◆苦悩や不安やストレスのない安定した伸びやか心を実現するには、思いと行動の間にギャップ(乖離)がないことが重要で、そのためには、後悔や後ろめたさなどの要因となる諸々の私欲を減らすこと、これしかないのです。

 年明け早々、自民党の新年会での挨拶で、安倍首相は、江戸後期を代表する陽明学者・大塩平八郎と王陽明の有名な言葉
「山中の賊を破るは易(やす)し、心中の賊を破るは難(かた)し」
 に触れて下さって、これには大いに驚かされました。
 そんなところへ、今度は、グロービス経営大学院の堀義人学長の
「リーダー論に通ずる陽明学、心の陶冶を学ぶ」
 と題する一文が、日本経済新聞に掲載されましたので、更に驚かされた次第です。

 安倍首相の挨拶については、すでに私のこのブログでも取り上げさせて頂きましたので、今日は、堀義人学長の一文について触れさせて頂きたいと思います。

 堀学長が影響を受けたと語られている密教については、本を読んだり松長有慶氏のご講演を聴いたりした程度で、私の専門とすることではありませんので、ここでは陽明学について述べさせて頂きます。
 堀学長の場合は、密教と陽明学に出会ったのは、今から20年ほど前のグロービスを起業して間もない頃のこととあります。
 つまり、ただ単なる好奇心や知識欲からというより、サラリーマンから実業家としての道を歩み始める中、悩み多き経営者の一人として、真摯に心に目を向けた結果、出会った、ということなのでしょう。
 真摯な経営者であれば、誰もがそう思うのでしょうが、堀学長の場合も、無意識のうちに、揺れない心、「不動心」を求められていたものと思われます。
 堀学長は、特に「知行合一」「心即理」に注目されたそうですが、その事実が、そのことを物語っていると思います。
 苦悩や不安やストレスのない安定した伸びやか心を実現するには、思いと行動の間にギャップ(乖離)がないことが重要で、そのためには、後悔や後ろめたさなどの要因となる諸々の私欲を減らすこと、これしかないのです。そして、その為には、「内観」が必要となります。

どれほど頭脳明晰で、語学にも長けていたにしても、自分本位で人望が無ければ、人は引き上げてもくれなければ、応援もしてはくれません。
 また、運よく経済力に恵まれたり、出世できたにせよ、誘惑に負けて罪を犯してしまい、人生を棒に振る人も後を絶ちません。心が弱かったのです。

 拙著『真説「陽明学」入門』には、紙幅の都合もあり、「内観」の重要性を含め、心の陶冶の方法について具体的に述べることができませんでした。
 実は、心の陶冶の具体的な方法論については、江戸時代初期に、陽明学を日本に根付かせた中江藤樹を先駆とするその門人たちの工夫と努力によって明らかにされ、「日本陽明学」として結実したのです。
 「日本陽明学」の実践体得の教えが、今でもとても有効であることは、幕末の志士や明治の元勲達の偉業が証明しているのですが、私や
「姚江(ようこう)の会・群馬」
 で、私と共に約4年かけて『伝習録』を読破した
「姚江の会・七人のサムライ」
 たちが実感していることでもあります。

 「日本陽明学」によって明らかにされた陽明学流の心の陶冶の方法については、昨年11月に脱稿しました私の新著『評伝、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』(三五館)に詳説させて頂きましたので、どうか刊行迄もうしばらくお待ち下さい。
 諸外国のみならず、昨今の我国でも、数字ばかりに目を向けて、心に目を向けることのない経営者のほうが圧倒的に多いと思いますが、そういう意味で、心に注目された堀学長は、日本人らしさを牽引する稀にみる経営者であると思います。

 以下は、日経に掲載になった堀義人学長の記事です。

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リーダー論に通ずる陽明学、心の陶冶を学ぶ
グロービス経営大学院学長 堀義人氏(49)
2017/1/13付

