◆「山の中の賊を退治するのは簡単だが、心の中の賊を退治するのは難しい」

 前回は、安倍首相が新年の挨拶の中で触れられた陽明学者・大塩平八郎と陽明学の創始者・王陽明のことについて触れさせて頂きました。
 今回は、安倍首相が新年の挨拶の中で触れられた王陽明の言葉、
「山中の賊を破るのは易(やす)し、心中の賊を破るのは難(かた)し」
 についてです。

 この言葉は、王陽明の遺した言葉の中でも、
「知行合一(ちこうごういつ)」
「事上磨練(じじょうまれん)」
 と共に特に人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した言葉といっていいものです。
 通常は、「の」を省いて
「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」
 という言い方をしています。
 意味は、文字通りで、
「山の中の賊を退治するのは簡単だが、心の中の賊を退治するのは難しい」
 です。
「心の中の賊」
 というのは、
「私欲(私心・人欲)」
 のことです。
 心の中に人欲があると、心の本体であるところの
「良知(りょうち)」
 言い換えれば
「天理(明徳。本当の私)」
 が働かない、発揮されないのです。
 それも、ほんの少しの私欲であっても、良知を発揮することができなくなるというのです。

 そのことを、王陽明は、次のように述べています。

「省察克治(せいさつこくち。内省し私欲を克服すること)の修養は、途切れてはならない。人欲に対して、まるで盗賊を徹底的に掃討するように、徹底しなければならない。
 何事もない時であっても、色を好み、財貨を好み、名声を好むなどの私心を、一つひとつ追及して探し出し、根っこからその病根を抜き去って、二度と起こらないようにしなければ、十分とは言えない。
 だから、普段から、猫がネズミを捕らえるときのように、じっと眼を凝らし、耳を澄ませて、ほんのちょっとでも私欲の芽が萌(きざ)したならば、釘を切り鉄を截(た)つように、一気に、相手に手段を講じる余裕を与えたり、逃げ隠れさせてはならない。
 これでこそ、始めて本当の修養をしたことになり、私欲を徹底的に取り除くことも可能となり、やがては、もはや克服するべき私欲もなくなり、そうなれば、自己の自然のままに振る舞っても良いことになる」(『伝習録』上巻40条)


 陽明の省察克治の修養を実践するとなると、とてもとても、人の欠点を見つけたり批判している暇などありませんね。
 まさしく
「己に厳しく、他人には寛容に」
 なるしかないわけです。

◆「もし、君たちが、我が心の底に仇をなす私欲を残らず掃除することができるならば、これこそ本当に男子たるものの、この世にまたとない偉丈夫の偉大な業績と言って良いであろう」

「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」の言葉は、1517年、陽明46歳のときのもので、福建省南部の汀州・漳州(ていしょう・しょうしゅう)地方の匪賊(ひぞく)討伐の陣中から、門人の楊仕徳(よう・しとく)に与えた手紙に見ることができます。その後、門人・薛侃(せつ・かん。尚謙)に与えた手紙でも同じ言葉を引用しています。
 陽明は、この前の年の秋に都察院右僉都御史(とさついんうせんとぎょし)に任命されて、高級官僚でありながら、文武両道のその才能が評価されて、武人としての新たな生活がスタートしていました。
都察院右僉都御史とは、今でいう検察庁長官に相当するポストで、各地を見回り、地方官吏の不正を正し、暴動や反乱などを取り締まる仕事で、まさに命がけの日々となっていたのです。

 そして、これが、陽明が47歳のときに、門人の薛侃に与えた手紙です。陽明は、1518年に、江西・広東両省の境にある三浰(さんれん)の賊を平定するのですが、その戦いの途中で、書き送ったのでした。

「私はすぐその日、竜南(江西省贛州府竜南県)に到着した。明日、賊の根拠地を攻撃する。味方の軍は、四方から作戦通りに進撃しており、賊を必ず打ち破る態勢をとっている。
 私は、横水(江西省崇義県)にいたとき、楊仕徳(よう・しとく)に手紙を出して、
『山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し』
 と言ったことがある。
 私が、盗賊を退治したところで、何も不思議に思ったり驚いたりするようなことでもない。もし、君たちが、我が心の底に仇をなす私欲を残らず掃除することができるならば、これこそ本当に男子たるものの、この世にまたとない偉丈夫の偉大な業績と言って良いであろう」(『王陽明全集』巻4)



◆「私に秘策などないのです。ただ平生、自ら信じているのは良知です。およそ機に応じて敵に対したとき、ただこの1点の霊明(良知)が霊妙に感応し、いささかも生死利害に動かされなかっただけなのです」

 陽明は、その晩年に、反乱鎮圧に東奔西走する武人としての日々を約6年間過ごして57歳で亡くなりましたが、驚くべきことには、その間、一度も負けることが無かったのです。
 用兵の秘策を、後に門人の王龍溪(おう・りゅうけい)に質問されて、こう答えています。

「私に秘策などないのです。ただ平生、自ら信じているのは良知です。およそ機に応じて敵に対したとき、ただこの1点の霊明(良知)が霊妙に感応し、いささかも生死利害に動かされなかっただけなのです」(『真説「陽明学」入門』第1部第3章)

 デビュー作の『真説「陽明学」入門』を刊行させて頂いて約20年余が過ぎました。これは、その間、私自身が、良知の自覚と良知を信じる工夫と努力を継続してきたからこそ言えることですが、良知には、物事や出来事の兆しを直前にキャッチする働きがあることからすれば、良知のおかげで数々の危機を潜り抜けて来たであろうことは充分理解できます。

 かつて、私がお世話になった九州大学名誉教授の岡田武彦先生によれば、
『大塩平八郎は、陽明の名言「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」の語を、印章に用いたと聞いたことがある』(『岡田武彦全集3、王陽明大伝③』第13章、参照)
 とのことでした。
 最後になりますが、というわけで、「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」は、大塩平八郎の座右の銘だったということになりそうです。

 

 

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