
秋っぽくなってきた土曜日。
今日は、上野の東京都美術館で行われた
ボストン美術館の至宝展記念講演会に行って来ました。
1300時の講演会整理券の配布に対して、
いつものように、1235時頃に配布場所に行ったところ、
これもいつものように既に先客が行列を形成。
でも、この時点で、まだまだ整理券には余裕あり。
って言うか、満席には成らなかった様ですね。
講師は、このボストン美術館の至宝展を企画した、
東京都美術館学芸員の大橋菜都子さんで、
タイトルは
「ボストン美術館の印象派――モネ・コレクションを築いたコレクター」
ボストン美術館の至宝展記念講演会は、
今日で3回目ですが、最後と言う事でした。
さて、講演会の模様は以下の感じ。
- モネは、生涯2000点以上の作品を描いている。
- ボストン美術館のモネコレクションは、フランス以外では最大と言われる。
- 実は、美術館毎にコレクションの傾向がわかる。
「展覧会全般について」 - 日本では、約40年振りのボストン美術館の回顧展
- ボストン美術館は、ボストン市民有志が集まり作ったと言う特徴がある。ボストン美術館のコレクションは、政府などの公的機関よるものではなく、コレクターにより集められ、今日50万点のコレクションがある。コレクションは、今に至るまで市民の手に支えられている。
- ボストン美術館のコレクションは絵画だけではなく、古代エジプトコレクションも充実している。これは、ボストン美術館とハーバード大の共同調査によるところが大きい。市場で入手したわけでないので、由来が明確で研究に貢献している。
- 英一蝶の《涅槃図》も特徴的。劣化していたのを修復されたほか、今回、渡米して初めての里帰りである。
「ボストン美術館のフランス絵画について」 - 今回フランス絵画は、バルビゾン派から始まっている。ボストンでは、バルビゾン派の絵画が人気だった。
- ミレーの確認されている静物画3点のうち一点の《洋梨》が今回来日。
- 《洋梨》、《ブドウ畑にて》(共にジャン=フランソワ・ミレー)のコレクター、クインシー・アダムズ・ショーは、パリ以外では最大のミレーコレクションを作り上げた人物。亡くなった時は、ボストン最大の納税者としても知られる。ちなみに名前は、アメリカ大統領のジョン・クインシー・アダムズにちなんでいる。
- ジョン・テイラー・スポルディングは、ドガの《腕を組んだバレエの踊り子》の未完成さに魅力された。また、ポール・セザンヌの《卓上の果物と水差し》がお気に入りだった。
- ピエール=オーギュスト・ルノワールの《陶製ポットに生けられた花》とクロード・モネの《花と果物のある静物》は同じものを描いていると考えられる。
- フィンセント・ファン・ゴッホの《郵便配達人ジョゼフ・ルーラン》と《子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人》は、並べてみると対の作品の様に見えるが、元々は別の作品。両方ともアルルで描かれたもの。縁も所縁もないアルルに行ったゴッホの、人物画を書きたいと言う要望に応え、友人にもなったのがこの2人。2つの作品は、1年ほどしか間隔があいていないが、作風がだいぶ異なる。この間、所謂耳削ぎ事件が起きている。
- ジュリアナ・チーニー・エドワーズ・コレクションは、ジュリアナが集めたものでは無く、ジュリアナの子供達が母親を偲んで集めたもの。従って、コレクションの名前になっているジュリアナは、収集された作品を見ていない。コレクションは57点あり、うち10点がモネ。ピサロ初期の作品もある。《くぼ地のヒナゲシ畑、ジヴェルニー近郊》(クロード・モネ)は筆のタッチでくぼ地を表現するなどの特徴がみられる。《ルーアン大聖堂、正面》(クロード・モネ)は、ルーアン大聖堂連作の1つで、アトリエで仕上げられたが、実際には1892年1893年辺りに外で描かれたと考えられる。
- 《アンティーブ、午後の効果》(クロード・モネ)は、連作と言う程ではないが、同じ構図で数点の作品がある
- 《睡蓮》(クロード・モネ)は、100点以上描かれた連作。初期は睡蓮の池の周囲も描かれていたが、この頃には睡蓮池だけが描かれている。
「ボストン美術館のモネ・コレクション」
ボストンとモネの関わり - ボストンとモネの関りは比較的早く、1866年、ボストンに初めてモネの作品が1点登場している。
- 次は、1883年国際貿易博覧会で3点展示されている。
- この頃から、フランス絵画の人気が、元々ボストンで人気のあったバルビゾン派から次第に印象派に変わっていく。
- 1891年モネ、ピサロ、シスレーのグループ展が開催
- 1892年ボストンで初めてモネ展が開催。21点が展示されたが、「スペースに余裕があれば、もっと展示できた」とも言われ、当時ボストン近郊には40点ほどモネの作品があったと見られる。
- 1911年まで、のべ250点(重複のぞいて110点)のモネの作品がボストンで展示された。1911年は、モネが後に睡蓮の池となる土地を購入する前の年でもある。それほど早くから、ボストンはモネの作品との関係を持っていた。
- 1906年ボストン美術館で初めてモネ作品を収蔵。アメリカの美術館でも最初。
- 1911年ボストン美術館でモネ展開催。全部で45点出展されたが、《庭のカミーユ・モネとその子供》の1点以外は全て風景画。収蔵品4点、借用41点。45点のうち14点が今のボストン美術館に収蔵。
- 1927年にボストン美術館でモネ追悼展を開催した以降1957年まで、アメリカではモネ回顧展は開催されない。
- 実は、1910年初めてボストン美術館の西洋美術の学芸員リグレー(?)が着任。それまで、西洋美術の学芸員は居なかった。彼がフランス人と言う事も、ボストン美術館の早いモネへ取り組みと関係があるのかもしれない
- ほとんど風景画と言うのが、ボストン美術館のモネ・コレクションの特徴。《ラ・ジャポネーズ》と《庭のカミーユ・モネとその子供》が例外。時期的には、初期から晩年までと幅広く、印象派モネ以前の作品も収蔵。
- 前述の様にボストン美術館は市民に支えられた美術館であるので、基本的に収蔵品は寄付などによっている。《ラ・ジャポネーズ》は、ボストン美術館でたった3点の購入絵画の一つ。
- ボストン美術館には最晩年の作品が無い。モネ最晩年の作品は表現が荒々しく、中々評価が定まらなかったため市場に出回らなかったと言う背景がある他、相続した次男が亡くなった後は直ぐに寄贈されたと言う理由もある。
- ボストン市民は、印象派を好み、とりわけ風景画を好んだと考えられる。ボストンの印象派がくる以前、バルビゾン派が好まれていたと言う背景がある。
- ボストン美術館は、他のアメリカの美術館に比べて収蔵し始めるのが早かった一方、1970年代でモネの収蔵がストップしている。
こんな感じでしょうか。
キッチリとまとめられた感があって、わかりやすい講演でした。