■「虫とスコール、暑さとの戦いでした」

 『太平洋の奇跡、フォックスと呼ばれた男』関連ニュース2である。
 以下は、『シネマトゥデイ』
「井上真央、見る見る激ヤセする竹野内豊が〈怖くもあり、大変心配だった〉」(
2010年11月9日)より抜粋。

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 竹野内は、タイで行われた撮影は猛暑との戦いだったと話し、
「非常に過酷で想像を絶するものがあった」
 と今も苦しかった記憶が鮮明に残っている様子。
 
一度にペットボトル10本分を飲み干すこともあったが、
「トイレに行くことはなく、すべて汗で出てしまった。本当に太れない状況」
 
 と振り返った。

 そんな竹野内の様子を間近で見ていた井上は、
「日に日に(精神的に)追い詰められている表情は、怖くもあり印象的だった。お会いするたびやせていくので、大変心配でした」
 と気が気ではなかったという。
 井上自身も、戦地で負傷者の手当てにあたる少女を体当たりで熱演し、
「虫とスコール、暑さとの戦いでした」
 とコメント。
 また山田も、竹野内を
「本当にかわいそうで、心配しておりました」
 と気遣っていた。

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 以下も、「山田孝之が初の戦争映画の現場で竹野内豊に感じた共通点とは?」からの抜粋である。

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山田孝之が初の戦争映画の現場で竹野内豊に感じた共通点とは?
2011年2月10日 MovieWalker

 初めての兵士役で、戦闘シーンにもトライしてみて、一番辛かったのはどんな点だったのか。
大変だったのは、全てひっくるめての精神状態です。芝居をする時は役柄の気持ちになって行動したり、話をしたりするので。
 しかも今回は戦争の話だから、常に人に狙われているし、自分も殺さなければ殺されるという気持ちでジャングルにいたので、その状況が辛かったです。
 でも、追い込まれた方が良い。良いぞ良いぞ、どんどん追い込め!ってやっていったら、自然と木谷になっていきました」

 木谷役を演じるうえで迷いなどはなかったのか。
「戦争をしていることで、迷いは常にあると思います。何が正義かわからないし、人を殺しているし。
 木谷は
『もう戦争は終わった』
 と言われても信じないし、そういう心の揺れもある。
 木谷って芯が通っているようで、実は全然そうじゃなく、弱いんです。
 そういう時は、普段の自分も常に迷わせていく。無理やり自分自身をぶらし、軸を不安定にすれば、役に入った時にリアリティが出るから」

 現場に行く前に、かなり役を固めていくタイプなのか?
「でも、家で声を出してセリフを言ってるだけじゃだめです。初日にインしてスタートがかかり、木谷として初めて発言した瞬間に、やっと木谷そのものになれます」

 大場大尉役の竹野内豊も現場ではかなりストイックに取り組んでいたという。
「見てて、大丈夫かなって思いました。
 竹野内さんとは、以前にドラマでご一緒した時、絡みがなくて。
 今回、一緒に芝居ができるとわかって嬉しかったです。
 実は、以前に打ち上げでお会いした時、何か自分に近いものを感じるって勝手に思って。年上の先輩にそんなこと言えないですよね。でも今回、対談取材をした時、竹野内さんから
『山田くんには、何か近いものを感じる』
 と言われて、
『ああ、やっぱり』
 って思いました。
(笑)」

 どういう点が似ているのかが、気になるところだ。
竹野内さんも不器用な人なんです。それが、大場大尉役にも出ていますね。不器用で悩んでいる感じでした。
 現場で一番上の人だし、何とかしなきゃいけないって思いつつも悩む。大場大尉も1人の人間だから。うわあ、きつそうだなと思いました。何とか撮影が終わるまで生き抜いてくれ!と思って見ていました」。
 でも、その甲斐あって、スクリーンには大場大尉の葛藤が見事に映し出されていて、人々の心をも揺さぶる。

