリティーでさえうまくいかなければ簡単にリセットできる。

人生をやり直す事はできないが、ネット上では何度もトライアンドエラーが可能である。(ネット上で犯罪行為をして実際に無期懲役になるといった事にならない限り)

ネットでの成功は現実の世界での成功と同義であり、現実とネットというヴァーチャルな世界は同じ価値を持っている昨今、そういった世界をゲームのように生きている僕達私達のリアルをループ作品は描いていると言ってもいいかもしれない。



の続き

前回紹介したような単語以外に、

・意を尽くせぬ
・形容出来ない
・名状し難い
・筆舌に尽くし難い
・えも言われぬ
・言葉に余る
・言い知れない
・端倪(たんげい)すべからざる

などの汎用的に使える"なんて言ってよいのかわからない"の違った言い回しを覚えておくと役に立つので、そういった言葉もストックしておこう。

いきなり感想を振られたときも「雲を掴むような話で名状し難い何かを感じたよ」と切り返せば、「感想が出ませんでした」より断然クールである。


最後に実践編ということで邪〈よこしま〉作品感想術②で悪い例として出した、

「〇〇(作品名)を観たけど、ずっと暗い感じだし、セリフも難しいし、意味分からなくて面白くなかった!」

という小学生みたいな感想を言葉を変えるだけで見た目のいいものにしたいと思う。

はじめに"意味分からなくて"を何かこじゃれた表現に変えたい。

前回紹介した言葉でもいいが、どの言葉を当てはめるかは観る作品によって変わってくるので、ここでは汎用的に使える「えも言われぬ」に変えたいと思う。

暗い→暗澹、感じ→雰囲気、難しい→難解、と引きしまった熟語に変えて、"ずっと暗い感じ"の"ずっと"をなにか、トンネルとか、長夜とかなんでもいい、直喩なり、慣用句で表し、文を整えると、


「〇〇(作品名)を観たけど、ずっと暗い感じだし、セリフも難しいし、意味分からなくて面白くなかった!」

「〇〇(作品名)を観たが、通奏低音のように響き続ける暗澹とした雰囲気に、難解な台詞回しが合わさり、えも言われぬ印象を受けた」


となる。言っていることは最初の文と変わらず内容はスッカスカではあるが、意味がわからないということは分かっているハッタリ感が出ている。

面白くなかった、つまらなかったといったネガティブな言葉は避けたほうが無難なので、省くことにした。

エゴサーチで作者本人が見たり、他の人の気分を害するかも知れないからだ。そこら辺のリスク管理はしっかりしていきたい。

面白くなかったのに面白かったと書くのは嘘だが、書かないことは別に嘘ではない。

ちなみにこういった時、"私には合わなかった"、"人を選ぶ作品だった"という糖衣にくるんだ言葉でもって代替し、作品は悪くなく楽しめなかった私の方に問題があるというニュアンスを出す人が良く散見される。

それ自体は殊勝な心がけではあるが、レビューなどでも多用され、あまりにも陳腐なので、差別化をはかりたいのなら使わない事をおすすめする。

以上で語りたいことはだいたい語り終えたので、これをもって5回にわたる本感想術は幕引きとしたい。

これまで語った内容が感想を書くための一助となれば幸いである。

因みに、最後に一つだけ言うと、楽に周りから知的に見られたいという心性を内に秘めている分にはいいが、実際に外面だけをよく見せようと見栄を張っている人間は正直痛いし、そんな人間になってはいけません。


邪〈よこしま〉作品感想術 終。