【愛知県刈谷市心霊スポット】椎の木屋敷 21箇所目 | 心霊スポット散策

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今回は、【愛知県刈谷市心霊スポット】椎の木屋敷に行ってきました。

 

 

心霊スポット21箇所目は、超マイナー心霊スポット椎の木屋敷です。
心霊スポットとしては、超マイナーなスポットで怖い噂等はネットで見つけることはできませんでした。

しかし、私の友人の親が昔椎の木屋敷で白い女性の幽霊を目撃していたという情報があり行ってきました。
他の地元の友人にも話を聞いたところ、小さい時にその噂を聞いたことがあるとのことでした!!
その噂を耳にしたのも20年以上前とのことで、その後そういう噂は聞いてないとのことでした。
住宅街の中にあることもあり、幽霊の噂があればもっと有名でもおかしくはないだろうと感じました。

 

 

 椎の木屋敷跡 
愛知県刈谷市銀座6丁目、刈谷城の北東の高台に位置し、椎の木藪とも呼ばれた場所が椎の木屋敷跡(しいのきやしきあと)。
徳川家康の生母である於大の方が、天文13年(1585年)、岡崎城主の松平広忠(まつだいらひろただ=徳川家康の父)に離縁されて刈谷に戻されたとき、ここに住んでいたと伝えられています。

 

 

 徳川家康の生母・於大が暮らした屋敷跡 
於大の方は、享禄元年(1528年)、知多郡の豪族・水野忠政とその妻・華陽院(於富)の間に、緒川城(現・愛知県知多郡東浦町緒川)で生誕。
天文2年(1533年)に刈谷城を築き居城とした水野忠政は、岡崎の松平家との政略で、天文10年(1541年)、於大を松平広忠に嫁がせ、竹千代(後の家康)が誕生(竹千代はその後、人質として駿府の今川義元の元へ)。

 

 

 

 


水野忠政の死後、家督を継いだ於大の兄・水野信元は、天文13年(1544年)、今川家と絶縁し、織田家に従ったため、於大は絶縁して刈谷城下に戻されたのです。
当時、三河は、尾張を統一しつつある織田家(織田信秀=信長の父)と、駿河国・遠江国を治め東海道を支配する今川家(今川義元)の勢力争いの最中で、大きく揺れ動いていたのです。
於大はその後、阿古居城(坂部城、現阿久比町)の城主・久松俊勝に再嫁していますが、刈谷城下で暮らしたとされる椎の木屋敷は、家康の生母にまつわる地として、江戸時代には一般の出入りが禁止され、出入口には鍵がかかっていました。
中央は窪地で周囲に椎の木が茂り、地蔵尊があったことから城外の霊地として崇められていたのです。

 

 

椎の木屋敷は、閑静な住宅街の中にあり夜中だと街灯の明かりのみで人通りもないので不思議な雰囲気を感じました。
屋敷跡地も公園のように整備されていて街灯も多くきれいでした。

もしかしたら、昔はこのように整備されておらず夜は陰気な雰囲気のあった場所なのかも知れませんね。
しかし、一部街灯のまったくないところに階段がありそこだけ異様な雰囲気がありました。
心霊スポットというよりかは、昔は神聖な場所とされてきていたようで真逆の場所ですね。

 

撮影日:2023年1月1日

 

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