銀座大好き ギンタロー。の銀座検定 -16ページ目

銀座大好き ギンタロー。の銀座検定

銀座検定(GINKEN)は、銀座をテーマにして学びます。お楽しみに。
❤銀座好きな人と仲良しの輪が拡がるかもしれません
❤物の見方が、優しく鋭くなるかもしれません
❤飲みの席での人気が、今よりちょっとだけ上がるかもしれません
そして
❤日本の文化と歴史が学べます。

松下奈緒さん、,なかなかよかったですね。

ストーリーの大筋は、もちろん1954年の映画と変わりませんし、
映画界の先輩に敬意を表して、映画の構図やショットを同じように踏襲した
シーンもありました。

いくつか違うのは、次の点でした。

1.カラーと白黒

今更言うまでもありませんが、これは大きな違いです。

もっとも1954年の映画(白黒)からも色彩を感じられるようです。
むしろ、白黒の方が、自分のイメージに色を膨らませて見るので、
かえって色彩的に奥が深いようにも感じました。


2.終戦後の料亭でのクラス会およびエンディング

戦後、また分教場の教師となることになり、そこに向かうときに、
大石先生は2人の子供と一緒に歩いて行き、二人の息子に、
\少し遅くなるかもしれないから、入江で波切りをして待っていなさい
と言って、仕事を済ませに行きます。

この息子とのゆったりした時間と日常的な会話、太陽の光を受けて
キラキラする波に向けて、波切りの石を投げる二人の息子の遠景が、
平和のありがたさの象徴のように思えます。

また、子供との何気ない会話から、大石先生が夫を戦争で失ったことが
伝わってきます。

身内を失うことは、当時、特別のことではなかったということでしょうか。



さて、教え子たちが開いてくれたクラス会(謝恩会)ですが、

映画では、生徒たちがお礼に「自転車」を大石先生に贈ります。
宴の用意された部屋に入ると、床の間に自転車が飾ってあって、
教え子がみんなで出せるお金を出しあって買ったと説明されます。

テレビでは自転車のプレゼントはなく、このクラス会(教え子男2名、
女4名と大石先生)が最後の場面として、タイトルバックが流れますが、

映画では、雨の中をゴムカッパを被ってこの贈られた自転車で分教場に
向かって走る大石先生のシーンが結構長く映されます。
やがて雨は小降りになり、途中でカッパを脱いでまとめて、大石先生は
さらに力強く漕ぎ出していきます。  ここでタイトルバック。

これは、1954年の映画では、
将来はけして晴れの日ばかりではないだろうが、
将来に向かって力強く進むことへの木下監督の応援が込められもの
と考えることができます。


また、
昔分教場の裏の浜辺で教え子たちと撮った集合写真を見るシーンがあり、
失明した男の教え子が、「この写真だけは見えるんです。」と言って、
写真に映ったクラスメートを指し示しながらその特徴を説明するという
たいへん印象的なシーンは同じでしたが、

テレビでは、集まった教え子の全員がその写真を大事にその日まで
持っていたと、自分のものを取り出し、
これを見て励まされてきたと話し、
男の教え子は、戦場でお守りのように肌身離さずにもっていたと、
語っています。

テレビでこのようにした意図は、よくわかりません。


3.夫の死について

テレビでは、大石先生の夫がサイパンで戦死したという電報が届
くシーンがあり、

さらに、壮行会とは反対に、戦死者の白い遺骨箱を首から下げ、
会場から出てくる大石先生のシーンや、号泣するシーンが、あります。

戦時教育が抜け切れない子供に対し、
「名誉の戦死なんてない。空の白い箱になって帰ってきてなにが名誉
なの」というシーンや、

クラス会の前に、死んだ男の教え子の墓にお参りした時に、
案内した女の教え子が、4人のうち、一人以外は空の白い箱で戻って
きたという話を大石先生にしています。

これは映画にはありませんでした。
説明はないものの、自然とそういうことが伝わってきました。

現代の感覚では、白い箱に遺骨が入って戻ってくるというのが普通ですが、
戦時下においては骨さえも戻ってこなかったことも多いということを
テレビの視聴者に説明する意図かと思います。

1954年当時は、それはついこの間あった当り前のことでしたので、
あえてそういう説明はしなかったということでしょう。

3.修学旅行の時

就学旅行の時に、生徒の乗った船と大石先生の夫三郎さんが船長を
勤める大きな観光船が瀬戸内海ですれ違うシーンは、
映画にはありましたが、テレビではありませんでした。

だんだん近づいてくる二つの船。
夫と大石先生はすれ違うことを予め知っていて、先生はなんとなく
ソワソワ。
子供たちは先生の様子から、それが先生の夫の船と知って大歓声。
元気に大きく手を振りあシーンがあります。

子供たちの無邪気なシーン以外にあまり明るいシーンがないので、
映画では、この場面が明るく印象的でした。

また、その無邪気で明るく手を振るシーンと、
出征する兵士に手を振るシーンが、対比され、印象的です。

たぶんテレビでは、尺の関係で省略したのでしょう。
その分、少し夫婦で会話を交わす時間や内容が濃くなったようです。

また、偶然見つけた松江が働く食事処のおかみさんが、
テレビではただ怖い人でしたが、映画では浪花千恵子さんが演じ、
苦労をした人間しか出せないようないい味を出していました。

4.全体について  ①戦時教育への批判

戦時下の国家主義的な教育への批判、赤狩り等への批判は、
映画、テレビとも込められていますが、
テレビの方が若干明確に示されているように思います。

思うに、1954円頃は、戦時下の教育が明確に否定された時代であり、
それを体感して理解した人が多かったので、
それほど強調しなくても、通じたのだ思います。

しかし、戦後約70年を経た今、平和の恩恵に浴してきたほとんどの
国民に、当然ながらその実感はなく、制作者は明確に伝えたかった
意識が出たものと思います。

5.全体について   ②女性の生き方

しっかり働くんだと言って大阪に奉公に出、結核に侵されて帰郷し、
隔離された生活の中で死んでいく教え子のことばに
「いったい私はなんのために生きてきたのだろうと思う。
結婚もできなかったし、子供を産むこともできなかった。
・・・今度生まれてくるときは男の子に生まれたい。」
という言葉があります。

1954年当時は、まだ「結婚、出産、育児が女性の大切な仕事」という
考えが、一般的な時代だったと思います。

現在では、女性の人権も強くなりましたし、結婚こそが女性の幸せという
考えも一概に通用しなくなっているように思います。

テレビの方は、時代や戦争や子供のことについて夫婦で会話する時間や
内容が、映画より濃くなっています。

夫婦対等に会話するという感じはテレビの方が強くなっていますし、
一人の職業人としての教師の生き方に、テレビの方が若干ニュアンスを
強くおいていたようにも感じますが、
戦争は平和な日常を破壊していくということが主題であり、昭和3年からの
18年が時代背景なので、映画・テレビにおおきな差はなかったように思い
ます。


5.全体について  ③歴史の説明

テレビでは、倍賞千恵子さんのナレーションによって、
昭和3年ころの選挙制度、太平洋戦争へ突入する過程、広島。長崎への
原爆の投下と敗戦という、「歴史」が語られています。

この歴史を、ほとんどの日本人は知っているはずですが、

待てよ、果たして戦後70年たって、若い世代は、この日本の歴史について、
明確に理解しているのか、日本の歴史教育は十分なのかと、
少し不安になってきました。