 僕が最も影響を受けた思想が、陽明学と密教である。
 僕が密教に興味を持ったきっかけは、尊敬する起業家である斑目力昿氏(ネミック・ラムダ=現TDKラムダ=の創業者)との出会いだ。斑目氏は高野山大学で学び、僧侶の資格を持つユニークな起業家だ。20年ほど前に、斑目氏と高野山の宿坊に泊まり、密教思想に触れる機会を直々に頂いた。その後、真言密教を大成した空海の著書や空海に関する書物を、僕は乱読し続けた。
 陽明学に出会ったきっかけは、内村鑑三の「代表的日本人」を読んだことだ。この本に出てくる西郷隆盛と中江藤樹の2人の偉人に影響を与えたのが陽明学だ。その後、陽明学と名がつく本を可能な限り読破した。当時、僕は30代前半でグロービスを起業して間もない頃だった。
 陽明学の代表的な教えが「心即理」と「知行合一」である。僕の解釈は、とてもシンプルだ。「心=理」、「知=行」であり、仮に「理」と「知」とを同じものと捉えると、心=理・知=行とイコールで結ばれる。つまり、心のあり方がそのまま思考となり、行動に表れるのだ。
 思考と行動が違うと、言行不一致となり、信用を失う。心で思ったことと頭で考えたことが違うと、心と頭が解離した状態となり、心にストレスが生じる。心・思考・行動の一致が最も重要となる。その全ての起点となるのが、「心のあり方」だ。陽明学は、心学とも呼ばれ、心を陶冶することを勧めている。
 しかし、陽明学の始祖である王陽明が「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」と唱えたように、心を律することは難しい。そもそも、自らの心を認識することすら、とても難しいのだ。僕自身、自らの心のありようが分からずに、部屋の隅っこでうつむきながら、悩んだ時期もあった。ヒントを与えてくれたのが、陽明学と密教だった。自らの「心」が察知できないのは、「欲望」と「頭の作用」という2つの邪魔ものがあったからだ。
 名声欲や金銭欲、権力欲などの欲望があると、「お金をもうけたいから」「有名になりたいから」「権力が欲しいから」という理由で、自らが心で欲しているものではなく、欲望に流されてしまいがちになる。
 一方、頭の作用が強過ぎると、自分の心を、頭で誘導しがちになる。受験戦争を繰り広げて、「良い大学に入り、良い会社に入ることが幸せだ」と頭から信じていると、本当の幸せを見失うのと同じ道理である。
 心はほのかな光しか発していない。欲望と頭の作用がギラギラと光り覆い隠してしまうから心が見えにくくなるのだ。心を察知するには、その2つの邪魔ものを除去する必要がある。
 欲望をそぎ落とし、頭の作用を止めるのに役に立ったのが、密教の思想だ。座禅などを通して、空(くう)の状態になることで、欲望をそぎ落とし、頭の作用を止められる。

 心を察知できれば、心を陶冶できる。心の中の恐れ、怒り、ねたみ、不安など悪い心を打ち払い、希望に満ち、明るく、前向きな善い思いを心に満たし、心を強くできる。心を陶冶することを日々の業務の中で意識して行い続ける。すると心・思考・行動が一致し始め、心即理、知行合一を実行できるようになる。
 密教と陽明学の教えは、僕の「心のあり方」のよりどころとなった。良い教えは、可能な限り多くの人に教えたい。密教は宗教的教えなので、経営大学院では教えにくい。だが、陽明学は可能だ。グロービスでは、「真説『陽明学』入門」(林田明大著)を経営学修士(MBA)学生の必読書として定めている。
 陽明学の教えにより、心が陶冶された良きリーダーが日本から数多く輩出されることを心より願っている。

[日経産業新聞2017年1月13日付]

堀義人(ほり・よしと)1986年京大工卒、住友商事入社。米ハーバード大経営大学院で経営学修士号(MBA)取得後、92年にグロービス設立。「ヒト・カネ・チエの生態系を作り社会の創造と変革を行う」ことを目標に、経営大学院の経営、ベンチャーキャピタルの運営、経営ノウハウの出版・発信を手掛ける。茨城県出身。54歳。


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