昨夜は久々にオンラインで数人の仲間とエニアグラム探求をした。

 

Zoomって久し振りだけど、

今の私はそんなに必要じゃ無いなと思う。

内容はね、良かった。

エニアグラムはやっぱり面白かったなぁ。

 

 

そして今朝、ワンコの散歩しながら

つらつらと思いが湧いてきた。

 

 

幼少期、母と私が感情的に心を通わせることは少なかった。

私は幼い頃に(恐らく1歳にならないころ)母に頼ることは出来ないんだ、

自分で生きていかなきゃいけないんだ、と強く心に思ったのだろう。

弟が生まれたから。

その頃大人の事情で色々あったのだろう母は生まれたばかりの弟を連れ、実家に長いこと帰っていたという。

私は置いていかれ、(もちろん祖母も父もいた)そのことは心の傷になっていた。

普段気付けない心の奥底に、痛みの部分として残っていた。

 

 

とはいえですよ、

たとえそうだとしても実際の所はね、

そういう女(愛情深い女)が現われたら

めちゃくちゃ面倒くさいんだよな。

 

 

あらゆる場所でしばしば愛情深い女、

自己犠牲的な女に出会う。

みんなそういう女に

母親の姿を重ねて崇拝し依存的になる。

私は崇拝することが気持ち悪い。

依存されることも嫌い。

どうしても距離を持ってしまう。

昔はこれに気付けなかったから

結構エネルギー浪費したよね。

 

 

だからさ、私は常に研究者みたいな冷静で思慮深い人を師匠とするのだと思う。

その人に母を重ねたりもしない。

 

 

みんなみたいに出来ないのは

母のお陰だなと思うし、


結局なるべくして

今の私になってるなと思うんだ。