以下は、「週刊朝日」に掲載されたいじめ自殺に関する記事である。
 全文掲載は、フェアーではないのかもしれないが、いじめ自殺事件が相次ぐこの現状を、憂うあまり、やむにやまれぬ気持から掲載をさせて頂くことにした。
 「週刊朝日」からクレームがついたら、勿論、潔く、消去させて頂くつもりである。

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【命をかけた“SOS”を握りつぶす 子どものいじめ自殺「ゼロ」統計の欺瞞】
(週刊朝日 2011年03月11日号配信掲載) 2011年3月3日(木)配信

●子どもがいじめに悩んで死を選ぶ。遺書でいじめを告発する──そんなニュースが絶えない。
 しかし、学校や文部科学省は、子どもたちが命をかけて訴えた声を握りつぶし、「いじめ自殺」を認めない。役人は「隠蔽はない」と言うけれど、あまりにおかしな統計の数字が、その欺瞞を明らかにしている。


 この数字を知ってほしい。
 文部科学省の統計によると、2000年度から04年度の5年間で、子どもの
「いじめを主たる理由とする自殺件数」
 は
「0」
 件となっている。
 では、実際にその5年間でいじめ自殺は起こっていないのか? 
 そんなわけはない。
 00年、福岡県の男子高校生と中学生が同級生などからの恐喝や暴行を苦に自殺。 埼玉県の中学生が2人、長崎県の男子中学生、長野の男子高校生、千葉県の女子中学生……など、この1年だけでも10件以上の
「いじめ自殺」
 が、報道からは確認できる。
 また、警察庁の発表によると、00年に自殺した19歳以下の人は、598人にものぼる。
 1日に1人以上の未成年者が自ら命を絶っていて、いじめ自殺の報道が後を絶たないこの現状で、文科省の統計の数値が、あまりに現実離れして見えるのはなぜか。
「文科省のいじめ自殺の統計は、学校が作った報告書をもとにしているため、学校が隠してしまうと統計に上がらないのです」
 と説明するのは、
『わが子をいじめから守る10カ条』
 の著者で、いじめ問題に詳しい武田さち子さんだ。

「自殺は報道されないケースも多々ありますし、警察が自殺と認定しても、学校と教育委員会が事故死として扱う場合もあります。
 私が見てきたケースの中には、生徒への調査で
『いじめ』
 が明らかだという結果が出ると、証拠となるアンケートを燃やしたり、調査そのものをしていないことにした学校もありました」

●文科省動かしたある小学生の死

 昨年6月、神奈川県川崎市で男子中学生が自宅のトイレで硫化水素ガスを発生させて自殺した。
〈友達をいじめから助けられなかった〉
 と書かれた遺書には4人の同級生の名が挙げられ、いじめの存在が告発されていた。
 だが、この生徒の通う中学校長は当初、
「調査中のため、いじめの有無については言えない」
 と言い続けた。
 男子生徒の父親が振り返る。
「学校の対応はひどかった。
 私たちは
『何があったのか知りたい。調べてください』
 というスタンスなのに、調べもせず、判で押したように
『いじめはなかった』
 と宣言する。
 毎週毎週、学校に行って要望を出していましたが、進展はありませんでした」
 最初は
「いじめはあった」
 と認めたという担任教諭も、次の週に会うと、
「そうじゃなかったような……私の勘違いかもしれません」
 と言葉を濁したという。
 学校との不毛なやり取りが続き、見かねた市の教育委員会が指導にも入った。
 生徒の死から2カ月半たち、遺書に名前を挙げられた同級生のうち3人が暴力行為容疑で書類送検された後、ようやく校長はいじめを認めたのだ。
 実は文科省は、1999年度と05年度も子どものいじめによる自殺は
「0」
 といったんは発表していた。
 しかし、07年に統計の方法を見直し、両年度とも
「1」
 に変更された。
 06年度以降は、子どもの自殺数が統計上、増えたように見える。

 その契機となったのが、1人の小学生の自殺だった。
 05年9月9日。
 北海道滝川市の市立小学校で、当時小学6年生だった松木友音(ともね)ちゃんが教室で首を吊った。
 第一発見者は、奇しくも彼女が教卓に残した7通の遺書に名を記された
「いじめグループ」
 の一人だった。
 友音ちゃんは意識不明の重体になり、翌年1月6日に他界。
 彼女が生死の間をさまよっているときから、教育関係者たちは隠蔽工作に躍起になっていた。
 事件の数日後、市教育委員会の教育部長が、友音ちゃんの入院先にやってきた。
 親族が、いじめの実態を知らせようと、
「これが遺書です。読んでください」
 と手渡そうとすると、
「見たくない!」
 と怒鳴られたという。
 しかし、実際はこのとき、市教委は遺書の内容を知っていた。
 校長が内容をメモし、こっそり教育委員会へ知らせていたのだ。
 事件当日、滝川市教委が道教委に送ったファクスには、遺書の内容とともに、
〈5年生時から、学級でのトラブルがあったようだ。→本日、校長が担任から聞いた情報〉
〈修学旅行時の班作りの時、もめた。→本日、教頭が担任から聞いた情報〉
 と記されている。
 このファクスを受け取っていたにもかかわらず、教育委員会は会見で、
「いじめはなかった」
 と発表し続けたのだ。

 一方で校長は、親族に知らせずに保護者会を開き、
「手紙には、友達の好き嫌いが書いてあり、
『一緒に遊んでくれてありがとう』
 と書いてありました」
 などと説明した。

