◆「この慰安婦像の建設は、なんら肯定的な目的をもたらさない。日系アメリカ人に苦痛を与えるだけである」

 アメリカ在住40年余の木庵(もくあん)先生のブログ「木庵先生の独り言」に詳しいのだが、この度、アメリカはカリフォルニア州ブエナパーク市での「慰安婦像」建設が見送られた。 とはいえ、一時的かもしれないのだが、このことに大きく貢献したのは、日系2世のロバート・ワダ氏の反論であった。
以下は、「羅府新報」の英語版に掲載された、市議宛のワダ氏の反対意見の全文である。
その前に、下記の木庵氏からの日系人についての説明を一読して頂いてから、ワダ氏のメッセージをお読みいただきたい。というのも、ワダ氏は、日本擁護というより、あくまでも日系人の立場から反対意見を述べておられるからである。

「日系人はアメリカ生まれの2世、3世、4世のことであり、日本人は日本生まれで、戦後アメリカにやってきた人のことである。
更に詳しく述べるなら、帰米2世(日本で教育を受けた日系人のこと)、日本語がほとんど話せなく、日本文化とは程遠い生活をしている日系人、精神的に日本人と変わらない日系人、などと、色々なタイプの日系人がいる。日本人でも日本企業の派遣社員、また現地で採用された日本人とこれも複雑な階層を呈している」


以下、7月23日のブエナパークの公聴会の後、市議会に送られたものである。公聴会では第二次世界大戦での韓国人慰安婦像を建てることについて議論された。
とても感動的なメッセージなので、是非一読願いたい。
拡散希望。見出しは筆者。


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◆「あなたたちに次のことを思い起こしていただきたい。大戦前、ここオレンジ郡のほとんどには、ハンチントン・ビーチも含めたすべてにおいて、日系一世や二世が所有し、経営していた圧倒的な数の農場があったことを。彼ら日系1世や2世たちは、韓国人やあなた達の先祖が来る前に、すでに農業を営み、地域の食べ物を供給してきたのです」

私はRobert M.wadaという者です。私はブエナパークに30年住んでいて、その前の23年間「Blue Hills」として知られている La Miradaに住んでいました。私はカリフォルニアのRedlanndsに生まれ、育ち、教育を受けました。
日本を先祖に持つアメリカ日系2世です。私は少年の時、アメリカの西海岸に住む日系アメリカ人2万人以上が強制収容所に入れられた被害者の一人です。
第二次大戦での強制収容所の被害者であるにかかわらず、何も知らない国の人々を助けるために、1950年の朝鮮戦争のとき、アメリカ海兵隊に志願し、任務につき戦いました。
私は、朝鮮戦争によって、とてもとても親しい友人を二人亡くしました。そのうちの一人は、幼稚園頃からの知りあいです。その意味でも彼の死に対して、責任のようなものさえ感じています。
 私は、「The Orange County Register」の記事を読んでから、この手紙をあなた方(市議たち)に書いています。
 その記事には、ブエナパーク市に建てられようとしている、問題を多く抱えている韓国慰安婦像について書かれていました。
 次の公聴会の日時を教えて下さい。その時は参加して、像建設に対する私の反対意見を述べたいと思います。

 ブエナパークでの像建設に反対なのは、戦争時代の日本を許すとか守るためのものではありません。アメリカ日系社会を守るために立ち上がっているだけです。謝罪は日本からなされるべきものであり、ブエナパーク市がするものではありません。これは日本と韓国の間の問題なのです。
 テレビにおいて公聴会での最後のスピーカーが話した後に、私は多くの若い韓国人が数字や統計を基にした残虐性の話を語っているのを聞きました。
 これは私の意見ですが、彼らはまさに、若い日系人が、「日系人強制キャンプ※」の酷い状況を語るときに、視聴者や聴衆に説得力を見せつけるために大げさに語っているのとよく似ていることを発見しました。実際にキャンプを経験した人は、若者が語っていることは本当の事実とだいぶ違うことをよく知っています。

※日系人の強制収容(にっけいじんのきょうせいしゅうよう, 英: Japanese Internment とは、第二次世界大戦時においてアメリカ合衆国やアメリカの影響下にあったペルーやブラジルなどのラテンアメリカ諸国の連合国、またカナダやオーストラリアなどのイギリス連邦において行われた日系人や日本人移民に対する強制収容所への収監政策である。1942年から1946年に亘って実施された。


市議たちに物申します。
ブエナパーク市以外から来た、この問題に興味を持っているグループより、ブエナパークに住んでいる住民に注意を向けてもらいたいことを。
 あなたたちに次のことを思い起こしていただきたい。大戦前、ここオレンジ郡のほとんどには、ハンチントン・ビーチも含めたすべてにおいて、日系一世や二世が所有し、経営していた圧倒的な数の農場があったことを。
 彼ら日系1世や2世たちは、韓国人やあなた達の先祖が来る前に、すでに農業を営み、地域の食べ物を供給してきたのです。フラトン州立大学のキャンパスに農産業博物館(正確には「オレンジ郡農業・日系博物館」)があります。それはオレンジ郡のどの市にもあるというものではありません。
 私の意見ですが、いまだ議論の余地のある問題を抱えている慰安婦像は、ブエナパーク市にとってもアメリカの何処においても有益であるとは思わないのです。
 これは2つの国の問題なのであり、そのような像は、対立を激しくするものであり、ただ我々ブエナパーク市がもっている多様なものの中の一部に恩恵を与えるだけのものなのです。
 黒人奴隷の、ヒスパニックの移民の、大戦におけるユダヤ人大量虐殺の、収容所時代の日系アメリカ人市民の憲法で保証されている権利の一時的な剥奪の記念碑を、今後さらに市に建てるべきなのでしょうか。

 提案されている記念碑は、外国の問題であり、私を含めた日本を先祖にもつ多くのアメリカ人の問題ではありません。
 また、朝鮮戦争に参加し死んでいった254名の日系アメリカ人の問題でもありません。我々は、そして彼らは、この我々の国(アメリカ)を愛し、大韓民国の人々の自由のために戦い死んでいったのです。彼ら日系人たちは、アメリカ合衆国で築き上げた既得権を辱めるために死んでいったのではないのです。
 市議の皆さんに望むことは、広い心を持ち続けて頂きたいということです。
 そして、断固として反対している私のように、慰安婦像反対の意見を述べないでいる多くのブエナパークの住人がいることを念頭に置いてもらいたいのです。
 日系アメリカ人社会ではよく知られていることですが、日本にいる日本人への憎しみがあり、そしてここアメリカにおいても、日系人に対する憎しみが展開していることを。
 数年前、ソールとその近くにある大学で教えている韓国人でない教授からEメールを受け取りました。彼は私に質問してきました。
「なぜ韓国の大学では、日本人や日系アメリカ人を嫌うような教育をしているのか?」
 と。
 勿論私は、質問に答えました。
「なぜ、日系アメリカ人も含んでいるか分からない」
 と。
 間違いなく、日系アメリカ人が嫌われる理由はありません。私は教授のコメントの正当性を立証することなどできません。なぜなら、私の意見ですが、それは噂であり、噂の情報を信じるわけにいかないからです。
 私は、1997年に
「日系アメリカ朝鮮戦争退役軍人会」
 を組織し、最初の会長になり任期の4年を務めました。
 韓国人と日系人の間に横たわるギャップに橋をかけるべく、朝鮮戦争で死んだ日系アメリカ人254名の名前を刻んだ記念碑を、南北朝鮮の非武装地帯に建設することを韓国政府から許可を得ました。記念碑は韓国のPaju 市(坡州、パジュ)のImijin Gak(臨津閣、イムジンガク、りんしんかく)にあります。
 外国によってもたらされた残虐行為を記念する慰安婦像の建設が許可されることは、何ら解決をもたらしません。Paju 市に建てられた我々の退役軍人の記念碑によってもたらされた恩恵をただ破壊するだけです。
 私の最後のコメントとして、

「この慰安婦像の建設は、なんら肯定的な目的をもたらさない。日系アメリカ人に苦痛を与えるだけである」

 ということをお伝えします。
 もしこの問題が次の議事日程に上がることになったとき、また私のアドバイスを市議の皆さんが肯定的に受けとめられるなら、私は私の近頃の健康の問題で予期せぬ重大な出来事がおきないかぎり、公聴会に出席して私の最大の努力を披露するつもりでおります。

Robert M.Wada
米国海兵隊軍曹
第一海兵師団 I 戦車大隊
Korea 1951-52
Bena Park

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