私とマクドナルドとうつと | 記録

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自分のため、書きたいときだけ日記をつけます

"いつもの"とは、おジャ魔女でいうドド的な妖精とでも思ってください

(タイトルが"私と小鳥とすずと"みたいになってしまった)


うつの原因が分かったかもしれない。
 
順を追って。
真夏だというのに、若干うつを発症している。近頃大きなストレス源もないし、原因がいまいちわからないので、布団の上でだらだら過ごしていた。
うつっぽいときって、心の感度が通常時の4割程度になる。景色はなんだか色褪せて見えるし、漫画の内容も入ってこない。買い物も、ほしい!という気力がわかない。
ていうか、そもそも外に出る気になれない。もうこの文章だけで鬱だ。太陽の光が強いのが、せめてもの救い。
しかし仕事に行かないわけにもいかず、頑張って起き上がって支度をし、それなりに一日働いて、帰り際にふと「マック食べたい」と思った。食べたい、というより、あの赤地に黄色のMのロゴが浮かんだだけなのだけど、ちょうど帰り道にあるので行ってみようという気になった。実に半年ぶりのマックだ。
 
着いて広告を見てみたら、現在ナゲットが安いんだそう。5ピースだと通常価格だが、15ピースだと3割引なのだとか。貧乏性を発揮し、一人暮らしのくせに15ピースを注文する。匂いにつられてポテトも注文する。生きる気力の削がれた状態でも、ポテトの匂いはやはり別格で、パクパクいけてしまう。この世にマックがあってほんとによかった。
聞いたところだと、つわりのひどい妊婦さんでもマックのポテトだけは食べられた、という事例まで存在するらしい。ありがとうマック。
ナゲットもなんとか5ピース程度食べ、その日の胃袋スペースのマック分は終了。あとは通常と同じほぼベジタリアンの食事をした。

変化はそこからすぐ起きた。なんと、食べ終えた2時間後からにわかにやる気が起こり出し、心の中に活気が満ちて、なんだか人生って面白いじゃん!などと素で思うようになった。まるっきりヤバい薬みたいだが、私が今晩摂取したのは、マックのポテトとナゲット、そしていつもの玄米&味噌汁だけだ。
まさか、マックってそんな効果があるの…?違法薬物みたいじゃない?マックって違法だったの?え??
 
困ったときのグーグル先生、ということで、一応検索してみたものの、もちろんマックは合法の企業であるということしかわからなかった(当たり前)。
マックが合法ならなぜ?普段と違うことといえば、ナゲットという肉を摂取したことぐらいだ。そこで、では、肉を摂ったのが良かったの?という視点で調べてみた。ビンゴだった。
 
どういう理屈かはわからないが、ビーガンまたはベジタリアンよりも、肉を食べる習慣のある人のほうが、精神疾患を発症するリスクが有意に低いのだそうだ。
世界中で大規模な実験がいくつも行われ、食習慣が精神に大きな影響を与えることは既に定説となっているそう。どの肉を摂るといいか、といった種類までは明らかになっていないが、とにかく肉食は生き物に元気を与えるらしい。
確かに、食べられる側のインパラよりも、食べる側のライオンやチーターのほうが、人生前向きに生きてそう。うつでしょぼんとしていたら、好戦的にはなれないもんな。
 

 
思い返してみれば確かに、最近ベジタリアンが行き過ぎていたかもしれない。
私は幼少期から肉がおいしく食べられず、それというのも、異様なまでに小食だった私に、母がなんとか食事を既定量食べさせるために”罪悪感をあおる”という禁じ手
に出て、食育の一環として
「このハンバーグはね、元々生きていたのよ。牛さんや豚さんだったの。もっと生きていたかったのに、あなたのために死んでここまで来てくれたのよ。残すなんてかわいそうだと思わないの?」
というセリフを繰り返し浴びせてきたからだ。
そんなことを聞いてしまったために、ハンバーグを咀嚼する度に動物たちの「痛い、痛い」という幻聴が聞こえるようになり、あまりのかわいそうさに食べながら泣いていた。私の実家では、お残しは一切許されなかった。

成長した後も肉を食べる気にはなれず、長いことほぼ菜食を貫いてきたのだが、大人になった私はやっとこさその呪縛から抜け出し、動物性たんぱく質もまあまあおいしく食べられるようになった。
解放されたきっかけは、牛を育てて出荷するプロの言葉を拝読したことだった。
 
  


 
ご主人の田中さんの言葉をそのまま引用したい。

「僕たち人間も含めて、生命は他の生命を取り込んでこそ生命維持ができるし、それをエネルギーとして次の命を紡いできた。 この生命の流れに善悪を盛り込むのは、僕は傲慢だと思いますね。」


傲慢か……
そんな考え、全く頭になかった。
その辺の一般人じゃなく、牛を育てて出荷するプロが言っていることに説得力がある。

そうか、食事に善悪を当てはめなくてもいいんだ。
自分が生きるために感謝して命をいただくことと、自分が食べることの罪悪感を結びつけなくていいんだ。
これが腑に落ちてからは、食事が相当楽になった。初めて、純粋にごはんを「おいしい」と楽しめるようになった。
 
また、お残しが絶対に許されなかった実家においては、食事中に席を立つことはもちろん、えずくまで食べさせられる(というかえずくとさすがに食べさせることを親が諦める)のが日常茶飯事だったのだが、
上記牧場の奥様はあっけらかんと

「私は、お腹いっぱいだったら、もう残してもいいかな?って思っちゃいます。」

とのこと。
その力の程良い抜け方が、さらに私を楽にした。
うちもこんな風だったら、毎日三度の食事が嫌いにならなかったろうな。
自分が何かを殺して生きることに、食べることに、罪悪感を抱かずに済んだだろうな。




しかし、未だに肉食の習慣はできていないので、ちょっと気を抜くと元の菜食ベースに戻ってしまう。四半世紀染みついた食事スタイルは、今更ちょっとやそっとでは変わらない。
だいたいスーパーの精肉パックって、一人暮らしの肉苦手人間には量が多すぎるのだ。で、手頃な一食完結肉を探そうとすると、どうしてもコンビニ唐揚げやマックのナゲットになる。飲用プロテインも愛用している。それでも、多分成人の必要量には届いていない。しかし健康診断は一切異常なしのため、”基本菜食だが、たま~~に肉を食べる”スタイルで生活していた。
 で、ちょいちょいうつっぽかった。あまりにいつも"そう"なので、これは私の性格だと思い込んでいたほどだ。


でも、ナゲットひとつでこんなにも効果があったからには、もう少し肉食の分量を多くしてもいいかもしれない。
とりあえず、今後うつっぽい症状を察知したら、すぐに最寄りのマックに行って、ナゲットを買って食べることにしたい。
 ありがとうマック。ありがとうからあげくん。
そして、全国・全世界の家畜を育てるプロの皆様、ありがとうございます。