前記事:
X上での、児童期に「ドラえもんが視聴禁止だった」というEXJW氏の投稿に対するエホバの証人擁護派「森のくまさん」氏の反論投稿を土台に、「その①」に引き続き論考します。
それぞれの投稿を再掲します。
今回は「森のくまさん」氏の
「私が言いたいのは、私と同様に子ども時代に普通にテレビ・漫画・アニメを楽しんだJW2世がほとんどだという事です」
という発言の問題点を指摘したいと思います。
まず、関係するエホバの証人資料の引用です。
●ものみの塔2007年10月15日号「良心に従って行動する」
9 ...クリスチャンは,はっきり非とされてはいない多くの事柄に関しては,信者たちの間にも見方の違いがあり得ることを認めています...聖書中に明確な指示のない,生活上の事柄に関しては,他の人がみな自分と全く同じ考え方をすることを期待しません。具体的な例について考えてみましょう。
10 ...夫婦の片方だけがクリスチャンである家庭...親族の一人が結婚することになり,式がキリスト教世界の教会で行なわれます。...妻はどうするでしょうか。二つの可能性が考えられます。
11 ロイスという女性は...『大いなるバビロンから出なさい』という聖書の重要な命令について思い巡らし...夫の気持ちに配慮しながら,たとえあなたが出席するとしても,わたしは出席できない,ということを説明します。...
12 ルースという女性...夫と一緒に行くことにしますが,どんな宗教行為にも加わらないことを決意し,自分の良心に背かないように行動します。...
14 ...ルースの決定は良くないのでしょうか。それは他の人の言うべきことではありません...その決定を裁いたり批判したりすべきではありません...真のクリスチャンであれば,訓練された良心の導きを無視するよう他の人に勧めたいとは思わないはずです。良心の導きを無視することは,命にかかわる警告に耳を閉ざすようなものだからです。
この「良心の分野の決定」についての説明は、漫画やアニメなどの娯楽の選択にもそのまま応用できるものです。
記事の要点は次のとおりです。
「良心の分野」では
●ある信者と他の信者の決定が異なることがあり得る。そのどちらの決定も肯定され、尊重される
●各自が下した決定を他者が批判したり、守らなくてよいなどと言ったりしてはならない
EXJW氏の親がどのような原則や状況を考慮して「ドラえもん視聴禁止」としたのかはわかりませんが、たとえば
・漫画は全般に「サタンの世」のものである
・安易な問題解決や復讐を描いている
・子どもがあまりに夢中になり、不必要に時間が奪われる可能性がある
などを考慮してその決定を下すのは、十分あり得ることです。
いずれにしても
原則や状況の考慮を経て
エホバの証人親が子どもに対して「ドラえもんの視聴を禁止」したとしたら
その決定は家族にとっての「正しい決定」となり
信者コミュニティ内ではその決定は「尊重されるべきもの」となります。
それが「多数派の"普通の"決定」でないとしても何ら問題はありません。
「森のくまさん」氏は
「ドラえもん視聴禁止はその親独自のやり方だ、エホバの証人家庭では"普通"ではない(異常なことだ)」という趣旨の発言をしているわけですが
どの家庭の決定も基本的に「独自のもの」であり、「"普通"である必要もない」わけですから
氏の発言はまったくの的外れであり
「他の信者の決定を裁いたり批判したりすべきではない」
という指示にも抵触しています。
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「森のくまさん」氏は、EXJW氏の投稿への批判によって
「エホバの証人二世は"普通の生き方"をしている」との主張を通したいように見えます。
仮に「エホバの証人二世はテロリストである」といった投稿に対してであれば
「いや普通の若者です」という反論も成り立つでしょうが
「漫画やアニメの視聴に制限があった」という体験投稿に対して
「いやそれはおかしい、二世は"普通に"見聞きしているはず」という反論は
エホバの証人側にとっても「迷惑でしかない」と思います。
ものみの塔2010年4月15日号P22
"...クリスチャンの親は家庭において,何を見ることを許すかに関し,エホバのみ前に責任を負っています。真のクリスチャンは故意に心霊術にかかわったりはしませんが,親は,怪異な習わしを呼び物にする映画,テレビの連続番組,テレビゲームに,またマンガや児童書にも,気をつける必要があります。―箴 22:5"
目ざめよ!1992年6月22日号P15「どうすれば人と違っていられるだけの勇気を持てるだろうか」
...クリスチャンの若者は他の人に迎合する義務はありません。イエスがヨハネ 15章19節で定めた規則に従うので,不敬虔な人々の『世のものではありません』。
ものみの塔1991年9月1日号P20
今日,最大の時間泥棒の一つとなっているのはテレビです。テレビは...有害な道具になりかねません。...テレビを見ることを二の次にしにくい人が,全くテレビなしで済ませることを考えるのも,もっともなことです。―マタイ 5:29; 18:9。
エホバの証人の真面目な児童・若者の大きな課題の1つは
「サタンの世と異なる"普通でない生き方"をすること、それを恥じないこと」です。
特定のテレビ番組を見ないどころか、提案に応じて「テレビがない」エホバの証人家庭もあったわけで
理論上は現在でも
「うちはドラえもんは見ない決まりになってるんです」「うちはテレビはないです」という子どもが会衆にいるとしても、別におかしくはありません。
そのような子どもがいる場合
周囲の会衆の成員たちはその決定を肯定し、
「えらいね、がんばってね」と応援する以外の選択肢はありません。
「森のくまさん」氏の発言は、そういう生き方をしている(あるいはしてきた)真面目なエホバの証人児童や信者について
「エホバの証人と関係ない、親独自の規則に縛られているだけ、普通ではなく、おかしい」と言っていることに他ならず
実際には思慮深さや気遣いがない発言です(ヨブを慰めているつもりだった背教者たちとまるで同じ)。
また、この件に別の角度から光を当てると
擁護派が「エホバの証人児童は普通に漫画やアニメを見ています」とことさら強調したがるということは
エホバの証人組織が「世との同化路線(俗化)」へとますます進んでいることの表れなのかもしれず
近年よくある「組織の提案に真面目に従ってきた人ほど馬鹿を見る」というパターンが
この「漫画・アニメの選択」の面でも起きているということを示唆しているのかもしれません。
今後の国際大会で「日本と言えばアニメでしょう」とばかり
「大会会場でドラえもんのバッタもんのような着ぐるみが他国からの代表者を迎える」なんて未来予想図も
「歌おう踊ろう」の現状からすると「あり得ない」とは言い切れないほど
現実に「組織の俗化」は進んでいるように見えます。
そういう変化はつまり
「神さまを喜ばせるため、滅びないため」と親に言い聞かせられ
児童期に乏しい娯楽で耐えた人たちの我慢が
意味や価値を失いつつあるということです。
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最後に:
ドラえもんの製造年月日は「2112年9月3日」という設定、まだ遠い先とは言え、人類がその日付を楽園が来ないまま迎えることは確実であり
「ラッセル、ラザフォード、フランズのはったりの預言」なんかより
「藤子不二雄の思い描いた近未来の予言」のほうが、将来を展望するためによほど読む意味はあると思います。
今現在、JW3 / JW4を育てている親御さんがひょっとしてこの記事を読んでおり
「ドラえもんを子どもに見せてよいかどうか」を仮に検討することがあるとしたら
是非そのあたりも考慮に入れて、ご家族の益となる決定を下すようになさってください。
(記事終わり)
サムネ用:





