◆群馬県渋川市長、「子ども議会」の席上で居眠り

 このテーマで考えたことはついぞなかったのだが、今回は、政治家について考えてみた。
 というのも、昨夜、以下の一文を、フェイスブックとツイッターに書かせて頂いたからである。

『群馬県渋川市の阿久津貞司(あくつ・さだじ)市長は、昭和20年生まれと言うから四捨五入したら70歳という年齢。
 年齢のせいにはできないと思うのだが、あろうことか、8月8日(木)に渋川市役所で開催された
「子ども議会」
の席上で、居眠りをしていたという。
 中学校の代表として参加した中学生たちが、張り切って臨んだ議会で質問したその時、答える立場の市長は眠っていたというのである。
 一所懸命に練習して質問に臨んだ中学生は、無念な思いだったという。
 大切な市政を任されたリーダーがこれでは、群馬県民や渋川市民は恥ずかしくて、いてもたってもいられないに違いない』


 私もそうだが、私も還暦を過ぎたころから、睡魔に襲われることが多くなった。特に、食事の後や、夕食の後は、眠気に苛(さいな)まれることが多くなった。
 とはいえ、たとえ相手が小・中学生であっても、市長としての自覚があるのなら、眠気をふり払って仕事に臨まなければならないはずである。

◆佐賀県武雄市に、「TSUTAYA(ツタヤ)」と「スターバックス」が入った民間委託の図書館があり、利用者が急増して、全国から多数の見学者が押し寄せている

 これは、まだつい最近の佐賀県の市長の話である。
 人口5万人にしか過ぎない佐賀県武雄市に、「TSUTAYA(ツタヤ)」と「スターバックス」が入った図書館があり、民間委託で利用者を急増させて、今、全国から多数の見学者が押し寄せるほどだという。
 実現にこぎつけたのは、43歳の樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)市長である。さらに、現在、改革のターゲットを図書館から病院、さらには教育へと広げ、地方改革を大胆に推進しているという。
 思いついて、すぐに実現できたわけではない。
 周囲からの大反対を押し切って臨んだ結果の好結果であった。クビを覚悟の英断だったのである。
 詳しくは、nippon.com
『「地方自治でできないことはない」樋渡啓祐・武雄市長、図書館革命を超えて“公共空間革命”へ』
http://www.nippon.com/ja/people/e00047/
 をご一読願いたい。
 市長とはこうあるべきであろう。

◆沖縄戦の最も困難な時期に、官選沖縄県知事を拝命し、死を覚悟して単身赴任、県民救助に奔走、殉職した島田叡(しまだ・あきら)

 これも、政治家の話である。
 つい先日録画しておいたTBSドラマ
『テレビ未来遺産“終戦”特別企画報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~』
 を見た。
 と言っても、いつものことながら、早送りしながらではあるが・・・。
 今から約70年前の、沖縄戦の最も困難な時期に、官選沖縄県知事を拝命し、死を覚悟して単身赴任、果敢に務めあげて、昭和20年の終戦を目前にした6月末に殉職した島田叡(しまだ・あきら)が主人公である。戦時中、最後の沖縄県知事と称されている。
 政治家の後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)氏や佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が尊敬していたのが、この人物だという。
 そして、後藤田正晴氏が島田叡氏を語った言葉がこれである。

「旧内務省にはえらい人がおった。
 たとえば、米軍上陸がわかっとるのに最後の沖縄県知事として赴任した、島田叡さんという人がおる。
 前任者は病気とかなんとかいうて逃げて本土に帰ってきてしもうた。内務省は困ってしもうていろんな人に打診するが、引き受けるものがおらん。
 そこで島田さんに白羽の矢が立ったんじゃ。
 島田さんは断らんかった。行けば死ぬの分かってるのに単身赴任して、上陸作戦が始まるまでに一人でも多く県民を救おうと、学童疎開やったり、台湾から食料調達したり一生懸命働いた。
 米軍上陸の直前、非戦闘員の撤収が行われたんだが、島田さんは県民と一緒に残る、いうて脱出せなんだ。そして摩文仁(まぶに)の丘で死ぬんよ。戦死とも自決ともいわれとる。
 未亡人になられた島田さんの奥さんは、子供を育てるために魚の干し物の行商をやってな。ワシらも貧乏でどうもならん。せめて少しでも足しになりたいというて、みんな申し合わせて魚の干し物、買ったよ」(佐々淳行『わが上司 後藤田正晴』)


 ドラマの島田知事役を、緒形直人(俳優・緒方拳の長男)、また島田知事を支える荒井退造・警察部長役を的場浩司が演じた。的場は、熱が入り過ぎたのか、ちょっと力み過ぎだったが・・・。
 沖縄県知事・泉守紀(いずみ・しゅき)と副知事格、つまりナンバー2だという内政部長(調べてみたのだが、今のところ、氏名が分からない)が、荒井が必死の思いで推し進めていた県民疎開の足を引っ張り、職場放棄さながらに逃げ回り、ついには本土へ逃げ帰ったのだった。
 泉の後を受けて沖縄県知事を拝命したのが、兵庫県生神戸市まれで野球やラグビー大好きのスポーツマン・島田叡であった。
 米軍の沖縄上陸が迫る中、沖縄県知事拝命を周囲の者皆で止めたが、島田は

「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん」

 と答えたという。
 沖縄へ向かうときに手にしたトランクは2つ、その中には、愛読書の
『西郷南洲遺訓』
『葉隠れ』
 日本刀、ピストル2丁、そして自決用の青酸カリが入っていた。

 ウィキペディアにこうある。

『島田叡:1901年(明治34年)12月25日―1945年(昭和20年)6月27日? 島田は(旧)神戸二中、三高、東大を通じて俊足巧打の不動の1番バッター。学生野球の功労者として東京ドームの野球殿堂の戦没野球人モニュメントに名前を刻まれています。
 座右の銘の
「断じて敢行すれば鬼神(きしん)も之(これ)を避(さ)く」(『史記』李斯伝)
 は、母校(現・県立兵庫高校)の碑に書かれた言葉です)』


「鬼神」とは、荒々しく恐ろしい力を持つ神霊のことで、
「断固たる決意で行動すれば、鬼神でさえその勢いに押されて、道をよける」
 という意味。

◆「偉い人とは、大臣大将の地位ではない。財産の有無でもない。立身出世でもない。後ろから拝まれる人、死後慕われる人」

 玉砕が叫ばれる中、生き抜くことを説き続けた島田の信念は、『西郷南洲翁遺訓及び遺文』に基づいているという。
 西郷隆盛は、拙著『真説「陽明学」入門』に「西郷隆盛と陽明学」と題して、約30ページにわたって解説させて頂いたのでここでは触れないが、陽明学を奉じていたことで知られている。
 ドラマの中で、島田の言葉として、

「偉い人とは 後ろから拝まれる人、死後慕われる人」

 が引用される。
 公職に身を置く人が、肝に銘じて頂きたい言葉である。
 この言葉の出どころについてである。
「福岡県朝倉市」のHP
〈ふるさと人物誌39 『大西郷全傳』の著者「雑賀博愛」(さいがひろよし)〉
 を参照させて頂いた。

 
 佐賀市龍泰寺(りゅうたいじ。曹洞宗)の佐々木雄堂・住職は、西郷隆盛に心酔し、自坊に「西郷塾」を開いて、青少年の指導に当たっていた。
 佐々木住職は、『大西郷全傳』の著者・雑賀博愛(さいが・ひろよし)とも仲良しで、博愛を招いて、夏と冬にそれぞれ一晩だけの特別講座を開いたのだった。
 昭和13年冬の講座のとき、博愛は西郷の言葉を引用し
「偉い人とは、大臣大将の地位ではない。財産の有無でもない。立身出世でもない。後ろから拝まれる人、死後慕われる人」
 と話したのである。
 この話を末席で聴いていたのが、当時、佐賀県警察部長の島田叡で、散会後、住職と博愛にあいさつし
「官吏として反省するばかりです。真の自己完成に励みます」
 と語ったという。


 さらに『西郷南洲翁遺訓(さいごうなんしゅうおういくん)及び遺文(いぶん)』の言葉
「至誠(しせい)」
 について、ドラマの中では、こう説明がなされた。
「自分が誠を貫いていれば、必ず後世において評価してくれる人がいるだろう」
 と。
 続けて、「至誠」の意味は、
「生を尽くすこと」
 だと。
 私は、この意訳には、納得できなかった。
 やはり番組中で何度かセリフに用いられる
「命(ぬち)どぅ宝(命が一番大事)」
 という言葉に同調させたかったのだろう。
 私たちは、この世には、命よりも大事なものがあることを学び、子供たちには教えなければならないのだが・・・。

 
 そこで、「至誠」について考えてみた。
 西郷隆盛は、
「事(こと)大小と無く、正道(せいどう)を踏(ふ)み至誠を推(すい)し、一時の詐謀(さぼう)を用(もち)ふ可(べ)からず」(『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』)
 と、つまり
「出来事には大小などなく、どんな大きい事でもまたどんな小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない」
 と述べている。

 また別のところでは、
「至誠の域は、先(ま)ず慎独(しんどく)より手を下(くだ)すべし。閑居(かんきょ)即慎独の場所なり」(同上)
 と、意訳すれば、
「至誠(真心)の境地は、まず独りを慎むことから手を下すべきである。することもなく暇(ひま)でいることは、すなわち独りを慎むによい環境なのである」

 「慎独(独りを慎む)」とは、
「人の見てないところだからといってだらけないで、自分を律する」
 ということである。

 あるいは、幕末の陽明学者・山田方谷(ほうこく)は、通常「真誠惻怛(しんせいそくだつ。真心から同情しいたみ悲しむ気持ち)」と言うべきところを、敢えて
「至誠惻怛(しせいそくだつ)」
 と言い換えている。
「思いやり(真心)といたみ悲しむ気持ち」
 のことである。
 
 実は、「真誠惻怛」も「至誠惻怛」も「心の本体」のことであり、「真吾」のことであり、「良知」のことなのである。
 そして「至誠」とは、「良知」「仏性」のこと、今風に言い換えれば「良心」のことである。


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