いとぴょんさんのブログ

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新たな出会いをもとめて…。

そのときにしかない景色、季節の表情、たまたま見つけた気になった物・・・。

それがすべて、一期一会。

ホッとする話題で、ご紹介していきます。

日本駆逐艦史シリーズ、特別編。
日本海軍丁型駆逐艦、改松型、橘型駆逐艦「橘」です。
1/700で実艦で全長約100mの小さな駆逐艦です。キットはヤマシタホビー製で、小さな艦にもかかわらず、とても細かなディテールで、クオリティーの高さは抜群!素晴らしいキットです。
特に追加製作する必要は無く、キットのまま作れば充分満足できる仕上がりになります。


完成した駆逐艦「橘」


「松」型との違いは、船体の形状がより直線的になり、マストの形も変更されています。

ヤマシタホビーのキットの出来はとても良いです。


ディテールもかなり細かく、いい感じに仕上がります。


小さいながらも、兵装はバランスよく装備され、性能の良い駆逐艦です。

戦時中の厳しい状況の中、短期間で作り上げられたにも関わらず、かなりの工夫が盛り込まれた、優秀な駆逐艦でした。

右舷真横からのショット


左舷からのショット。これまでの日本駆逐艦と形状は大きく異なりますが、かなり魅力的な艦型をしています。


上部から見ても良いプロポーションです。

駆逐艦「橘」は終戦直前の昭和20年7月14日、津軽海峡にて、米空母艦載機の集中攻撃を受け、奮闘善戦するも、撃沈されました。

それでは。

1/700、ウォーターライン、アメリカ海軍航空母艦「CV-6 エンタープライズ」です。搭載機を搭載して完成致しました。

キットはタミヤのウォーターライン1/700です。


搭載機をびっしり甲板に並べられた姿は米空母らしいですね。


時期設定は1944年。艦体にはメジャー33/4Abという、この艦独特の迷彩塗装が施されました。

模型はこの状態を再現してみました。


艦橋付近のクローズアップ。キットの設定が戦争初期、おそらくミッドウェー海戦時の状態であるため、レーダーや対空兵装を追加工作しました。


かなり複雑な迷彩塗装でしたが、何とかそれらしく塗装することができました。


設定としては、レイテ沖海戦時であったであろうと推測します。


迷彩塗装は全て直接手描きで塗装しております。


飛行甲板のマーキングもこだわってみました。

細かい波線は別売りのデカールを使用しました。

艦船模型通信では、米海軍艦艇はイマイチ不人気ですが、エンタープライズにまつわるエピソード知りましたので、急遽製作致しました。その逸話とは!


空母エンタープライズの最期、神風特別攻撃隊、富安俊助中尉の大戦果。

昭和20年5月14日早朝、この時鹿屋基地飛び立った神風特別攻撃隊は、爆装零戦総勢26機。東シナ海の敵機動部隊に向かいます。レーダーでいち早く攻撃隊を探知した米艦隊は、迎撃機を繰り出し、敵機動部隊上空に辿り着いた攻撃隊は僅か7機、その内の6機が次々と対空砲火で撃墜されます。ただ1機残った富安機は、雲に隠れながら攻撃のチャンスをうかがっていました。目標は米海軍の象徴であり、長きにわたり日本海軍を苦しめてきた宿敵でもある空母「エンタープライズ」!甲板に描かれた艦番号6がはっきりと見える、「こいつを叩く‼️」エンタープライズが回頭し、艦尾を向けた瞬間、富安機はエンタープライズ目掛けて急降下を開始しました。「ゼロが突っ込んで来る‼️何とかしろ‼️叩き落とせ‼️」
エンタープライズの乗組員は、突っ込んで来る富安機に恐怖で震え上がったそうです。彼らが思わず叫んだ言葉が、「VT信管が役に立たない!機銃弾が敵機をそれていく!あのゼロには神が憑いている‼️」エンタープライズは集中砲火を浴びせたが、横滑りを駆使する富安機に致命弾を与えられぬまま、ついに懐への進入を許しました。
そのまま横っ腹に突っ込むかと思われた刹那、富安機は五〇〇キロ爆弾を抱いたまま、一気に急上昇艦の真上へ上昇し、一八〇度左旋回すると揚力を抑えた背面飛行のまま、艦直上より前部エレベーターに突入!激突しました。ここは空母の1番のウィークポイント。ここをやられたら空母としての運用は不可能になります。突入時の衝撃と、艦最深部で500キロ爆弾が炸裂した事により前部エレベーターは上空およそ130メートルまで吹き飛ばされたといいます。エンタープライズは戦闘不可能となり、戦線離脱を余儀なくされました。これを最後にエンタープライズは戦場に復帰する事はなく、事実上撃沈したと同じ戦果でした。



米軍はこの特攻機の冷静沈着かつ,最期の瞬間まで強い意志を感じさせる行動に感懐を覚え,他の KAMIKAZEとは区別してDIVINEWIND,「神聖な風」と呼んだ、というエピソードです。
御英霊の魂安らかならん事を祈りつつ。
それでは。




