介護についてとか

介護の現場について

もっといっぱい書きたいなと

思ってるのだけど

 

いわゆる尊厳とか

人生の先輩とか(まぁ先輩は先輩やけど)

そういうことが書きたいんではない

 

 

今更ながら

自分のやっていることや

何を感じながら仕事をしているか

言語化してこなかったなぁと

痛恨の極み



言葉にする、を諦めて来たなぁと思う

感じたことを繊細に表現することから

逃げてきた

 

でも気づいた今から

スタートしてもいいだろう


まずは書けることから少しずつ

書いてみよう

 

 

***

 

 

最初の職場が病院だったせいもあって

医療や治療が優先されるということは

本人の希望や思いは二の次だった

切り捨てられることが多かった

 

実際命のやり取りの現場にいれば

命だけが最優先で

命の持ち主は二の次で

なんか変やなと思いながらも

介護とはそういうもんやと思ってた

 

私も今よりずっと

感受性を固く閉じて仕事をしていて

そうしないと介護職を家来くらいに思ってる

エラいキツイ看護師や職場環境から

自分や仲間を守れなかった

 

それでも感じた感情にフタをし続けて

爆発したこと一度や二度ではない

 

ドギツイ看護師さんとナースステーションで

大ゲンカしたこともあったなぁ(遠い目)

 

苦しくてうまく行かなくて

心のことを学び始めて

病院勤務は自分には合わないと

ようやく分かった

 

めっちゃ言い訳みたいになってるけどw

 

 

その後、真逆の施設に就職する

 

コロナ禍においてもマスクをせず

注射も打たない打たせない

 

すでに私の界隈の心理学系の中では

スタンダードな生き方だったし

何ら問題なかった

 

経営者は人格者で仙人のようで

素晴らしい善人だったが

 

ファミリー感が強すぎて

優しさが愛が苦しかった

このままここにいたら

逃げられないと思った

 

その後 

病院でもなく個人経営でもなく

ちょうど中庸な感じの

今の会社に全振りしたのだ

 

決まりはあるけど

押しつけられる感じはなくて

それがとても自分に合っている

 

私の単純で短絡的な発想を出しても

頭ごなしに否定されない

まずは聞いてくれるし

その上で言いにくいこともちゃんと伝えてくれる

 

だからって自分の考えが正解とは言わない


立場や状況、家族の意向など

いろんなことが複雑に絡み合って

その人の歴史や環境が作られてきた

 

人は良い時もあれば

そうじゃないときもあるのが常


今回たまたまうまくいっただけかも

って事は

うまくいかない時もあるわけで

 


通り一遍の答えじゃなくて

教科書みたいなやり方じゃなくて

何がその人にとっての正解か

問い続ける姿勢がかっこいいのだ



介護職になって20年

頭だけ上辺だけ口先だけ

そんなやり方はなんか違うと思っても


何がどう違うのか

私はどう感じているのか

この違和感はどこから来るのか

分かっていなかった

分かろうとしてこなかった


今ようやくお年寄りに

自分が追いついて来た感じがする


お年寄りは私がどうあろうと

ずっと待ってくれていた

 


今日は美味しいお寿司を食べました



これからもアウトプットの練習がんばるぞーーい

 

 

 

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