◆「江戸の儒学は、朱子学も含んだ、単なる展開としての陽明学というものが江戸の儒学の中心であった」

 江戸文学研究で知られる中野三敏先生のご著書
『江戸文化再考、これからの近代を創るために』(笠間書院)
 にこうある。

「朱子学を乗り越えた陽明学をベースとして非常に豊かな発展というものが、江戸の儒学の中で考えられる。・・・(中略)・・・私は、仁斎学も徂徠学も、いずれも朱子学の発展系としての陽明学をヒントにして、そこからもう一度朱子学を批判しようとした。その流れとしてあるんだと考えるのが、一番簡単な、また分かり易い立場なのではなかろうかと思っております。
 ですから、江戸の儒学はですね、朱子学も含んだ、単なる展開としての陽明学というものが江戸の儒学の中心であったというふうに考えていけば、落ち着きのある、よく分かる説明になるんではないかと思っております。
 そしてそこに、近世的自我というようなものがはっきり主張されることになるんです。それが、先ほど申しましたように、陽明学の特徴であります〈人欲の肯定〉でありますとか、〈人間の自然の主張〉でありますとか、〈個性主義〉でありますとか、あるいは〈三教一致〉の考え方でありますとか、〈史学重視、文学重視〉の考え方でありますとか、こういうものはすべて江戸の人の、いわゆる江戸的な自我、江戸人としての自我というものを非常に多きく膨らませ、立派に定着させた大きな理由だと考えております」(
「第4章 近世的自我、思想史再考」)

 江戸文化の根底には、陽明学があったという理解で、中野先生が、まさしく私と軌を一にしておられることがお分かりいただけたと思う。

◆「私達は、150万点のうちの2万点、つまり1パーセント強しか読めなくなっている」

 
そして中野先生のご主張で、一番耳を傾けるべきは、以下の
「和本リテラシーの回復」
 
ということ。以下、要約。

「奈良朝から始まって明治以前に出来た書物といえば、岩波書店が作った『図書総目録』によれば公表で約50万点。同じものが『源氏物語』だけでも800も1000もあるので、それらを一点と勘定して、50万点が『図書総目録』に収録されている。もちろん、そこに入っていない本が山ほどある。おそらくその倍あるとみて、100万点。その他に、一冊300円、500円で古書会館で売っている本、誰かが手控えで書いたとか、旅日記とか、素性不明の人の͡コヨリ綴じの本まで全部入れると、おそらく150万点はある。その内の9割は、江戸時代に出来た書物。つまり、江戸時代に出来た書物だけでも100万点は楽に超す。我々の先祖の叡智、財産、残してくれた知識のあらゆる総体がそこに詰まっている。
 そして、それが全部、変体仮名と草書体の文字で書かれている。
 そのうちの、活字になって読めるものというのは、約2万点に満たないのだ。有名な『奥の細道』や『源氏物語』なんていうものはいっぱい出ている。
 私達は、150万点のうちの2万点、つまり1パーセント強しか読めなくなっている。これが実情。
 おそらくアメリカ人の小学生が、18世紀の独立宣言を読めないといことは、ないと思う。読むだけなら、読める。では、日本人で、超一流の知識人と言われる方でも、例えば明治の初めに出来た福沢諭吉の『学問のすすめ』(1872年)の原本を出されて、読めるかと言えば、かなり難しい。
 これこそが、日本の近代の一番大きな歪というものを生じさせてしまっている、大きな理由なんではなかろうかと思う。

 だから、せめて小学生くらいに、変体仮名というものがあったんだということぐらいは教えておいたらいいのではと思う。そうでないと、これまでずっと千年も2千年も積み上がってきた我々の先祖からの叡智というものが本当に雲散霧消してしまう」
(「第5章 和本リテラシーの回復 その必要性」参照)



江戸文化再考 中野三敏
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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