「私の時間は去年の3月から止まってるんだ…」
今日のブログは私のボヤキ全開です。でも人の失敗や不幸って面白いよね
そのことに気付いたのは先日。
師匠のあやさんのFBの投稿を見て私の中の何かが刺激された。
※ちなみに私は昨年受験→不合格でした。
ん??
なんだこの感じ。
快不快で言えば不快な感じ。
嫉妬のような怒りのような、羨望のような。
自分が置いてけぼりになったような。
なんだ?寂しいのか?
みんなの仲間に入れなかったと感じてる?
ひとりぼっちというよりは異質。
私だけおかしい。私だけ変。
みんなそれぞれの場で頑張ってる。
ジタバタやってる。かっこ悪かろうが、がむしゃらにトライしてる。
私だけ何も変わってない。
(私らしいビリーフの出現 & ツッコミどころ満載ですが、ここはとりあえず全部出すところなのでそのまま行く)
ゆっくり自分の嫌〜な感覚をじっくり味わっていましたら気付きました。
ああ、そっか。
まだ何も終わってなかったんだ…
ゲシュタルト療法の考え方である
「未解決な問題」。
未完了の感情や経験は時間を超えて存在する。
それは完結するまで続く。
父の撮った写真。
昨年の3月は父が癌で亡くなり、その後すぐ認定試験があり不合格になり、なんていうか「のうのうと歩いてたら急な濁流に流され命だけ助かった」って感じで。
何が何だか分からないうちに抜け殻になったような時期だった。
プラス認定試験不合格ってさぁ。
ハッキリ言って「お前ダメ認定(ビリーフリセットカウンセラーとして)」だから。相当なショックだったと思う。
そもそも合格圏内には及ばないだろうと分かってたよ。だけど2回の実技のカウンセリングで実力を発揮出来なかったことが一番悔しかったし情けなかった。本丸(核心)さえ見つけられなかった。
しかも2回とも。はぁーーーー…
おれは一体何をやってきたんだ、今まで。何を見てきたんだよ。
それでも体裁だけは整えなければと(泣けるね)、関係者の方などに報告してたら自分の感情を感じることが無いまま時間だけが過ぎてったのかなーと。
父の死と認定不合格。そのことを見ないふりをしてきたんだ、この1年。
私の中では終わっていなかった。
私の中では父は死に切れていないし、認定試験は終わっていない。
このことに本当は気付きたくなかった。
「もう大丈夫です、乗り切りましたよ」的な顔して今日まで生きていたから。
人には話せないような辛い体験であった場合には、それらが「浮上」してこないように抑え込む行動はとても強いものになってしまいます。その抑え込む行動が強すぎると、人は「未解決な問題」を持っていないように振る舞うのです。
引用 「家族連鎖のセラピー ーゲシュタルト療法の視点からー」(百武正嗣 著)
本当まじコレだ。恥ずかしいほどその通りだ。ここを完了させないと次に行けない。母の事とかやってる場合じゃ無かったw(それはそれで必要だったのかもね)
逆に言えばさぁ、次に行く段階に来たって事じゃない?向き合える器が育ってきたと言えるよね。私すごくない?そして師匠&仲間たち教えてくれてありがとうじゃない?
しかも師匠や仲間から感じてた疎外感ってコレ、月星座水瓶の「スネちゃま」そのまんまだーーww 見えない城壁築いてるの私なんですけどwww
ってことで、3月もあと少しですが少しずつ父の死についてと認定試験不合格について書き綴っていこうと思う。
そして、今気づいたけどお彼岸の真っ最中だった。