 だが、そのような文言はなく、
〈学校のみんなへ〉
 と題された遺書では、
私は、この学校や生徒のことがとてもいやになりました
人からキモイと言われてとてもつらくなりました
 と訴え、ある同級生へあてた文章には、
あなたは、私が死んでせいせいしてるかうれしいかの、どちらかでしょうね
あなたは、私がいなくなってほっとしたでしょう
 などと書かれていた。

 命をかけた“SOS”の告発を握りつぶそうとする学校。
 意識不明だった友音ちゃんの目からは、何度も涙がこぼれたという
 学校の対応に業を煮やした遺族が、独自に子どもへの聞き取りを始め、徐々にいじめの実態が浮かび上がった。
「私の子どもが友音ちゃんに『キモイ』と言ったと話しました」
 と、涙ながらに教えてくれた母親もいたという。
 遺族の一人はこう話す。
「私の知ったことを、ひとつずつ学校へ聞きに行きました。
 しかし学校は認めようとしない。
 言うことがコロコロ変わる。
『学校の持っている情報は全部出します』
 と言っておきながら、報告書の存在も知らせず、中身も見せてくれなかった」

 当初は対応していた担任教諭も、次第に面会を拒否するようになっていった。
「このままでは、あの子になにがあったのか隠されてしまう」
 と思った遺族は裁判に踏み切った。
 その結果、裁判所は、
「担任に自殺予見の可能性があった」
 と認定し、行政の違法性を指摘。
 学校と教育委員会のひどい隠蔽行為が明るみに出て、滝川市と北海道は遺族に謝罪することになった。
 全国的なニュースになったこの事件をきっかけに、文科省はいじめの定義を大幅に改め、それまで
「発生件数」
 として統計されていたいじめを
「認知件数」
 に変更。
 さらに、公立学校のみを対象としていた統計に私立・国立を追加するなど、統計を見直した。
 こうして、友音ちゃんを含む3人の自殺が
「いじめが主たる理由」
 として新たにカウントされたのだ。
 それでもまだ、文科省は現実とはかけ離れた数字を公表し続けている。
 表を見ると、
「0」
 が並んでいた文科省の統計に、数字がいくつか入ってきたが、この数値は警察庁が07年から発表している数値よりも少ない。
 警察庁はこの年から自殺者数に、原因を加えて統計を出しているが、これは遺書の存在など、はっきりした証拠があった場合だけで、実際は背景にいじめがあったとしても、別枠の
「学友との不和」
 や、
「健康問題」
 にカウントされるケースがほとんどだという。
 要するに、警察庁の統計でも、いじめ自殺の実態を反映しているとは言いがたいのだ。

●死んだ子どもは許してくれない 
 
 これについて文科省はこう説明する。
「警察庁と文科省では調査のやり方が異なります。警察庁は捜査の結果、自殺と断定し、さらにその原因をあげている。一方、文科省の調査は、学校がどう把握しているのかが上がってきます。
 その時に遺族から、
『自殺というのは伏せてほしい』
 と申し入れがある場合もあり、そのようなことで警察の捜査結果と見解の違いが出てくるのだと考えております」
 この回答について、前出の武田さんはこう補足する。
「学校の報告は必ずしも義務ではないのです。自治体によって報告の定義がバラバラ。
 なかには
『校長が大したことないと判断したら報告しなくてもいい』
 とホームページにわざわざ載せる自治体もあります」
 98年にひとり娘をいじめ自殺でなくし、今は
「いじめ問題」
 に取り組むNPO団体
「ジェントルハートプロジェクト」
 理事を務める小森美登里さんはこう話す。
「文科省は報道が過熱するとようやく通知を出します。
 娘を失って、気づけばもう10年以上がたちましたが、何も改善されていません。 隠蔽を許さず、全ての数字を正しい形で吸い上げるシステムを作り直さないかぎり、死んだ子どもたちは許してくれません


 こうした指摘に対し、文科省は、
「文科省として隠蔽しているという事実はない。子どもの自殺を防ぐために、どんな事実であっても向きあってほしいという立場です。ひとつずつできるところから取り組みたい
 と説明するが、事後の対応に納得できない遺族は後を絶たない。
 昨年、群馬県桐生市で小学6年生の女の子がいじめを苦に自殺した事件で、遺族は
「いじめと自殺の因果関係を認めてほしい」
 と、市と県を提訴した。

 滝川市の友音ちゃんの親族は、裁判を闘った経験をもとにこう話す。
「裁判が終わっても、私たちの闘いは終わりません。私はすべてが明らかになるまで、あの子を知るすべての子どもに聞き取り調査をしようと思っています」
 事件から時間がたつと解決は難しくなるのではないかと問うと、親族は友音ちゃんの写真を眺め、
「私はあの子の気持ちに気づいてやれなかった。
 そしたら遺書を信じて進むことくらいしかしてやれない。
 正直、この気持ちをどう収めればいいのかわからないんです」
 と、涙を流した。 (本誌・小宮山明希)

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■「私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から〈キモイ〉と言われてとてもつらくなりました」

 以下、補足させて頂く。
 2005年9月9日、北海道滝川市立江部乙(えべおつ)小学校の教室で当時6年生の松木友音(ともね)さんが11通の遺書を残し、教室で首をつり、翌年の1月、そのあまりにも短く尊い一生を終えた。
 その遺書の一部である。一部抜粋、仮名遣いなどは原文のまま。

学校のみんなへ
「この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう」

「私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から〈キモイ〉と言われてとてもつらくなりました」

「6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。
 一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました」

「でもこわくてできませんでした。
 でも今私はけっしんしました。(後略)」

6年生のみんなへ
「みんなは私のことがきらいでしたか?きもちわるかったですか?
 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。
 それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。
 なので私は自殺を考えました。(後略)」


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