1985年6月6日、神奈川県川崎市でエホバの証人家庭の10才の男子児童が交通事故に遭い、親権者が輸血を伴う治療を拒否したために適切な治療を受けることができず亡くなった日から今日で41年です。
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ここ数年、毎年この日付に記事を書いて投稿していますが、エホバの証人の「輸血拒否に関する状況」はこの1年(ここ数か月)で大きな変化があり、2026年3月20日の「統治体の話(2)」をもって「貯血式の自己血輸血」が解禁されました。
もちろん解禁といっても部分的であり、現時点でも引き続きエホバの証人は「輸血禁止」を維持、「自己血輸血」でカバーできない状況下では、信者とその児童が負うリスクは何ら変わりありません。
しかしながらこの1年は、単に「緩和・解禁された」というだけでなく
大きな教義や指針の変更(「大学実質解禁」なども含む)を通して
統治体はほとんど無思慮、思いつきと言える聖書解釈で信者に重い荷を課してきたことが一層はっきり見えてきた
という「収穫」があった1年でもありました。
「自己血輸血解禁」の発表時に、なぜ今それを「聖書的に問題ない」と見なすようになったかも説明されましたが
ただただ
信者の命を左右する聖書解釈を、統治体がいかにずさんに行ってきたかがわかる
ため息が出るような説明でしかありませんでした。
解説ブログ記事:※統治体による解禁理由の説明は「新しい理解の開示」などではなく、「適用外の律法を根拠に、信者の皆さんに間違って自己血輸血も禁止してました、禁止を取り消します」という、ただの「訂正」であったという解説です(もちろん謝罪など一切なしです)。
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2026年の今、世界で起き、私たちが身をもって感じていることは
「ごく一握りの指導者の無謀な判断で、遠く離れた地に住む人にも影響が及ぶ」
という世界の現実です。
1985年6月6日
さまざまな可能性があったはずの少年に起きた悲劇も
特定の宗教団体という枠の中での出来事ですが
まさにそれと共通の
「ごく一握りの宗教指導者の愚かな判断で、遠く離れた地の弱い立場の信者が取り返しのつかない不利益を被る」
という構図です。
その不幸な仕組みを誰も気にせず、誰も声を上げないような世界であってはならず
そのためにも、6月6日はこれからも、日本でこの宗教団体に関わってしまった元二世たちにとって
忘れてはならない特別な日であり続けないといけないと思います。

