「中学校の先生になる」という目標を見つけた息子は夏休みを経て、
2学期になってもその目標を見失ってはいませんでした。
「早く先生になりてぇ~」などと口にすることもありました。
「いやいや、まだ高校卒業して、大学卒業して、
教員試験に受からなきゃなれないから。」と、落ち着かせて(笑)
友人たちはもとより、先生方も驚いていました。
「最近、○○君、めっちゃ真面目っすよ」
「授業中の目が変わりましたよ。別人のようです。」
「毎年、一人いるんですよね~こういう大変身する子が。」
と、教えてくれたりしました。
やっぱり、本人を信じて待っててよかった、と思いました。
というより、待つしかなかったのですが。
2学期がはじまるとすぐに体育祭の練習。
息子の中学校にはメインイベントとも言える名物の団体競技がありました。
大太鼓の音にあわせての組体操です。
息子はその大太鼓を打たせてもらえることになったのです。
自分の太鼓の音で1~3年生の男子生徒が一斉に動き出す。
間違いは許されないと、手にマメを作って猛練習していたようです。
PTAの用事で学校に行くと、会う先生方が「○○君、がんばってますよ!」
と声を掛けてくださいます。もう、涙が出そうでした。
道端の石ころにさえ感謝したいぐらいでした。
それは、その前に学校へ行かなかった10ヶ月があったから
ことさら嬉しかったのです。
学校に行ってくれるだけでも充分幸せだったのに、
行事に対しても手を抜かずに取り組む息子の姿は
ユメかマボロシかと思いました。
あんまり幸せになりすぎると、それと同じくらいの不幸がやってきそうで
怖いくらいでした。
そんな心配をよそに、息子は塾でも3年生のクラスに追いつくように
熱心に個人指導を受けていました。
それでもそんなにスグに偏差値というものは上がりません。
目標のK高校への評価は「努力圏」。
歯を食いしばって勉強しても「安全圏」には届かないうちに年末を迎えます。
担任の先生も、塾の先生も「どうしますか?」と心配してくださったのですが
息子は結局志望校を変えませんでした。
今度は「切磋琢磨する競争相手が欲しい」と言って12月に
個人指導からグループのクラスに変わりました。
「オレは自分に甘いから、そういう場所に身を置かないとダメなんだ」
と本人はよく自分のことがわかっていたようです。(笑)
「やっと戻ってこれた!」そのとき私は思いました。
息子が夜遊びをしだして、塾を休みだし、2年生の1学期にこの塾を
辞めざるを得なかった時、「絶対もう一度戻ってくる!」と
私は心に秘めていました。
もう一度塾に行かせたいのではなく、元の息子に戻してやりたいと思ったのです。
あの戦場とも思える厳しい競争の中に戻るには相当の覚悟がいったことでしょう。息子は自らそこへまた戻って行きました。
私にしてやれることは、息子の健康管理のみです。
風邪をひかないように、お腹を壊さないように・・・
ところが、息子は年末に右手の甲を骨折してしまったのです。
全治2ヶ月の診断。受験まであと2ヶ月。鉛筆が持てない!!!!!
