◆拙著『増補改訂版、真説「陽明学」入門』が重版することになった
4月13日の夜、三五館からFAXが届き、拙著『増補改訂版、真説「陽明学」入門』が重版することになった。十余年ほど前からは、年に一度は、重版してきたと記憶している。
静かなロングセラーと言っていい。
と言っても、初版を一九九四年に刊行して、もう二〇年余が経過してしまった。
新たに書き直して、本書を廃版にしたいというのが本音なのである。
とはいえ、拙著の読者の皆様方には、この場をお借りしてお礼を申し上げる。
いくつもの持病を抱えていて、もう体力がないので、書き直しの苦労を考えたら、新著を出した方がはるかに効率的なのかもしれない。
拙稿『日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』は、昨年一一月に入稿済みなのだが、出版社の都合もあり、刊行時期が決まらないままとなっている。
本書の売りは、中江藤樹とその高弟たちに代表される江戸時代の日本人たちが、陽明学に学び実用化した「日本陽明学」の教えを分かりやすく紹介できた点にある。
事実、「日本陽明学」の教えに学び、その実践体得に努めたことで、私の良知体験は日々増えている。
良知が兆しをキャッチする力を持っていることを、思い知らされることばかりなので、日々の生活がこれほど
「面白い」
と感じたことは、かつてなかったことである。
◆妻が落とした写真を、私が拾った。
そのうちの一つを披露させて頂く。
これは、つい数日前の一一日(火)のこと。
小雨の中を、妻が勤務先のお別れ会から帰宅した。会社の都合で、某店舗が閉鎖になり、そこに勤務していた九〇名近くの人たちが、今後、転勤になり、散り散りバラバラになるということで、お別れ会を開いたのだという。
「ビンゴゲームで、今回生まれて初めて商品をもらったよ」
と言っては喜びながら、
「みんなとの記念写真を一枚撮ってもらった」
そう言って、本人曰く、
「確かにしまったはずのポケットに、無い!」
そういって、荷物の中も探したが、見つからない。
「どこで落としたんだろう」
そう言って、がっかりした妻に、
「今日は、東京での勉強会だから、出かけてくるね」
そう言い残して、そそくさと家を出たのである。
駅へ向かっている途中、進行方向の路上の白い小さな紙が目についた。
「何だろう?若しかしたら・・・」
そう思って雨に濡れたその紙を拾って裏返してみると、それこそは笑顔の妻が映った集合写真だった。
「若しかしたら・・・」
は良知の声だったのだ。
妻が帰宅してから一時間以上は経っている。その間、誰にも踏まれる事もなく、まるで私が拾うのを待っていたかのように、私が歩く進行方向の直線状に落ちていたのだ。また、駅へ続く道は結構広いので、もし道路の端に落ちていたら、目に留まらなかった可能性が大きい。
駅に着いてから、妻に電話で知らせると、開口一番
「え~っ、信じられない!」
であった。
妻も驚いたかもしれないが、拾った私も正直言って驚いた。
常日頃から、良知が発する「内なる声なき声」に耳を傾けるように心がけているからこそ起きた、嬉しい出来事である。
◆『伝習録』の口語訳をスタートさせた
ところで、『日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』の刊行を待ちながら、次の新著にチャレンジさせて頂くことにした。陽明学の研究や思想の実践体得という点では、『伝習録』を無視するなどということはできない相談なので、『伝習録』の口語訳の刊行を急ぐべきと思い、数か月前から取り掛かっている。
そして、その一部を、週一のぺースで、FB(フェイスブック)の「王陽明」に披露させて頂いているところだ。
口語訳にチャレンジしてみて、改めて分かったつもりだったことを思い知らされている。と言っても、その大部分は、儒教のテキストに関する学術的なことなので、実践体得を目指す身としては、気にする必要もないのだろうが、若い人たちに教える側の身としては、まるで知らん顔はできない話である。
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