わたしがブログを書くようになったのは

いつごろからだったか

 

おそらく20代の会社員時代からだから

20年前くらいからか

最初は書きたいという純粋な動機だった

意味などなかった

 

 

そして月日は流れ

社会に揉まれ色々疲れ果て

全てが上手く行かず

八方ふさがりになったわたしは心の学びを始めた

 

心の学びを始めた大きな目的の一つは

「二人目の子供を出産するため」だった

 

これだけ色々やってるのに妊娠しないってなんでなんだ?

もう精神面の中にしか答えはないんじゃないか?

 

そこで少しだけ現実が良くなったから

あろうことかカウンセラーになろうとした

今思えば道を間違ったんだね

 

でもそういうことは良くあるよね

自分がラクになったから

同じように苦しんでいた人を救いたい助けになりたいと思った

 

また講師や先輩カウンセラーは輝いているように見えた

幸せの解像度が粗すぎることなど気付きもしないわたしが憧れるのは自然なことだった

 

 

カウンセラーになるために

情報発信をするということで

amebaにブログを開設し

このブログはスタートした

 

有り難いことに

カウンセリングを受けてくださる方も

いらっしゃった
お金もたくさんいただいた

こんなわたしに憧れてくださる方もいた

でもわたしは幸せじゃなかった

わたしも気付いていなかったけど

 

わたしの中にある本当(のわたし)は

「わたしが本気を出したらこんなもんじゃない」のは知っていた

だけど、どうしてもいつも心の底からは

本気になれなかった

 

だってわたしの本当の望みは

「二人目の子供を産む」ことだったのだもの

でも自我まみれだったわたしは

「他者のお役に立つこと」がわたしの存在価値と信じてた

 

その間に2度授かり2度流産した

 

この子達がわたしに命をかけて教えてくれたのに

わたしは流産した、わたしは可愛そう、わたしのせいでこうなった、と

自分の事ばかりで気付いてやれなかった

 

子供を望み、母となること

それが以前のわたしの望みだった

 

そのころ45歳を超えていたわたしに

ある人が体外受精に挑戦しなさい、と言った

 

体外受精なんかしたくない、とわたしは答えた

 

その人は悲しそうに、

「なんか」という言葉は体外受精をしている人に失礼じゃない?

と熱心に言ってくれた

 

 

でもその瞬間わたしの本性が牙を剥いた

人の指図は絶対受けない

俺様の領域に入ってくるな!

 

 

嫌なものは絶対嫌(その先に妊娠が待っていても人のいいなりになるのは嫌)

決められた時間に決められた行動をしなければ体外受精は出来ない

わたしにはそれが絶対やりたくないことだった

 

体外受精を頑張っている人を

ディスってるというよりは

むしろわたしに絶対出来ないことを頑張っているすごい人たち、と思ってたのに

 

あの時の怒りの原因は今ならよおおおおくわかる

わたしはどんな時も誰がなんと言おうと

自分で選びたかったんだ

 

お空に帰った子供たちは

「おかーさん、気付くのおせぇ」と笑ってるのだろうな

 

 

更にこともあろうに

ビリーフリセットに出会って3度目の間違いをした

またしてもここでカウンセラーになろうとしたから

 

ほんま人間って学ばないよね。

また、肥溜めにダイブw

 

 

風くんの「何なんw」を地で行っておりますネガティブ

 

 

 

 

長くなったので、つづきます。

 

 

 

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