幸せカナコの殺し屋生活
「殺し屋」がなんで幸せになれるのかっていう素朴な疑問がわいたので、いまさら考察ぅ
テーマ曲『転職天職☆やっちゃいました』🎶
みたいに、明るくポップなノリが、このドラマのいいところなのに、ついマジで考えてしまうのが自分のワルいクセ。
ウニが一匹も採れなかった天野アキとちがい、ライフル初撃ち、一発目から百発百中。
的確な狙撃能力と、人中でも気配を消す裏技は
どこで培われたのか?
〝ある男〟を思い出してしまった…

室田日出男さん演じる柏木刑事の台詞
映画『野獣死すべし』より
The Beast to Die (1980)
New Trailer [Radiance #116]Radiance Films
おまえ
天才だな
カナコも天才かもしれないが、社長の巧みな殺し屋マネジメントにも注目してしまう。
カナコの先輩、桜井は
ころすぞ!
しか言わないが、敏腕社長に乗せられているようなカナコの身を、案じているようにも見える。
「天才だな」の次は
伝説になれ
という社長の託宣により、「殺し屋カナコ」の〝天職〟召命は決定的となった…
やがて「スゴ腕のK」の噂が裏社会に拡散されるが、カナコがスマホで検索しても一切出てこない。
それこそ裏社会の需要と供給を手玉に取る「広告代理店スマイルエージェンシー」社長の裏技なのだろう。
ベルーフ(天職)とエートス
ところで「天職」とはなんだろう?
自分に向いている職業
生涯続けられる仕事
三度のメシより好きな仕事
親から継いだ稼業
等々、本来は個人の内面的なイメージだと思うが、実は〝世界史〟を貫く壮大なキーワードでもある。
社会科学者マックス・ヴェーバーの代表的著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
通称プロ倫
そこには何が書かれているのか?
宗教改革の立役者、カルヴァンの冷徹な運命論『予定説』は、人々を不安や絶望感に陥れたが、プロテスタントは〝召命〟を確信するためにベルーフ(天職)に専心した。
そのベルーフに専心するストイックな習慣(エートス)によって、近代資本主義経済を生み出した、という説がプロ倫の概略である。
カナコの先輩、桜井という男は他者とのコミュニケーションには消極的(苦手?)だか、自分の仕事には極めてストイックで厳しい流儀(エートス)を持っているように見える。
カナコが「痴漢や悪質クレーマーを殺る」と言い出した時、桜井は
おまえ
もう辞めろ
と言う。
『殺し屋』とは、トドメンジャーのような正義の味方ではなく、善も悪も、好きも嫌いもない、ただ依頼人の指示通りに〝仕事〟を遂行することだけだ!みたいな…
この人物も桜井と似た超ストイックな職業エートスを感じさせる。
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技能的には天才と言われても、殺し屋本来の路線(エートス)から〝脱線〟したようなカナコに対して、桜井は「辞めろ」と言うのかもしれない。
そして、カナコの緊張感(エートス)が緩んだ隙に桜井が撃たれる。
桜井を被弾させてしまった自責の念と、敵への恨みで復讐心に燃えたカナコは、ヤクザ組織を一網打尽、消してしまう。
マジかよ…
桜井の嘆息は、カナコのスゴ腕に驚いているのか、それともヤクザ映画でもあり得ないド展開に呆れているのか?
とうとうKへの追跡が警察組織にまで及び、追手を避けて帰郷するカナコと警護する桜井。
カナコの故郷には〝殺し屋〟としてではなく、カナコ自身の原点(エートス)があった。
高校時代の旧友と偶然出会い、当時の辛かった〝いじめ〟を回想し、桜井に打ち明ける。
ころすか?
桜井の問いかけに、カナコは何と答えたのか?