「日本駆逐艦史」をテーマに連載して来ましたこのシリーズもいよいよ最終になってきました。今回は、「松」型駆逐艦です。作品はその一番艦の「松」です。




戦争が激しさを増す中で、日本海軍の艦船や航空機の損失も増加の一途を辿りつつありました。

元駆逐艦「雪風」乗組員の野間さんが、雪風に着任した昭和18年6月、着任して最初に上官から告げられた言葉が、「来たばかりで言うのも何だが、お前、明日、死ぬかもしれんぞ!」その言葉に唖然となった事を語って下さいました。
「駆逐艦は、ここん所、毎日のようにやられとる。駆逐艦なんてフネは消耗品や!なんせ、魚雷か爆弾が一発でも当たったらおしまいやからなぁ!このフネだっていつやられてもおかしく無いってわけさ。」そう言われ、野間さんは、その上官に訊ねました。「駆逐艦は軍艦ではないんですか?」「海軍で軍艦っちゅうのは、艦首に菊の御紋がついとってな、艦長室に天皇陛下の御真影が飾られてる。それが軍艦っちゅうんもんや。駆逐艦は、艦首に菊の御紋がついて無いじゃろう!すぐに沈む消耗品には、畏れ多くて、菊の御紋は付けられんわな」「駆逐艦は、軍艦では無ければ、一体何なんですか?」「艦艇や!」「艦艇ですか!」



ちょっと話が横道に外れましたが、戦いの中で、多くの駆逐艦が失われていくのを補う為に計画され、建造されたのが、「松」を一番艦とする、丁型駆逐艦でした。これまでの駆逐艦とは大きく異なり、短期間で数多くを建造し、資材の節約の為に小型でシンプルな構造とし、構造物も平面的な構成とされました。







とはいえ、対空、対潜能力は重視され、甲型、乙型の駆逐艦の半分の1260トンの排水量でありながら、主砲は12.7センチ高角砲を日本の駆逐艦で初めて装備。25ミリ機銃、魚雷発射管、爆雷投射機は全て搭載、充実させました。

また、機関は、ボイラーとタービンをそれぞれ4つの区画に分けて配置して、どちらかのボイラーやタービンが損傷しても、残る1組で航行を継続できる工夫が凝らされていました。
キットは、タミヤのウォーターラインシリーズを使用。キットはとても作り易く、実艦と同じく短期間で製作できました。キットの設定は新造時ですが、25ミリ単装機銃を追加して取り付け、後部マストにいつもの信号灯と一三号電探を追加しました。
続いて登場するのは、丁型駆逐艦の後期型となる、橘型です。模型は1番艦の「橘」です。

キットはヤマシタホビー製の新しいキットで、ディテール等は更に繊細に再現されています。

船体は、形状が簡略化され、艦首は直線的な形になり、

艦尾形状は丸みを帯びたクルーザー・スターン(船尾)から角形のトランサム・スターンに変更されました。艦尾の形状は、戦後の艦艇のスタンダードタイプになっていきました。


作品は、キットの良さを活かすため、特にてを入れる所はありません。


艦中央部分のクローズアップです。松型との相違点もきちんと再現されています。


丁型駆逐艦の2タイプを並べてみました。


両艦の違いがよくわかりますね。

日本駆逐艦史」シリーズをお読みいただきありがとうございました。次回は、戦艦、巡洋艦と、シリーズも充実させていきたいと思います。
それでは!


「日本駆逐艦史」シリーズも大詰めを迎えて来ました。今回は丙型駆逐艦として、日本艦隊型駆逐艦の最高傑作艦「島風」です。

駆逐艦の船体に、戦艦「大和」の半分にも及ぶ最強力のボイラーが作り出す、75000馬力の出力を発揮する機関が、世界最速の40.9ノットの高速を発揮しました。艦首の形状も波切性能を更にアップさせた、クリッパー型に変更されています。

武装に於いては、日本艦初の5連装魚雷発射管を3基も搭載、


竣工時から電探を装備し、事実上最強の日本駆逐艦でした。


「島風」は同形艦がなく、一隻のみで終わってしまったのは残念です。

「島風」はキスカ島撤収作戦を初陣に、南方作戦、レイテ沖海戦に参加、活躍しています。

昭和19年11月11日、オルモック兵員物質輸送作戦時、オルモック湾にて、米軍艦載機の集中攻撃を受け撃沈されました。





クローズアップしたディテールの写真です。

キットは、タミヤのリニューアル版。非常に良く出来た作り易いキットで、1日で完成させました。


キット内容も申し分無く、普通通りに組み上げれば美しい「島風」の姿が再現できます。今回の作品も後部マストの信号灯を付け加えたくらいで、特に手を入れる必要の無い、さすがタミヤと言える素晴らしいキットでした。

このシリーズも次回で最終回となります。

それでは!*˙︶˙*)ノ"