今回は、どーでもいいことについて書きます。
ちょっと気になったこと。
大学のときは、けっこう自己啓発系の本とか、いろいろ読みあさったりしてましたが、
でも、今は、ほっとんど読まなくなりました。
理由は、二つ。
1.たいていの本が同じようなことについて書いていることに気がついたから。
2.読んだだけでは、意味がないことに気がついたから。
自己啓発本を全否定するつもりはありません。
そこに書いてある手段、方法などは、結局同じようなことを、違う言葉で説明しているものだったとしても、そんなことよりも大事なのは、その著者には、そういったことがあり、その人は、こういう風にしたら、こうなった、というケーススタディの山、と見ることができるから、です。(ちょっと人の受け売りも入ってますが)
そのことでも、書く気になれば、いろいろ書けるんだろうし、もう書いている人もけっこういるんだろうけど、
今回の趣旨は、それではなく。
「決める」という言葉。
決断は、大切ですよ、という話ではなく、その逆の話です。(もちろん決断は大事です)
先日、渋谷で、知人と久々にお茶しよう、ということになり、お互いの近況というような話をしている中で、
いつものように、ダチョウの話をし、そこに賭けるべき可能性を感じており、また行動に移すつもりで、すでに動き始めていることを話したところ、
「その決めた、というのが伝わるよ。」と相手に言われ、自分の熱意が相手に伝わったのだと、嬉しく思いました。
が、そのあとの話の方向がどうもおかしい。
「どうやって決めたの?」
「決めるために、何を考えた?」
「決めるのには、何が大事?」
と、「決める」ということが、話題の主役に。
「やる」と決断し、行動に移すこと、そうしないと、物事は始まらない。
だから、決断は大事だ、というのは、わかりますし、大事なことです。
が、「決める」ということは、そんなにこだわるべきものなのだろうか?
妙な引っかかりを覚えつつ、思ったことを、そのまま言葉で伝え、返し、
次の予定の時間がある、ということで、この日は、そこで別れました。
帰宅後、相手に、お礼のメールを送り、返ってきた返信に書いてあったのは、
「決め具合めちゃくちゃ凄かった!」という言葉。
この言葉に、ものすごいもやもやした気持ちを抱えてしまったので、
ここに書くことにしました。
なにが引っかかったかというと、「決め具合」という言葉。
「決め具合」、とかというのは、
決められない人が使うような言葉なんじゃないでしょうか?
やる、と決めたときには、
そのままやるか、やっぱやめた、しかありません。
決めるのが、先にあるのではなく、
やることが先にあり、それをやることを決めた、というだけのことなんです。
レストランなどで、メニューを見ながら、
何にしようか見ていて、食べたいのがあったから、それに決めた、というときには、
決めることなんか考えていないんです。
決めないといけないから、と注文した料理は、
やっぱりあっちのがよかったかも、とか思ってしまいがちなんですが、
それって結局受け身なんですよね。
受け身でしてしまった決断は、
他人に責任かぶせられるから、なにかあっても、自分の決めたことの責任は自分でとらず、
人にかぶせようとしてしまう。
「店員が急かすから、紅茶にしようかと思ってたけど、ついコーヒーにしちゃった」
「上司がプレッシャーかけるから、焦ってミスった」
「あいつのいうこと信じたら、損した」
○○のせいで、○○になった、といってしまいがちなことって多いけど、実際にどうするかを決めているのは自分だったりします。
ただ、なんとなく周りに流されて、そうしてしまったけど、ほんとは、あっちのほうがよかったかも、と思っても、
決めたのは、自分であり、
もしその上で、判断が誤っていたとしたら、正しく判断する材料を集められなかったことを悔いるか、予測を外してしまった不運を悔やむか、しかないことがほとんどではないでしょうか。
決める決めない、なんかより、大事なのは、
自分に何が必要なのか、問いかけることだと思います。
言いたいことは二つです。
1.「決断」することがすごいんじゃない。決断するための必要な材料を、集めきり、その上で、どうするか決めることが大切。
2.自分で決めたことは、自分でケツを持て。
ここに書いたのと同じようなことはその方にもメールで伝えましたし、
ここをその方自身が見る可能性も大いにあります。
上から目線な意見かもしれないし、わざわざ言うべき程のことか?とも思ったのですが、
結局、伝えることにしました。
だって、そんな「決め方」とかどうでもいいところで、足を止めてしまうなんてもったいない。
そう、プロシュートの兄貴がいうように、
「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ!