カナコが答えると、桜井にしてはめずらしく長くしゃべり出し、東京へ帰ってしまう。
カナコが実家の自室に入ると、高校時代の自分が現れ、カナコは過去の自分に語りかけた。
幽霊になったつもりで
学校行ってたね
カナコが気配を消す裏技の原点は、ここだったのか…?
大丈夫だから
一緒に行こう
絶望のドン底だと思った時期が、実は自分が強くなるための土台だった…。
そういう希望を与えてくれる。
カナコは、過去の自分の肩を抱いた。
カナコの前に現れたイケメンキラー細美
殺し屋を辞めて、一緒に
普通の幸せを築こう
と言う
「好き」と「天職」の間で悩むカナコ…
いや、その答えはすでにあった。
桜井に「ころすか?」と問われて迷ったカナコとはちがう。
細美の運命は、カナコの母が歌う♪藤井風の歌詞が予告していた…と思うと切ないが、彼はシルバーのような闇落ちをしたのだろうか?
むしろ闇の世界から、カナコがいるキラキラした世界へ行きたかったんじやないか?
だから自分を傷つけたバール男に復讐し、カナコへの危険も解消して、足を洗うつもりだった。
しかし細美と名乗る男は、カナコの身代わりにKとして葬られる。
それもカナコへの愛情だったのか?
うちは慈善団体じゃないんだ
カネにならない仕事はしない
という社長の言葉は「資本主義」のエートスを端的に表している。
プロ倫が解明する「天職」の源流にはキリスト教の「隣人愛」があったと思われるが、現代資本主義における「隣人愛」とは「万人に規格化されたサービスを提供する」という形に変貌し、仕事に私情を挟む余地がなくなった。
その冷徹さが、資本主義経済の世の中に「ふつう」とか「つまらねぇ」殺伐とした空気をもたらしているのかもしれないが、その根底には被造物としての人間よりも、創造主である神を上位に置いているキリスト教的な「禁欲的エートス」が生きているようにも思える。
仕事に楽しさとか
考えたことねえよ
俺は今まで金のために
この仕事をやってきた
そういう桜井や社長も
最近まではな
二人はカナコの影響を受けて、少し考え方が変わって来たみたいだ。
人を救うのは神ではなく人であるということも、このドラマは考えさせてくれる。
エートスとアーツ
松田優作が
演じたいように演じた映画…?
映画『野獣死すべし』(1980年)
松田優作出演作のなかで最もお気に入りな映画なのだが、製作過程が気になって以前考察した。
松田優作氏が脚本担当の丸山昇一氏を巻き込んで、台詞を改編したという逸話。
それは俳優としての本分(エートス)から脱線しているのかもしれない。監督や製作者が激怒したというのも理解できる。
でも優作氏が改編したという台詞は、脚本の丸山氏には申し訳ないが、なぜかとても魅力的なのだ。
のんたれ エピソード1
のん監督主演映画『おちをつけなんせ』の製作ドキュメンタリー『のんたれ』のなかで、映画製作に対する「考え方の違い」に気づかされる場面がある。
それは『のんたれ ep.1』のなかで、のんちゃんが是枝裕和監督にアドバイスをもらいに行く場面。
9分30秒あたりから
是枝監督は、のんちゃんに映画製作のプロセスをやさしく解説していくのだが…
是枝監督のアドバイスを要約すると、いわゆる「商業映画」の場合、「自分が作りたいもの」というよりは「不特定多数の観客の需要」に応えなければならない。
そういうビジネス的な配慮も映画監督の仕事なのだ、ということであろうか?
「不特定多数の需要」と「自分が作りたいもの」との相克…、このポイント(分岐点)が悩ましいのだが、のんちゃんは迷うことなく後者を選択している。
俳優としてののんちゃんは、監督や製作者の意図を正確に表現する「スゴ腕」の持ち主だ。
一方、自ら映画や映像を製作するのん監督は、「商業映画」的な経済合理性(エートス)を超えた、芸術的な感性(アーツ)を大事にしているのがわかる。
自分の「好き」を大切にする。

