今年4月のカテドラルのライヴ。

いまだ昨日のように思い出すドゥームの宴。

まさに夢のような夜。


本番のルポは4/22の日記↓でご参照ください。

http://ameblo.jp/a-logic/entry-10869067880.html


そして、夢というものは時間とともに醒める。

そして、朝が来る。


カテドラルはあの夜永遠の眠りに就いた・・・はずである。

今年いっぱいでの活動休止を宣言していたので。


じゃあ、朝は来ないのか、どうなのか。


BURRN!のインタビューを読んでみた。


解散の理由をまとめてみると・・・


①クリエイティビティーの限界

もう、前々作「The Garden Of Unearthly Delights」の時点ですでに創造力の限界を感じていたという。

②方向性の行き詰まり

やるべきことはもうそんなに残っていないと彼らは感じているという。


駄作を残すくらいなら解散した方がいい、常に1作ごとに意味を持たせられないといけないという彼らのスタンスは敬意に値する。


ということは解散は仕方がないのか?


そこまで達観しているのだから仕方がないのだろう。

プロ意識を貫き通すのが目的だから理解も示せる。


おいらは今まで彼らの3度のライブを見てきた。

そして、これで最後かと問われれば・・・?


絶対に最後ではないと確信している。


何故か。


このバンドのライブに3度も足を運んだのには理由があって。


音が好きだから。

リー・ドリアンのパフォーマンスが見たくて。


それは当然なのだが。


それらと同じくらい、彼らの絆の太さというものがある。

ツーカー同士の人間の掛け合いというのは見ていて本当に気分がいい。


リーとギャズは実はほとんど掛け合いらしきものをしない。

時々、リーがギャズのスキンヘッドを突拍子もないタイミングでペシペシしたりもすんだけれど(笑)。



だけど、お互いが次に何をやろうとしているかっていうのを完全に熟知している。



適度な緊張感の中でお互いの世界はお互いの世界。

合わせなければならないところはビチっと。その辺の切り替えが本当ぴったりなのである。


言葉ではうまく表現できないなぁ・・・。



お互いが空気のような存在というか。それでいてきちんとリスペクトし合っているというか。



真の盟友なのだな、というのが伝わってくるのである。


色々なバンドのライブは見てきたが、このレベルのツーカー度を経験するとなると・・・


自分の中では、HEARTのアン&ナンシーのウイルソン姉妹(来日したら絶対に見に行くべきです)と彼らくらいのものだ。



ここで私個人の話になってしまうが、自分にとって盟友と呼べる存在との関わりとなると。

・全然会ってなくても、いつでも毎日会っているかのようにやりあえる。

・自分が迷った時に、そいつならどう考えるだろうって想像したくなる。

っていうかなぁ。


これから、2人とも音楽活動を続けていくという。


そして、お互いが考えることになるだろう。

リーは「ギャズならここでどうするかなぁ・・・」

ギャズは「ここでリーならどうするかなぁ・・・」


お互いがあるところまではモチベーションを持って進んでいくだろう。

才能は折り紙つきだ。

お互いなしでも良い作品が作れるだろうと思う。


しかし、作品を一通り出したとき・・・。



絶対にまた一緒に演りたくなるに決まってるよ。

リーとギャズは。


クリエイティビティーとかではなくこの2人で演ることに意味を感じる時が必ず来ます。


10年もかからないな。5年はかかりそうだけど。


それまでとにかくずっとフォローし続けるのがおいらのやるべきことだ。




最後に。


インタビュー冒頭のセリフ。

「(こんな時に)日本に来てくれてありがとうございました」

リー

「こちらこそ、呼んでくれてどうもありがとう。」


こうゆうことがサラッと言えるようなメンバーのいるバンドを20年以上ずっとファンでいて本当に良かった。


心からそう思いました。