先日祖母が亡くなったことによって、改めてお葬式を1から手配する流れを体験することになった。
改めて、というのは、6年前に父が急逝した時以来の家族のお葬式だったからだ。
祖母は、父の母であり、父は一人っ子だったので、父のお葬式も今回のお葬式も、喪主は私の母。
つまり私にとって、自分が喪主の次点の立ち位置になるのは2回目だ。
斎場は父と同じ。なんならお葬式会場の部屋も同じ、遺体が安置されている冷蔵庫も同じなら、季節もほぼ同じ。
知らせを受けて斎場に駆けつけた際、思わず「6年ぶり2回目ェェェ!」と独り言が飛び出した。甲子園かよ。
確かに6年ぶり2回目なんだけどね。なんちゅー例えだ。
で、6年前とは自分の経験値や心構えがだいぶ違うので、何がなんだかわからなかった前回と違って、今回は一通りの記憶がしっかりある。
そこで、忘れないうちに素直な感想を書き留めておこうと思う。
まず、前回と違うところは、いわゆる"老衰"で亡くなったということ。享年91歳。大往生だ。
父の場合は脳卒中で、発症したその日のうちに亡くなったので、心の準備もへったくれもなかったのだが、今回の祖母は3月中旬から「もうそろそろ……」という話を特養のお医者さんにされていたので、私たち家族としても心構えがしやすかった。
だから、亡くなった時も、悲しいとか受け入れられないといった感情はありつつも、「おばあちゃん、よく頑張ったね」みたいな、労いの想いの方が多くあったように思う。
次に、葬儀の手配。これも、父の時に一通りこなしているので、葬儀屋さんの話に対する理解度が全然違った。
二十歳そこそこの私にはちんぷんかんぷんだった、香典返し・通夜振る舞い・葬儀の日取り・お布施の相場・関係各所への連絡・エンバーミング・火葬場でのお料理etc……について、具体的なイメージができる。
これについては弟も同意見だった。前回時点では高校生で、お葬式にまともに参列すらしたことがなかった彼が(「オショーコーって何?俺やったことないんだけど?」と言われ、私もまともにやったことがなかったのでYouTubeを見て2人で練習した記憶)、今や立派に葬儀屋さんとの打ち合わせの場を仕切っていて、お姉ちゃんはとても誇らしかった。大人になったね。
父のことがあってから、同じ葬儀社に積立をしていたので、まず"葬儀社どこにする問題"はクリアだし、
骨壺も棺も心の余裕を持って決められるし、
日取りも事前に「○日までに亡くなったらここ、△日までならここ……」と場合分けで目安を決めておけるし、
だから自分達や参列者もそれに合わせて仕事の調整をしておけるし、
お葬式の費用も、削れるところは削る精神で、無駄を省くよう努めたりした。
結果、内容的にはそこそこ満足のいくものになったと思う。
祖母は父が亡くなった直後から特養にお世話になっていた。介護レベル的には要介護5(MAX)のため、母が仕事を続けるためにはプロのお世話にならざるを得なかった。
祖母は15年以上前から認知症が進み、6年前に父(つまり自分の一人息子)が亡くなった時でさえ「ここはどこ?私は誰?」がデフォルト状態だった。
私は家族として、特養にお世話になって本当に本当に良かったと思う。なぜなら、やっぱり餅は餅屋、介護は介護のプロで、押さえるべきポイントや、経験値が全然違うからだ。
食事ひとつとっても、それぞれにフルタイムの仕事をしている家族では、離乳食同然・全て介助のごはんを1日3食準備し食べさせることは不可能に近いが、施設ならは毎食の栄養バランスにおやつまで考えてくださる。おむつも適宜替えてくれる。お風呂にも安全に清潔に入れてくれる。何より本人の表情が、自宅にいた頃よりも断然施設の方が生き生きしていた。
たまたまお世話になった施設が本当に良いところで、特に職員さんの心尽くしが素晴らしかったことが大きいと思う。最後、寝たきりで意識も朦朧としているにも関わらず、「桜が好きだったから」と咲き始めの桜の枝を病室まで持ってきてくださって、祖母は91回目の桜を見てから旅立つことができたそうだ。
私達家族も、きっと祖母も、心から感謝している。
また、特養の施設で亡くなったということで、もれなく看護師さんのケアと、お医者さんの診察&死亡診断がついてくるのも、地味にポイントが高い。
これが自宅で介護だったら、通院も一苦労だし、そもそも病院にかかるべきなのかといった判断自体から迷いまくると思うし、最期に十分なケアもできないし、いざ亡くなった時も、不審死扱いになるのを回避するために警察のご厄介になる等、考えることとやることが多すぎる。
これらをプロの判断と手技に一任できるのは、素人にとってありがたいことこの上ない。
特養最高。本当にありがとう。
同じことは葬儀社にも言えて、人間一人が亡くなった時のおびただしい手続きのほぼ全てを葬儀社の方が代行してくれるので、めちゃくちゃ作業時間と心労が減る。
あと、香典返しも、参列者の数に応じて臨機応変に変更してくれる。棺に入れるお花や一通りの仏具も、当然セットで揃えてくれる。
エンバーミングという加工もやってよかった。遺体を腐敗しないよう特殊加工して、病気などで痩せ細ってしまった場合には生前に似た形で頬をふっくらさせ、死に化粧まで綺麗に施してくれる。これは父の時も祖母の時もやってもらって、どちらも南関東の3月の気温で1週間弱綺麗な状態を保つことができた。特に女性は、綺麗な形で送り出してもらえるのは嬉しいんじゃないかと思う。
結果として、遺族は葬儀の連絡や、飾る写真などの思い出整理に専念することができる。
身近な人が亡くなって、ただでさえ悲しみに暮れて心身共に消耗しているのに、役所の手続きなんぞやってられない、というのが素直な感想だ。
だから、こちらもプロに丸投げできるのはありがたい。
しかし、やっぱりお金がかかるのだ。それも、思っていたよりも多く。
父の時は、享年が50代だったこともあり、私たちも悲しみのどん底にいたので、"とにかく盛大に送り出す!" "父が来てほしい人には全員来てもらう!"と、お金がかかることには目をつぶって、田舎にしては大きめのお葬式をした。
しかし今回は91歳のおばあちゃんなので、ふんわりと「家族葬でいっか~」「込み込みで150万くらい?」と考えていた。それが甘かった。
なんと、他界の連絡を受けた祖母の実家の親戚が10人以上来たいと言い、父の本家の親戚もなんやかんや来ることになって、祖母の施設の職員さんたちも参列してくださって、結局総計50人くらいのお葬式になったのだ。
えっ……?家族葬っちゃ家族葬だけど、「家族」の範囲大きすぎんか……?
