◆「やたらと座禅を組んだり、お経の文句を覚えたり、禅宗の古則を覚えたりするといった知識なんてのは、全く無用だ」一休宗純

 「開運!なんでも鑑定団」は、気分転換を兼ねて、拝見させて頂くのだが、2014年3月4日放送では、久々に驚きの真筆を見せて頂くことができた。
 「一休さん」こと一休宗純の書である。
 一休宗純と言えば、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で詩人である。
 以下は、「開運!なんでも鑑定団」のHPからである。( )内は、筆者注。

『(出品者の瀧島ひろ子さんは、)小笠原流礼法の師範。月に1~2回、中学生を相手に礼法を教えている。
 お宝は幼いころから大好きだったもの。長年実物が欲しいと思っていたが、ほとんどは博物館や寺が所蔵しているので、無理だと諦めていた。
 しかし20年程前、たまたま入った骨董店で
「あります?」
と冷やかし半分で聞いたところ、
「あるよ」
と店主が見せてくれた。
値段は高価だったので父に電話で相談すると
「そんな凄い人物の書をお前が持つべきではない」
と一喝され泣く泣く諦めた。
しかし1週間後、やはり欲しかったのでもう一度店を訪れ値切って購入。
以来ずっと大事に保管し、家族の誰もその存在を知らない。』


 当時、瀬島さんは二十歳前後であったろうか、この時に、一休宗純の掛け軸を手に入れたのである。
 本人評価額は、買った時と同じ値段の180万円であった。それも、200万円と言われたのを、180万円に安くしてもらったのだという。
 驚きの鑑定結果は、応仁二年(1468年)の真筆という事で、2500万円であった。75歳頃の書という事になる。

 以下、書の冒頭の一部である。
「凡参禅学道須絶悪知悪覚 而至正知正見也 悪知悪覚者 古則話頭経論要文坐禅 観法労而無攻者也」

 鑑定をした愛知文教大学学長・増田孝氏は、次のように語っている。

『真筆に間違いない。寺院や博物館のガラス越しに見たことはあっても、目の当たりに見たのは初めて。
 禅宗を修業しようとするものに説き示した言葉ですね。
 やたらと座禅を組んだり、お経の文句を覚えたり、禅宗の古則(こそく)を覚えたりするといった知識なんてのは、全く無用だと書いてある。
〈もし見て得ざる者は、とこしえに成仏せざるの感なり〉
 要するにこのことが分かってても、理解できない者は、永遠に成仏なんてのはできないんだ、ということが非常に手厳しい言葉で書いてあるんですね。
 一休が当時の禅宗の世界を批判的に見て、それに反抗しようとした思想が依頼品にも盛り込まれている。

 最初の一行は楷書体に近い字体で書かれているが、だんだん調子が乗ってきて、最後の方はまさに流れるような、一休の面目躍如たる書になっている。』


 不肖私もかつては、自己流ながら、坐禅三昧の日々を経験したことがあった。夏も冬も関係なく、アパートの屋上のコンクリートの床の上に地下に座ってやったので、冬場の坐禅が良くなかったらしい、痔になってしまい、それを契機に座ることを止めたのだった。夢うつつの中なのか、幻覚を見ることもあった。

「愛」や「思いやり」「惻隠の情」を今風に言い換えれば、「自己犠牲」といって良いだろう。
 5分、10分の静坐ならわかるが、長時間にわたって坐禅をするよりも、自己犠牲を発揮して、妻の家事を手伝ったり、掃除をしたり、子供の宿題を見てあげたりして、家族に喜んでもらうことの方が円満でいい、私欲を減らすことにもつながるし・・・、そう思う今日この頃である。

 


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