6月6日その後 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

1985年6月6日に鈴木大ちゃんが交通事故に遭い不幸な結果になり、騒ぎとなる。この件を受けJW側代表者の記者会見が開かれ、テレビのワイドショーなどで様子が放送される。

 

協会代表は、当時支部委員の藤本亮介兄弟 (東大卒と聞いていますが正しいのかな) と、医師として中○○○兄弟 (東大医学部卒:塔77/12/15にライフストーリーあり)。あと1人くらいいたのかな (記憶が曖昧なので間違っていたら指摘してください)。

 

記者とのやり取りの詳細は覚えていないのですが、記者の「いったい親が子どもの命について決めることができるんですか」という厳しい質問に、中○医師、厳しい口調で「ではいったい誰が決めると言うんですか」と返して記者を黙らせる。ベテルでも仕事を終えて皆で録画を見たそうですが、このやり取りには拍手喝采があったと聞いています。

 

支部は対外対応しないといけないこういった状況はいつでも生じ得るから、世の人からも一目置かれるように、そして記者会見等でも切り返しができるように、「一定の学歴の人を要職に」って暗黙の了解事項があるんでしょうか。そもそも神奈川県にでんと構えているのに、使用する法人名称は「ものみの塔聖書冊子協会 東京都」なのは、対外的な印象を考慮してということらしい。霊的には意味はないと分かっていても、「東京都」とか「○×大卒」っていうラベルから自由になるのは難しいことなのでしょう。

 

現在では同じような状況で医師が裁判所に連絡を取れば、親権停止となって子どもの医療に親の意向が及ばなくなる。「医療行為は守秘すべき機密個人情報」という意識も格段に向上しており、プライベートな医療の選択が当人の名前とともに世間にさらされるということも、もはやないのかもしれません。33年前に比べて、この世は制度面で進歩を遂げています。結局、緊急時の子どものセーフガードを真面目に議論して整えてくれたのは世であり、「いったい誰が決めると言うんですか」という問いにも、自分たちなりにきちんと答えを出そうとしているのは「世」のほうのように見えます。JW側は「書面を携行しましょう」程度の指示を出す以上に、子どもの緊急時対応に関して何かを議論し、整えてきたのでしょうか。

 

大ちゃん本人が今生きていたら、自分自身に関してどういう選択をする大人になっていたのでしょう。交通事故に遭ったのは、神権宣教学校での初めての割り当てを果たす練習に出かけたときだったということです。ちなみに大ちゃんのお姉さんは姉妹になって、必要の大きな会衆で奉仕しておられると知人から聞きました。