そういうことなんじゃないかな、と思うのです。
ちょっと気になったこと。
大学のときは、けっこう自己啓発系の本とか、いろいろ読みあさったりしてましたが、
でも、今は、ほっとんど読まなくなりました。
理由は、二つ。
1.たいていの本が同じようなことについて書いていることに気がついたから。
2.読んだだけでは、意味がないことに気がついたから。
自己啓発本を全否定するつもりはありません。
そこに書いてある手段、方法などは、結局同じようなことを、違う言葉で説明しているものだったとしても、そんなことよりも大事なのは、その著者には、そういったことがあり、その人は、こういう風にしたら、こうなった、というケーススタディの山、と見ることができるから、です。(ちょっと人の受け売りも入ってますが)
そのことでも、書く気になれば、いろいろ書けるんだろうし、もう書いている人もけっこういるんだろうけど、
今回の趣旨は、それではなく。
「決める」という言葉。
決断は、大切ですよ、という話ではなく、その逆の話です。(もちろん決断は大事です)
先日、渋谷で、知人と久々にお茶しよう、ということになり、お互いの近況というような話をしている中で、
いつものように、ダチョウの話をし、そこに賭けるべき可能性を感じており、また行動に移すつもりで、すでに動き始めていることを話したところ、
「その決めた、というのが伝わるよ。」と相手に言われ、自分の熱意が相手に伝わったのだと、嬉しく思いました。
が、そのあとの話の方向がどうもおかしい。
「どうやって決めたの?」
「決めるために、何を考えた?」
「決めるのには、何が大事?」
と、「決める」ということが、話題の主役に。
「やる」と決断し、行動に移すこと、そうしないと、物事は始まらない。
だから、決断は大事だ、というのは、わかりますし、大事なことです。
が、「決める」ということは、そんなにこだわるべきものなのだろうか?
妙な引っかかりを覚えつつ、思ったことを、そのまま言葉で伝え、返し、
次の予定の時間がある、ということで、この日は、そこで別れました。
帰宅後、相手に、お礼のメールを送り、返ってきた返信に書いてあったのは、
「決め具合めちゃくちゃ凄かった!」という言葉。
この言葉に、ものすごいもやもやした気持ちを抱えてしまったので、
ここに書くことにしました。
なにが引っかかったかというと、「決め具合」という言葉。
「決め具合」、とかというのは、
決められない人が使うような言葉なんじゃないでしょうか?
やる、と決めたときには、
そのままやるか、やっぱやめた、しかありません。
決めるのが、先にあるのではなく、
やることが先にあり、それをやることを決めた、というだけのことなんです。
レストランなどで、メニューを見ながら、
何にしようか見ていて、食べたいのがあったから、それに決めた、というときには、
決めることなんか考えていないんです。
決めないといけないから、と注文した料理は、
やっぱりあっちのがよかったかも、とか思ってしまいがちなんですが、
それって結局受け身なんですよね。
受け身でしてしまった決断は、
他人に責任かぶせられるから、なにかあっても、自分の決めたことの責任は自分でとらず、
人にかぶせようとしてしまう。
「店員が急かすから、紅茶にしようかと思ってたけど、ついコーヒーにしちゃった」
「上司がプレッシャーかけるから、焦ってミスった」
「あいつのいうこと信じたら、損した」
○○のせいで、○○になった、といってしまいがちなことって多いけど、実際にどうするかを決めているのは自分だったりします。
ただ、なんとなく周りに流されて、そうしてしまったけど、ほんとは、あっちのほうがよかったかも、と思っても、
決めたのは、自分であり、
もしその上で、判断が誤っていたとしたら、正しく判断する材料を集められなかったことを悔いるか、予測を外してしまった不運を悔やむか、しかないことがほとんどではないでしょうか。
決める決めない、なんかより、大事なのは、
自分に何が必要なのか、問いかけることだと思います。
言いたいことは二つです。
1.「決断」することがすごいんじゃない。決断するための必要な材料を、集めきり、その上で、どうするか決めることが大切。
2.自分で決めたことは、自分でケツを持て。
ここに書いたのと同じようなことはその方にもメールで伝えましたし、
ここをその方自身が見る可能性も大いにあります。
上から目線な意見かもしれないし、わざわざ言うべき程のことか?とも思ったのですが、
結局、伝えることにしました。
だって、そんな「決め方」とかどうでもいいところで、足を止めてしまうなんてもったいない。
そう、プロシュートの兄貴がいうように、
「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ!

そういうことなんじゃないかな、と思うのです。