「選ばれたとはっきり分かる」 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

犠牲タンやマイドラさんも記事にしておられましたが、2021年の記念式当日に見るように指示されているという、統治体スティーブン・レットの講話のテキストを書き起こして検証。

 

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記念式の日の朝の崇拝

M・スティーブン・レット:「聖なる力が私たちの精神と共に証明します」(ローマ 8:16)
 

(導入部略)

 

...今日の聖句であるローマ 8:16は 天で永遠に生き、メシアの王国でキリストと共に仕える人たちについて述べています。もう一度読んでみましょう。

 

ローマ 8:16 「私たちが神の子供であることを聖なる力が私たちの精神と共に証明します」


では 神の聖なる力はある人が天に行くよう選ばれていることをどのように「証明」するのでしょうか。この点を「使徒の活動」から考えましょう

 

まず 使徒 1:4, 5を目で追うと、イエスが復活後しばらくして弟子たちに現れ、エルサレムにとどまって特別な贈り物を待つように指示したことが分かります。その贈り物とは 聖なる力です。イエスの言葉通り、その後、ペンテコステの日に聖なる力が注がれました。階上の部屋に集まっていた120人ほどの弟子たちが聖なる力に満たされました。目覚ましい出来事でした。ご一緒に使徒 2章を読んでみましょう。2節からです。
 

「突然 激しい風が吹き付けるような音が天からして 彼らが座っていた家全体に響き渡った。そして 炎のような舌が幾つも現れ 散っていって一人一人の上に1つずつとどまり 皆が聖なる力に満たされ さまざまな言語で話し始めた。聖なる力が話せるようにしたのである」

 

この120人は聖なる力によって選ばれた最初の人々になり、イエスと共に天で統治するという希望を与えられました。彼らはその日のことを
忘れなかったでしょう。神の聖なる力が自分の精神と共に証明したことを全く疑わなかったはずです。


では この出来事の後はどうですか。天でイエスと共に仕えるよう選ばれた人は皆、この120人のように奇跡的な経験をしますか。そうではありません。その点について使徒 2:37, 38を見てみましょう。同じペンテコステの日に天に行くよう選ばれた何千人もの弟子たちについて述べられています。37節からです。

 

「人々はこれを聞くと 心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに言った。『皆さん 兄弟たち 私たちはどうしたらよいのですか』。ペテロは言った 。『悔い改めなさい。そして一人一人 罪の許しのためにイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば 無償の贈り物である聖なる力を受けます』」。


41節によると 約3000人がバプテスマを受けました。彼らはバプテスマを受けた後、聖なる力によって選ばれました。しかし 目覚ましい出来事は経験しませんでした。同じ日の少し前に選ばれた120人とは異なっていました。

 

ここで別の質問が生じます。聖なる力が天に行くよう選ばれた人たちの精神と共に証明するのは、バプテスマを受ける日ですか。そうではありません。この点について使徒 8章を読んでみましょう。非常に興味深い記述があります。14節からです。

 

「エルサレムにいる使徒たちはサマリアの人々が神の言葉を受け入れたことを聞くと、ペテロとヨハネを遣わした。2人はサマリアに下り、人々が聖なる力を受けるようにと祈った。その人々のうちの誰もまだ聖なる力を受けておらず、主イエスの名によってバプテスマを受けていただけだった。それで2人が人々に手を置いていくと、聖なる力を受けるようになった」。


ですから 聖なる力が天に行くよう選ばれたサマリアの人たちの精神と共に証明したのは、バプテスマのしばらく後でした。私たちの時代もそうです。エホバの聖なる力が誰かの精神と共に証明するのは、その人がバプテスマを受け、ある程度の期間エホバに仕えて忠実さを実証した後のことです。

 

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※ここでいったんまとめと注記:

 

「ペンテコステのときの3000人のイスラエル人はバプテスマを受けた直後に聖なる力によって選ばれた、でもサマリア人はバプテスマのしばらく後に聖なる力によって選ばれた。今の「選び」はサマリア人のパターンである」という説明ですが(なぜそうなのかという説明はなし)

 

 

ものみの塔1980年2月15日号 P25ページ

そして翌年(西暦34年)と思われますが,...「良いたより」はサマリアに伝えられるようになり,そこのバプテスマを受けた信者に聖霊が『下りました』。(使徒 8:15-17)

