◆講演後、14~16日午前中まで、備中高梁に滞在

 7月13日(土)13:40から、名古屋駅前の「ウインクあいち(愛知県産業労働センター)」にて、講演させて頂きます。7、8年前からの体調不良(肝硬変などの5つの持病から来るものです)に、加齢による体力低下が加わり、長時間の移動が辛くなり、地方講演は今回が最後になるのではと思います。

 これまでも、今年の春まで大学生だった長女の付き添いで、講演を手掛けさせて頂いてきましたが、娘も今年から社会人、この度の名古屋での講演にも付き添ってもらえることになり、一安心。実は、一安心ついでに、岡山県高梁市にも娘の付き添いを得て足を延ばさせて頂くことにしました。 
伯備線の「備中高梁駅」は、幕末の陽明学者・山田方谷(ほうこく)の生誕地という事で、かつて取材を兼ねて何度も足を運ばせて頂いたことがありました。その間に出会った友人たちに、最後のお別れの挨拶と思ってのことです。今回は、14~16日午前中まで、備中高梁に滞在します。

◆藤樹のもとに参集した人々は、武士だけではなく、農民、商人、神職、盲人、職人も含まれていた

話を戻して、名古屋での講演会のことです。
 愛知県在住の有志達の手で作られ、出来上がってきた案内状には
『龍馬も西郷も栄一も、み~んな使っていた「心の健康法」』
 とありました。なるほど、と思いました。言われてみれば、日本陽明学は「心学」と称され、心の健康法を説いた教えなのです。
 それも難しい教えや技術を学ぶ必要などなく、ひたすらシンプルな教えなのです。陽明学の創始者の王陽明の登場以後、東洋の歴史始まって以来、初めて儒教の大衆化が実現していったのは、教えのシンプルさにあったからです。王陽明の元には、詩人、禅僧、商人、樵(きこり)、盲人も集まり学んだのです。
 同じことが、日本でも起きました。江戸初期に、農民から身を起して武士となり、脱藩して近江に私塾を開いた中江藤樹(とうじゅ)は、今では
「日本陽明学の祖」
 として知られていますが、藤樹のもとに参集した人々は、武士だけではなく、農民、商人、神職、盲人、職人も含まれていたのです。

◆人々は、生活が不安定で貧しいからこそ、貧しさから抜け出そうと学問に努め、賢くなっていくし、逆に身分の高い者たちは、生活が安定しているからこそ、工夫と努力をしなくなる

ちなみに、江戸前期の有名な儒学者の一人に荻生徂徠(おぎゅう・そらい)という人がいますが、徂徠は、こんなことを主張していたのです。

「民間の輩には、孝悌忠信を知らしむるより外の事は不入(いらざる)なり。孝経・烈女伝・三綱行実の類を出づべからず。其外の学問は、人の邪智をまし、散々のことなり。民に邪智盛なれば、治めがたき者なり」(『太平策』)

 徂徠の言葉を今風にかみ砕いて言えば、こうなります。

「民衆というのは、孝悌忠信という人として基本的な道徳さえ心得ていればそれだけで十分なのだ。『孝経』『烈女伝』『三綱行実』(いずれも道徳の本)の類の本で間に合っているのだ。『論語』『孟子』といった其の外の学問を民衆が学ぶことは、人のずる賢さを増長させるだけで、政治家にとって良いことではない。民衆が余計な智慧をつければ、民衆を治めることが難しくなるだけである」

 徂徠を高く評価し、褒める人は今でも多いのですが、庶民の出の陽明学派の私には、そういう発想の人がいること自体が、そもそも理解できません。
 今揚げさせて頂いた徂徠の不遜な言葉は、前々から気になっていて、どこかで言いたかったことなのですが、徂徠のように、一般庶民を平気で見下す政治家や財界人は多いのではないでしょうか。
ここでは詳説しませんが、一方の陽明学派はというと、徂徠とはまるで真逆の教えと言っていいものなのです。中江藤樹も、後述します渋沢栄一なども、民衆に『孝経』『論語』などを読むことを勧めました。文字を読めないものには、読み聞かせをして教えたのです。

 さらに興味深いことを、徂徠は述べていました。かみ砕いて披露します。

「上にある者は、苦労に鍛えられることもなく、下々への思いやりに疎く、家来にちやほやされて育ってくるので、自然と我がままになり、下々の者を虫けらのように思ってしまう。その為に、逆に下にある者のほうが賢くなっていく。こうして、太平な世の中の安定が、不安定になっていく要因を育むのである」(同上)

 徂徠は、人々は、生活が不安定で貧しいからこそ、貧しさから抜け出そうと学問に努め、賢くなっていくし、逆に身分の高い者たちは、生活が安定しているからこそ、工夫と努力をしなくなることを、自覚していたのです。だからこそ、徂徠は、法治主義を唱えたのでした。

◆日本陽明学を知るには映画『殿、利息でござる!』を見ることをお勧めする

江戸時代に盛んになった日本陽明学は、戦前教育を否定してきた戦後の我が国では、マスコミも教科書も教えてこなかったものです。ですが、江戸時代、江戸文化を語る時に、決して外して語ることなどできないものなのです。言い換えれば、戦後、私たちが学んできた江戸時代に始まる近・現代史は、一面的で真実ではないということです。
 さて、日本陽明学とはいったいどんなものなのかを知りたい方は、先ずは映画
『殿、利息でござる!』
 を見ることをお勧めします。
 DVDのジャケットを見ると、一見、お笑いのコメディ映画のように思えますが、実はこの映画は、磯田道史(みちふみ)
『無私の日本人』
 の一篇
「穀田屋(こくだや)十三郎」
 が原作となっていて、18世紀に仙台藩領内で実際にあった驚くべき出来事を描いたものなのです。寂(さび)れる一方の生まれ故郷の宿場町を、何とか立て直したいという商人たちの涙ぐましい奮闘の物語です。

◆現在『渋沢栄一と陽明学(仮)』の執筆中

 
私は現在、7月末頃に刊行が予定されている
『渋沢栄一と陽明学(仮)』
 の執筆中です。
 本年2月に、文芸評論家・小川榮太郎先生の解説文を掲載させて頂き、晴れて刊行となりました
『新装版・真説「陽明学」入門』
 と同じく、ワニ・プラスさんからの刊行となります。
 明治の元勲などではありませんが、「経営学の神様」と称されるピーター・ドラッカーが絶賛した大実業家・渋沢栄一も、幼い頃から陽明学に親しんでいたのです。どうぞお楽しみに。

陽明学の創始者・王陽明
「学問とは、先ず、自分を内観(内省)することでなければならない。もし、いたずらに人を責めるだけだと、人の良くないところばかりが目について、自分の良くないところには気づかないままに終わる。若し、きちんと内観(内省)すれば、自分の不十分なところがやたら目に付くようになり、とても人を責めている暇などなくなるはずだ」(『伝習録』下巻、45条)

日本陽明学の祖・中江藤樹
「根本真実の教化は、徳教です。口で教えるのではなく、自分の身を律して道を行い、人々が自然に変化するのを徳教というのです。例えば、水が、物を潤(うるお)そうと思わないのに、自然に物を潤し、火が乾かそうなどとは思わないのに、いつのまにか物を乾かしているようなものです」(『翁問答』上巻)



心の健康法

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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