◆映画『殿、利息でござる!』は、「予告編の軽薄なイメージとはまるで違う」と言って娘が憤慨した。

昨年の2016年5月にロードショー公開され、興行収入13億円越え、累計動員数100万人突破という快挙を成し遂げた映画『殿、利息でござる!』をDVDで見て大変驚いたのは、つい今月のこと。
 というのも、映画の中で披露された浅野屋こと遠藤家の家訓ともいうべき、
< b>『冥加訓(みょうがくん)』
 と名付けられた本が紹介されるのだが、なんと近江聖人・中江藤樹(とうじゅ)を始祖とする「日本陽明学」の本だったのである。

 この映画の原作は、磯田道史(いそだ・みちふみ)
『無私の日本人』(文藝春秋)
 という本である。
 本書には「穀田屋十三郎」「中根東里」「太田垣蓮月」の3つの実話が収録されていて、私は、刊行当時の2012年に既に読んでいたのだが、このときは陽明学者・中根東里(なかね・とうり)に注目して本書を手にしたので、『殿、利息でござる!』の原作となった「穀田屋十三郎(こくだや・じゅうざぶろう)」は、それこそざっと目を通す程度で、大事な個所を見落としてしまっていたというわけなのだ。
 そのために、気づくのがつい先月なってしまった。
 とはいえ、6年ぶりに刊行させて頂けることになった私の新著
『評伝・中江藤樹、──日本精神の源流、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)──』(三五館) 
 にはぎりぎり間に合って、その事実に触れさせて頂くことができた事は、幸運だったといっていい。

 『無私の日本人』の「穀田屋十三郎」が、昨年映画化され公開されたことは知っていたが、ポスターや予告編を見る限りでは、軽薄な映画に思えてならなかったので、映画館に見に行きたいとも思わなかったし、DVDを買って見る気持ちにもならなかった。
 事実、私と一緒に映画を見て感動し、何度も大坪の麻見田を流していた大学生の娘も、
「予告編の軽薄なイメージとはまるで違う」
 と言って、予告編やDVDのジャケット・デザインの軽薄さに憤慨したほどである。

◆「備前は〈備前心学〉といって中江藤樹や熊沢蕃山につらなる陽明の学のさかんな土地であった」

 話を戻す。
 それが、先月、久々に『無私の日本人』を手に取って、「穀田屋十三郎」を最初からじっくり読んだのである。すると、後半部にある次のような記述が目に飛び込んできたのだ。( )内は筆者註。

「──冥加訓(みょうがくん)、この不思議な書物が、なぜ、浅野屋(遠藤家)という、みちのくの商家で大切にされてきたのかはわからない。この小さな書物には、とほうもない神秘の力でも宿っていたものとみえ、これを読んだ甚内(じんない)とその一類(仲間)が、吉岡の救済事業をはじめている。
 十三郎も、幼時、この『冥加訓』の教えをくりかえし諭(さと)されたのを覚えている。
実家の浅野屋では
〈貝原益軒(かいばら・えきけん)先生の御本である〉
と言い聞かされてきたが、あとできけば、違ったらしい。
大坂の版元が、この本を売りたいばっかりに「益軒先生の本」ということにしたのであって、ほんとうは、──関一樂という備前(びぜん。現、岡山県)生まれの無名の学者の書であるという。
備前は
〈備前心学〉
 といって中江藤樹や熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)につらなる陽明の学のさかんな土地であった。
ただ、陽明の学は危険思想として、次第に禁圧されていったときく。だからこそ『冥加訓』も益軒先生の書として売られたのかもしれない」


 私が5、6年前に『無私の日本人』を手にした時にうっかり読み飛ばしてしまっていた大事な個所というのは、今述べた個所のこと。それで、慌ててDVDを取り寄せたのだった。

 映画の中でも、浅野屋甚内のセリフに、こうあった。

「父の教えです。『冥加訓』と申す書物で、陽明学のながれをくんでおります。幼き頃よりくどいほど読み聞かされました」

 続けて、次のような教えの一部が披露される。

「決して恩に着せず、報いを求めることく、行うべきことを行いたもうなり。人も万事、天の行いにのっとりて努めるべきなり」

 娘は、この教えを耳にして、
「道徳だね」
 と、ひとこと感想を漏らしたが、全否定はしないが、「陽明学」や「日本陽明学」の教えと言うのは、単なる道徳ではないのである。

◆江戸期に盛んに学ばれていた「日本陽明学」についての詳しい研究は、まだスタートしたばかりと言っても過言ではない

「穀田屋十三郎」は、18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』(栄洲瑞芝・著)を元にしたノンフィクション小説である。
 内容に関しては、ネタバレになるので、ここではこれ以上詳説は避けるが、繰り返しになるが、浅野屋(遠藤家)の家訓と言っても過言ではない『冥加訓』の著者・関一樂は
「備前生まれの無名の学者」
 で、
「備前は〈備前心学〉といって中江藤樹や熊沢蕃山につらなる陽明の学のさかんな土地であった」
 と、つまり関一樂は「備前心学」つまり「陽明学」の一派だと記してあるのだ。
 「備前心学」とは、「日本陽明学」のことである。
「心学」と言えば、石田梅岩の「心学」を思い起こされる方が多い筈。実のところ、石田梅岩の「心学」というのは、陽明学の影響を受けて成立したことは、専門家の間では周知の事実なのだが、ともあれ、ここでは、別の一派ということで区別しておきたい。
 江戸初期に陽明学によって大悟し、陽明学を日本に根付かせたことから、中江藤樹は「日本陽明学の祖」と称されて久しいが、江戸期に盛んに学ばれていた「日本陽明学」についての詳しい研究は、まだスタートしたばかりと言っても過言ではない状況なので、以下、少し説明をさせて頂くことにする。

「スタートしたばかりと言っても過言ではない状況」と言うのは、ちょっと語弊があるかもしれない。 本当のところは、明治・大正期に「日本陽明学」の歴史的史料が発見されて研究も開始されていたのだが、時代は第二次世界大戦へ向かってまっしぐらということで・・・、終戦後はと言うと、今度は共産主義思想が世界を制覇しかねないという米ソ冷戦の時代で、その渦中の1970年の三島由紀夫の割腹自殺を契機に、「陽明学は右翼の危険思想だ」とする評価が定着してしまったのだった。
 以後、左傾化したマスコミは陽明学を無視し、と同時に学校でも家庭でも教えなくなったために、遅々として研究が進まなかったというのが真実。
(中編に続く)

6fd7be35d6e206d636c9356b094a465b 殿、利息でござる!


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