そして、お葬式の規模に伴って、当然かかる費用も増えていく。赤裸々なことを書いてしまうと、結局総計230万円くらいかかった(お料理・香典返し・お布施等々込み)。
お香典を皆様からいただいたので、ここから相殺される金額もあるにはあるが、庶民純粋培養の我々には概算230万円の衝撃は小さくなかった。
斎場の担当の方曰く、やっぱり"普通の"お葬式をやろうと思うと"普通に"これくらいはかかるとのこと。個人的にネットで調べてみた限りでも、たしかに全国相場と大差ない金額。"普通"の金額がでかいよぉ……
冠婚葬祭って、なぜこんなにお金がかかるのだろうか???
もちろんそれで持っている業界があるのは重々承知、そして人生の節目を盛大に心を込めて祝ったり、送り出したりしたいのも人情として当然のこと。
しかし、たった1~2日でン百万円が吹っ飛んでいく光景は、冷静に考えるとちょっと異様だ。だってそれ、私の年収くらいありますやん。頑張って貯めてきた貯金額を平気で上回りますやん。
しかも、お葬式に至っては、本人既に死んでますやん。
今後2025年問題が顕になり、後期高齢者が大勢いて、死ぬ人の数が大いに増え、それに伴って葬儀の数もめちゃくちゃ増えたとき、この「本人不在で2日で数百万円」を許容できるご家庭ってどれくらいあるのだろう。
あくまでも私の考えだけれど、もし同じ230万円を使うなら、「お葬式は最低限で80万くらいに収め、150万円使って家族みんなでハワイで豪遊」がリアルな希望だ。もし自分で貯めた貯金なら尚更、生きているうちに楽しくパーッと使いたい。
調べてみたところ、"普通の"お葬式と比べればかなり簡易的にはなるが、いわゆる「ちいさなお葬式」では50万円~の費用で一通りのことができそうなのだ。お布施を含めても100万円で確実にお釣りがくる。
エンバーミングはもちろんできないが、どうせ数日後に焼かれてしまうのであれば、考えようによっちゃあそんなに気合い入れて綺麗にしなくてもいいんじゃないか?
むしろずっと残る遺影にこそ、プロの補正をかけてシミとかシワとかを消しておいてほしい。
……で、上記のことは、できれば死ぬ前に、ちゃんと決めておいた方が良い。
死んでからでは、というか、死にそうになってからでは本人の意志が聞けないので、遺族が悲しみの中で一部始終を決めることになり、「ちゃんと送り出してあげようよ」の情も相まって、チリツモ雪だるま式に費用が増えていく。結果、家族葬のくせに230万とかかかる。
だから、個人的なプランとしては、仕事を定年退職したあたりから5年ごとくらいに、実際に葬儀社からカタログを取り寄せ、葬儀の見積りをとっておくことをおすすめしたい。40年後の自分に向けての提言だ。
ふんわりと"家族葬で~"とか、"そんなにおおきくなくていいから~"だけだと230万以下略。
カタログに印をつけておくだけでも、残された遺族はとてもやりやすい。というのも、お葬式を簡易的にするのって、なんだかちょっと罪悪感があるのだ。ちゃんと弔ってあげてない的な。感謝の気持ちが薄いんじゃないか的な。
これが、"故人からのたっての希望、このセットに赤丸がついている"だと、選ぶのも楽なら決めるのにも罪悪感がない。し、葬儀社の営業トークにも乗せられなくて済む。
できればちゃんと、骨壺や香典返しの指定とか、お葬式に呼んでほしい人とその連絡先リストとか、遺産のありかとそのパスワード一覧とかも準備しておけるのが理想だ。
連絡先なんて、本人しかわからない友達がごまんといるだろうし、なんなら"故人が嫌っていたのであえて連絡しなかったら他の人から連絡が行ってしまって「なぜ自分は仲間外れなのか」と相手が怒ってしまって気まずい"とかもあるそうなので。葬儀社の営業さんが言っていた。
私が天寿を全うできるならば、私が主役のお葬式は半世紀後。
その前に、母のお葬式がおそらく四半世紀後。
お葬式の常識も変わっていそうだが、ひとまず2023年現在の体感をつらつら記しておく。