 最後に、アメリカのエンタメ情報誌
「The Hollywood Reporter」
 の
世界の注目俳優10人
 に選ばれた彼に、2011年の抱負を聞いてみた。
「注目されたことに危機感を感じました。
 もちろんいろんな仕事をいただけるのは楽しいけれど、できればいつまでも自分のペースでやっていきたいと思っています。映画でもドラマでもコマーシャルでも、単純に作品として面白ければ、それが2時間のものでも、15秒のものでもやりたいってだけなので。
 役者の仕事って絵描きだなと思っていて。紙にも、壁にも、ガラスにも、布にも描くし。どれも描くことに変りはないから、自分も見てる人も面白いと思うことをやっていきたいです」

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『太平洋の奇跡』サイパンプレミアで竹野内豊「この映画がなければサイパン戦を知ることはなかった」
2011年2月3日 MovieWalker.

 太平洋戦争下のサイパン島で孤軍奮闘した実在の日本兵の姿を描く『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』(2月11日公開)のサイパンプレミアが1月31日、舞台となったサイパンで行われ、出演者の竹野内豊、山田孝之、平山秀幸監督が出席した。

 3人は当日午前中より、タッポーチョ山、バンザイクリフ、極楽谷などサイパン戦ゆかりの地を訪問。夕方には、島唯一の映画館、ハリウッドシアターにてサイパンプレミアを開催。劇場を訪れた現地の人たちの前で舞台挨拶を行った。

 主演を務めた竹野内
「去年4月、この映画の撮影に入る前、ここサイパンに来ました。そしてまたこうしてサイパンに戻ってくることができました!」
 と大喜び。
 サイパンの印象を山田
どこに行っても悲惨でしたね。月日が経っているとは思えないくらい生々しく、薬きょうと花瓶とか残っていて
 どこに行っても慰霊碑が立っていて、“平和”と書いてあるのですが、そもそも平和っていうのが何なんだろうって思う。人それぞれ考え方や求めているものが違うから戦争が起きるのかなって。
 僕には戦争を止める力はないですが、何とかならないのかなって感じます。だから、この映画がきっかけになれば良いですね」
 と悲痛な表情をのぞかせた。

 上映後にはスタンディングオベーションを受け、平山監督は
「60数年前には敵だったアメリカの方々と一緒に見ました。どういう感想を持つのだろうかが一番気になりました」
 と感慨深げに答えた。
 観客から握手を求められていた竹野内
アメリカの軍事関係者の方にも
『良かったよ』
 と言っていただき、握手を求められ、嬉しかったです

 と顔をほころばせた。

 また、3人はこの日、太平洋戦争で亡くなった多くの人々の霊を慰めている中部太平洋戦没者の碑前で、全国から集まった総数約11,000羽の千羽鶴をお供えする慰霊祭セレモニーを行った。
 中部太平洋記念碑に折り鶴を捧げた時を振り返った竹野内は、
「(慰霊碑には)安らかに眠ってくださいということと、日本から鶴を持ってきた報告、映画も完成して上映させていただきますとご報告しました。
 (日本政府が建てた)慰霊碑の後に、(個人的に)遺族の方が建てた慰霊碑があるなんてことすら知らなかった。サイパンに来たらそんなことも知ってほしい」
 と呼びかけた。
 約11,000羽のうち、約8,000羽は竹野内が沖縄から北海道まで全国9ヶ所(総移動距離15,000km)を回った
太平洋戦争を伝えるキャンペーン
 で、一般の方が1人1羽ずつ折ってもらったもの。
 キャンペーンを無事に終え、竹野内は
「日本の各地には今でも戦争の傷跡が残ってるんだと改めて感じました。こんな機会がなかったら知らないことだらけだったので、改めて戦争という言葉だけで戦争自体を理解した気になっちゃ駄目だなと思いました。この映画がなければ、(皆さん)サイパン戦のことを一生知ることがなかったのではないかと思います」
 と、心から感謝を述べた。【Movie Walker】


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