藍屋 秋斉
「くれぐれも、向こうの方には迷惑をかけんように――……」
暦はもうすぐ白露を迎え、朝晩の風が涼しくなってきたある日の朝。
掃除へ向かおうと、秋斉さんの部屋の横を通る。すると、彼が、誰かと話している声が聞こえてきた。
誰か、来客中なのだろうか。
そう思いながらも、聞き耳を立てるのもよくないと考え、なるべく早めに通り過ぎようとする。
だけど、中から聞き覚えがある声が聞こえてきて、私はそこで足を止めた。
??
「わかってます。後は何か伝えることはありますやろか?」
藍屋 秋斉
「いや、後はええ。気いつけてな」
??
「へえ。夜には戻ります」
その言葉を境に、畳の上を歩く音が、だんだんと近くなっていく。
それに気付いた時には、既に彼女が部屋から出てきた時で――。
花里
「……○○はん?どないしたん、そないなところに隠れはって……。誰かとかくれんぼでもしてはったん?」
○○
「う、ううん。何でもないよ」
慌てて二階へと続く階段の下に隠れたものの、あっという間に彼女に――花里ちゃんに、見つかってしまったのだった。
○○
「祇園の方へ……。すごいね、花里ちゃん」
花里
「せやろ?うちの努力が認められたようで、ホンマに嬉しくて」
あの後。花里ちゃんだけではなく、秋斉さんにも見つかってしまった私は、「話があるから」と、再び花里ちゃんと共に彼の部屋へと呼び出された。
そこで聞かされたのは、花里ちゃんが祇園へ――いわゆる出張のようなものをすることになったという話だった。なんでも、揚屋で花里ちゃんを気に入った人が居たらしく、その人が彼女を祇園に呼び出したらしいのだけど――……。
藍屋 秋斉
「そないな話をもろてしもたら、ホンマはわても一緒に挨拶に行かんとならへんのやけど……」
○○
「……?行かないんですか?」
藍屋 秋斉
「話を聞いたんが、昨日の晩やったさかいに……どうしても今日は外せん用があるんや」
花里
「大丈夫どすえ、秋斉はん。わてやったら、秋斉はんがおらんでも上手くやりますよって」
藍屋 秋斉
「……まあ、他にも店のもんが付くから、あんさんにそこまで心配はしてまへんけど……人としての礼儀や。ちゃんとその文も渡すんやで」
よっぽど嬉しいのか、彼女は秋斉さんの言葉も聞こえていないようで。
はあ、と溜息をつく彼をよそに、幸せそうに微笑む花里ちゃんを見ていると、私もつられて笑顔になってしまった。
○○
「あ……そういえば、私に話ってなんですか?」
藍屋 秋斉
「……ああ、未だ話してまへんどしたな。
花里が一日だけとはいえ居なくなるいうことは、同じ菖蒲付の○○はんに、ほんの少しやけど負担が増えることになる。……ホンマ急な話で申し訳あらへんけど、一応、他の新造達にも手伝うようには声を掛けとくさかい、何かあったら便り、と。そう伝えたかっただけや」
○○
(ああ、なるほど。……でも、いつもお世話になっている花里ちゃんに、お礼をするいい機会かもしれないな……)
事情を飲み込むと、私は背筋を伸ばして、秋斉さんと花里ちゃんをしっかりと見据える。
○○
「わかりました。私じゃ花里ちゃんの穴は埋められないかもしれないですけど、精一杯頑張らせてもらいます!」
花里
「……おおきに、○○はん。せやけど、わてがやってることなんて大したことあらへんのやから、そんなにきばらんでもええよ」
藍屋 秋斉
「花里の言うとおり、あんさんが一生懸命やりすぎて倒れてしもたらかなわへんさかい。あんまり根を詰めたらあきまへんよって」
○○
「大丈夫ですよ、ちゃんとやりますから!じゃあ私、お先に玄関の掃除してきますね!」
藍屋 秋斉
「え……ちゃんと、て……」
花里
「ホンマに無理したら……」
○○
「大丈夫だよ。立派に花里ちゃんの代わりを務めてみせるから!!」
それだけ言うと、私はさっと立ち上がり、踵を翻す。
そうして、秋斉さんの部屋を出ると、玄関へと向かったのだった。
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