お稽古進んでおります。
先週の日曜日夜〜火曜日朝まで、
沖縄に行ってきました。
到着した日曜日夜から雨が降り、
ご飯を食べてホテルに着くと
窓の外は土砂降り☔️
雷もピカピカゴロゴロ⚡️
翌月曜日は朝から行動開始でしたが
まだ雨は止まず。。。
最初に訪れたのは、
ひめゆり学徒隊が動員された
南風原陸軍病院20号壕跡
沖縄陸軍病院は
1944年5月に熊本で編成され、
6月から那覇市内で活動開始、
10月10日の空襲によって施設が焼失、
南風原国民学校の校舎に移転。
以降、野戦築城隊の指導のもとで、
字喜屋武(黄金森)と字兼城に
約30の横穴壕が造られ、
米軍の艦砲射撃が始まった1945年3月下旬
陸軍病院は各壕へと移った。
広池文吉病院長以下、軍医、看護婦、
衛生兵ら約350人に加えて、
3月24日には沖縄師範学校女子部・
県立第一高等女学校の生徒(ひめゆり学徒)
222人が教師18人に引率され、
看護補助要員として動員された。
4月1日の米軍上陸後、
外傷患者の激増に対応するため
外科を第一外科、内科を第二外科、
伝染病科を第三外科へと改めた。
5月下旬、
軍司令部は摩文仁(糸満市)へ撤退を決定し
陸軍病院にも撤退命令が出された。
その際、重症患者には
青酸カリ入りのミルクが配られ
自決の強要が行われた。
☝︎パンフレットより。
一昨年も見学しましたが、
その時に体験できた「壕内の匂い再現」の
体験が出来なくなっていました。
どうしてですか?と聞くと、
予算が出なかったんです、と。
壕内も、70年以上前に
丘の斜面にツルハシで掘って作った
人工壕なので、
この☝︎扉を開け閉めするたびに
ちいさな崩落が起きているのだそう。
見学者を一度に10人以上入れない、とか
壁には触らないようにするとか
どうにかこの歴史を残せるようにと
頑張ってくださっているのだけれど
あと何年見学出来るか…とおっしゃっていた。
こういうところに
きちんと予算かけて欲しいな…
と思わずにいられない。。
この壕の中で起こっていたことを
伝えていかなくてはいけないと
思ってないのかしら????
ってね、、うーん。
壕内は本当に狭くて、
幅180cm、高さ180cmの正方形、
長さは70mの横穴壕。
通路の片側には二段ベッドがあるから、
その狭い中をあっちから呼ばれ
こっちからも呼ばれ
傷口に沸くウジ虫をとってあげたり
ピンポン球大しかないおにぎりを配ったり
切断された手足を運んだりしていた
15〜19歳の少女たち。
水はけを考えて、
長い壕の入り口から真ん中にかけて
ゆるやかな上り坂、出口に向かって
ゆるやかな下り坂になっています。
明かりを消すと真っ暗。
また入り口付近は、
米軍の火炎放射器攻撃を受けたことによる
黒い焦げ跡がついていました。
南部撤退後に攻撃された、とのことですが
ここに取り残された重症患者や
学徒もいたはず。
いつもは入り口から出口に向かって
一方通行で見学する20号壕ですが
雨が降っていたこともあり
壕の中でUターンして入り口に戻りました。
出たら、雨は止んでいました。
壕の中にいると、
外が雨なのか晴れなのかもわかりません。
20号壕から少し離れた場所に、
沖縄師範学校女子部の卒業式を行った
三角兵舎がありました。
写真では見切れていますが右側には、
看護にあたったひめゆり学徒たちの
待機のための壕もあったそうです。
でも200名以上の学徒が動員されてますから
一度に座って休める人数も限られていて、
みんな交代で座っていたらしいです。
☝︎炊事場から壕までの「飯あげの道」
敵機に見つからないように、
こんな森の中を、重たい食料を持って
走り抜けていました。
この日は朝まで降っていた雨でドロドロ、
通るのは断念しました…が、
学徒たちはそんなわけにはいかなかったはず。
飯あげの道を下ったところにある
南風原文化センター内の
20号壕内再現コーナーも見学してから、
糸数アブチラガマに向かいました。
アブチラガマは写真撮影禁止だったのもあり
まるで写真がないのですが…
ここは、人工の壕ではなくて、自然壕。
☝︎360°パノラマ写真とかもあって
内部のようすがとてもわかりやすい!
アブチラガマの、
アブとは…深い縦の洞穴。
チラとは…崖のことで、沖縄の方言で崖が縦に大きく落ち込んだ所をいう。
ガマとは…沖縄の方言で洞穴や窪みの事。沖縄本島中南部はほとんどが隆起サンゴ礁でできており、数十万年にわたる雨の侵食によってできた自然の洞窟が各地にある。
沖縄戦では、この洞窟が住民の避難場所となり、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用された。戦争が激しくなると、ガマは軍民同居のかたちとなって米軍の的となり、多くの命が失われた。
アブチラガマは全長270mのガマ(凄く広い!)
沖縄戦時、この自然洞窟は糸数住民の避難指定場所や、日本軍の地下陣地・倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となった。
1945年5月1日から軍医、看護婦、ひめゆり学徒が配属され、約600名の負傷兵が運び込まれてきた。
5月25日の南部撤退命令により、重症患者が置き去りにされた。その後、米軍の攻撃に遭いながらも奇跡的に生き残った負傷兵と住民が、米軍の投降勧告に従って8月22日にガマを出た。
☝︎パンフレットより。
洞窟の中に、600人の負傷兵!ですよ!
唖然…
米軍がガマの中に投げ込んだ
ドラム缶を使った簡易的な爆弾が、
いまもガマ内部の天井に張り付いてました。
壮絶です、、、
アブチラガマの中には井戸があって、
南風原の20号壕のように
水汲みに危険な外へ出なくてはいけない
壕にいた学徒たちにとっては
アブチラガマは安全で羨ましいガマ
だったそうです。
南風原陸軍病院20号壕も
糸数アブチラガマも
見学には予約が必要ですのでご注意を。
一昨年の沖縄旅は、
民宿のおかみさんの
「ひめゆり以外の学徒隊がいたことも
知ってほしい、あまり人が訪れないところでも
手を合わせてくれたら嬉しい」
というお話を聞いて
慰霊碑をたくさん巡った旅だったので
実は自然壕に入ったのは今回が初めて。
雨の影響もあり中はひんやりしていて
滴り落ちる雨水も多くて
これは貴重な飲み水だったろうな、と。
足場も悪いし暗い洞窟の中で
戦争で負傷した兵士たちの看護なんて
とてもじゃないけど出来そうにない。
本当に、想像を絶する。
行けて本当によかった。
手を合わせられてよかった。
その後は平和祈念公園へと向かいました。
続きはまたつぎの記事で。
はる・あかねーね
【出演情報】
ミュージカル「ひめゆり」
@戸田市文化会館
7月11日(木)〜15日(月)全6回公演
ダブルキャスト月組・はる役
▼出演回
11日(木)18:00
13日(土)18:00
14日(日)13:00
出演回以外もご予約承ります。
詳細ブログはこちら🌺
https://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12457341202.html
UDA☆MAP vol.8
「紙風☆スクレイパー」
@池袋・シアターKASSAI
8月21日(水)〜28日(水)全12回公演
公式ホームページはこちら🌈
7月1日(月)正午チケット予約開始予定!
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