 

サマリア人が聖なる力で選ばれたのはだいたい西暦34年。西暦33年のイエスの死後に音信を聞いてすぐ献身したのだとしても、バプテスマを受けてたった1年ほどしか経っていない人たちでした。

 

 

そんなわけで、1世紀の「選び」は、聖書を読む限り

 

「長年クリスチャンとして宣教活動に携わってきた人を厳選した」

 

のではなく

 

「新人さんを集めまくった」

 

というのが正しく

 

そういう聖書的記述からすれば

 

今、バプテスマを受けてほんの数年の人が「パンとぶどう酒にあずかった」としても、聖書的に「おかしい」と言える根拠はまったくありません。

 

 

※注記終わり。レットさんの話の続き:

 

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では、天に行くよう選ばれた人は、どのようにしてそのことを知るのでしょうか。ヨハネ第一 2章を見てみましょう。そこにヒントがあります。

 

ヨハネ第一 2:20「皆さんは聖なる方によって選ばれており、全員が知識を持っています」。

 

その人には知識があります。選ばれたとはっきり分かるのです。27節も読みます。

 

「皆さんは神によって選ばれているので誰かから教えを受ける必要はありません。選ばれていることは真実であって偽りではなく そのことによって皆さんは全てのことを教えられています」。


天に行くよう選ばれた人はそのことを誰にも確かめる必要はありません。選ばれたことははっきりしていて、真実で、間違いありません。考えてみてください。聖なる力は宇宙で最も強力な力です。エホバはその力で太陽、月、星を造り、天と地にいる生きているもの全てを造りました。また その力を使って聖書筆者にメッセージを伝えました。


エホバは宇宙で最もコミュニケーション能力が高い方です。エホバが強力な聖なる力で証明するのであれば、こんな伝え方はしないはずです。「もしかしたらあなたは選ばれているかもしれません」。そんな言い方をして困惑させたり、動揺させたりするでしょうか。そんなことはしません。エホバは明確にはっきりと伝えます。伝えられた人は全く疑いません。はっきり理解し、確信します。ですから、ある人が自分が選ばれたかどうか確信が持てないなら、答えは明らかです。選ばれていません。

 

では 聖なる力によって天に行くよう選ばれていない大勢の人にはどんな見込みがありますか。エホバが人間を造った時に与えた素晴らしい希望があります。一部の人が天に行く希望は後から与えられたものです。元々は地上のパラダイスで永遠に生きるはずでした。実際 今日の聖句の少し後を見ると ローマ 8:21ですが 人間という創造物について 「創造物も腐敗への奴隷状態から自由にされ神の子供の輝かしい自由を得る」と述べられています。ですから 天での命であれ 地上での命であれ 世界中でエホバに仕える私たち全ては 永遠に生きるという素晴らしい希望が実現することを楽しみにしています。

 

(以下略)

 

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人はなぜ「天に行くと選ばれていると分かるのか」という問いの答えは、まとめると

 

自分は天に行くと"はっきり"思い込んでいるから

 

ただただ、そういう説明です。

 

 

 

この講話は、当然のことながら、今や2万人を突破し、年々5%の増加率で増え続ける

 

「油注がれた残りの者の人口増加問題」

 

に対処するための、記念式直前の苦肉の策でもあるのでしょう。

 

 

ただし、エホバの証人の精神構造について内側から理解できる元JWならそれこそ「はっきり分かる」ことは

 

「食べたり飲んだりしている人たちはどの人も、あやふやな気持ちではなく、強い思い込みと確信を持ってそうしている」

 

ということです。この程度の話を当日の朝に聞いたからといって、「自分はあやふやだから、あずかるのやめる」って人はほとんどいないことでしょう。

 

 

そんなわけで、今年もおそらくあずかる人は2万人の大台をキープするのではないかと予想します。あるいはもしかするとコロナの影響でメンタル面でのちょっとした不調をきたしており

 

ものみの塔研2020年1月号P30ページ

...(表象物にあずかる人の)集計には,選ばれていると思い込んでいる人の数も含まれています。......精神的または感情的な疾患のために,自分は天でキリストと治めることになると信じている人もいるでしょう。

 

思い込みの激しさに拍車のかかった人たちの、多数の「新規参入」もあるのではないかと思っています。結果が楽しみです。

 

 

 

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