銀魂好きが萩に行ってきました③ | 記録

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3日目。
本日は輪をかけて自分の興味のある所にしかいかない、自我の強い日程。

すなわち、晋作実家→晋ちゃんが遊んでいたお寺→ヅラ実家→明倫館。

本当は萩博物館で晋作の遺品(自作の木刀とか幼少期に使っていた胴着とか)も見たかったのだけど、まさかの改修工事のため行けませんでした。無念。




位置関係はこんな感じ。
宿泊中の常茂恵は、東萩駅の川を挟んだ向かい側。

タクシーで晋作実家に向かい、明倫館まで歩いて向かいます。
史実の晋ちゃんやヅラもこの道を通って学校に通ったんだね…(気持ち悪いオタク)
 




つ、つ、ついた~~~~~!!!!!
ヴァッ…ついた…ついたよ…「高杉晋作誕生地」…門をくぐる前に深々と一礼してしまう。

お部屋の一画、縁側部分が解放されており、“奇兵隊結成160年”ののぼりやら、晋作の遺品やら、誕生から最後までの説明絵の掲示やらがある。
説明絵では、特に“ご誕生”と“金比羅社参詣”に沸いてしまう。なぜなら幼き晋作のケツが描かれているから。
こ、これがほんとうの「ケツ」…





遺品の方も見逃せない。
奇兵隊の銃弾、晋作が龍馬に贈ったピストル、晋作が使っていたお茶道具、晋作から妻への手紙。
室内には晋作のご両親の写真もあり、振り返れば高杉家をずっと守ってきた鎮守堂。
扉に月と太陽の形の穴が空いている。
もうこれだけでお腹いっぱい。




しかし、建物を回りこんでいくと、更に展示が続く。
晋作奥様とご長男の写真、晋作が奇兵隊に送った絵文。





順番が前後するが、近くの晋作広場にある晋作の銅像。

生家の中に飾られた掛け軸には牡丹があり、晋助の着物の柄(トーン:S-965)まんまじゃん…と唸る。

最奥には晋作が産湯に使ったといわれる井戸があり、その横には晋作の詠んだ歌の碑。

あまりにもごちそうさまです。
興味がない人には全然どうってことない展示なんだろうけど、いざハマってから見てみるとあまりにも「イイ」んだよ…

そして、玉木文之進家や松下村塾から見ると、高杉家は普通に立派な日本家屋。
銀魂作中では下級武士だったが、史実の高杉家は上級武士だったとか。
ボンボンじゃん…!
 




過呼吸寸前の肺を整えて、次は金毘羅社へ。
こちらは伊藤博文が手習いをしていた寺、
かつ幼少期の晋作がでっかい天狗の面(写真2枚目)を見ても泣かないように家の人に連れてこられて精神を鍛えられた(?)寺。

博文と晋作は兄弟のように仲が良く、境内の木馬(写真上から3枚目)の鼻をなでて一緒に遊んでいたとか。

そしてこの寺、コナンにも出てきたそう。あとでアマプラで見ます。

住職さん?らしき方が出てきてくれて、色々と解説をしてくださる。
写真を撮り忘れてしまったけれど、龍の文様のある立派な灯篭があり、灯篭を支える猫足部分は正面と背面の2本だけがわざとぐらつく仕様になっていて、地震の際に衝撃を吸収できる耐震構造になっているのだとか。
実際触ったら、猫足が簡単に動いた。
 
 

さらに住職さんが教えてくれたところによると、

景観を守るために現代でも電柱は道路ではなく個人の家の中。

そして、殿様を見降ろさないために、一般家屋は2階建てはダメで平屋のみ。

家屋の材質も江戸時代に準じて、例えば窓枠は金属の使用NG、木製なのだそう。

名物の夏ミカンは元は幕末に困窮した武士の副業として始まり、今でも特産品であると共に景観維持のためわざと収穫せずに残しておくのだとか。

へぇ~~!


カロリーが高いので前後半に分けます。
お次はヅラの実家だ!