◆「生きながら 死人となる」というのは、「我(私欲)を払拭する」という事である。仏教でいう、「無」「空」という境地のこと。

NHK『こころの時代~宗教・人生~「いま・ここを生きる 鈴木大拙の生と死から」』の中で、鈴木大拙館名誉館長の岡村美穂子氏が、以下の言葉を披露された。

「老荘、仏教、が分かると、陽明学も分かるし、その逆の、陽明学が分かると、老荘も仏教もよくわかってくるよ」
と、私は折に触れて話をさせて頂くのだが、以下の言葉も、その典型と言っていい。この言葉の価値が分かる人は、老荘、仏教、儒教(特に陽明学)の教えも分かるはずである。
 以下の至道無難禅師の言葉は、禅学の世界では、非常に有名な言葉で、私は、今は亡き筆禅堂の師家・寺山旦中(たんちゅう)老師から何度も聞かされてきた言葉として記憶に残っている。
 上智大学講師・花園大学講師・二松学舎大学教授だった寺山先生は、「剣・禅・書一如」の居士禅会「鉄舟(てっしゅう)会」を主宰した大森曹玄(そうげん)・元花園大学学長に参禅して禅と直心影流の剣道を修め、その禅風を受け継いで
「筆禅道」
を世に宣揚(せんよう)しておられたが、残念なことに2007年5月1日に胃がんで亡くなられた。享年69歳。

 私は、有難いことに、寺山先生の最晩年の数年間、寺山先生に書を教えて頂くことができたのである。

 岡村美穂子氏は、「死人」を「しにん」と読まれていたが、寺山先生は「しびと」と読んでおられたので、私は「しびと」と読ませて頂いている。

生きながら
死人(しびと)となりて
なり果てて
思いのままにする
わざぞよき
            至道無難


 「生きながら 死人となる」というのは、「我(私欲)を払拭する」という事である。仏教でいう、「無」「空」という境地のこと。
 「なり果てて」とあるので、単に「成る」のではなく、「成り切れ」というのだ。
 私欲、つまり「俺が」「私が」の「我(が)」が無くなった時、言い換えれば、私欲から解放された時には、死への恐怖は無くなっているので、当然のことながら、貧乏や怪我や病気への不安や恐怖も無くなっており、この世に怖いものなどないので、やることなすことから作為が無くなり、自然に、自由自在にできるようになる、というのである。
 病気や貧乏への不安や恐怖は、お金で何とか軽減はできるものの、その根っこにある死への恐怖を払拭しない限り、無くならないのである。
 死を覚悟して戦場に臨むのと、何が何でも生きて帰るんだと自らに言い聞かせて戦場に臨むのとでは、雲泥の差があり、生還を願いながら戦う人の身体は、死を目前にすると萎縮して普段の自然な動きができなくなるという事はお分かりいただけると思う。
 自分を意識しないときに、身体は自然な動きをしているのであり、その逆に、自分を意識する、例えば歩くことを意識したり、他人の視線を意識したときには、私の言動から自然な動きは雲散霧消してしまい、自由な動きはできなくなっているのである。

 と、言葉でいうのは簡単で、頭でわかったからと言って、では出来るかといえば、それは別問題となる(^^;。

【至道無難(しどう・むなん)禅師プロフィール】
 生年: 慶長8 (1603)
 没年: 延宝4.8.19 (1676.9.26)
 江戸前期の臨済宗の僧。「ぶなん」ともいう。美濃(岐阜県)生まれ。俗姓は相川。生家が関ケ原の本陣宿屋で,父が帰依した愚堂東寔(ぐどうとうしょく)が投宿した際に指導を受け,「至道無難」の公案により徹悟し,法嗣(ほうし)となる。出家した年には40歳前後,47歳と諸説ある。
 江戸に出て麻布に東北庵を開き至道庵と号し,延宝2(1674)年門人が建立した渋谷の東北寺の開山に招かれたが断り,小石川に移した。2年後に示寂(じじゃく)。
 徳川家綱の信頼を得たが名刹(めいさつ)を避けた。出家禅には批判的で,庶民的な庵主禅を説いた。法嗣は白隠慧鶴(はくいんえかく)の師・道鏡慧端(どうきょうえたん)。
<著作>『即心記』『自性記』<参考文献>『続日本高僧伝』8巻 (藤田正浩)(朝日日本歴史人物事典)



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