■東洋思想にもいろいろあるのだが、私の場合は、実用、実践的な陽明学に落ち着いた(笑)

24日(月)である。
前回の
「非思量(思量にあらず)について考えた」
は、まるで反響が無かった(苦笑)。
テーマは、東洋思想である。
それも、難解と言われる
「禅」
である。
それ故、
「関係無いよ、興味ないよ」
という反応が一番多かったに違いない。
「生きていくだけで精一杯なのだから、思想だとかイデオロギーだとか、そんなことに関わっている暇なんてない」
 そう思う人達が多いに違いない。
 経済も含めて、いろんな意味で余裕がある人が、とりあえず宗教は別にして、思想や芸術などといった分野に興味を持つのだ、との意見だったであろう。
 私の経験から言わせて頂くなら、それは真逆なのである。
 東洋思想の魅力、素晴らしさというものを一気には理解できないにせよ、その片鱗に触れることができたなら、生き方は、物の見方・考え方は、徐々に軌道修正を余儀なくされるはずなのである。
 東洋思想にもいろいろあるのだが、私の場合は、実用、実践的な陽明学に落ち着いた(笑)。

■私も若い頃の一時期は、知識をストックすることに喜び覚えていたことがあるし、営業成績を挙げることに、秘かに(苦笑)喜びを覚えていたこともある

 私自身、東洋文化オンリーの父の世界に反発して、欧米文化に魅かれていったのである。それも、20歳前後の頃の私はアメリカ文化万歳だったし、その後、徐々に欧州文化に魅了されていったのだ。
 また、私も若い頃の一時期は、知識をストックすることに喜び覚えていたことがあるし、営業成績を挙げることに、秘かに(苦笑)喜びを覚えていたこともある。
 人の知らないことを知っている、というだけで、自分の存在価値があるどころか、存在価値が上がったように思えたものである。
 もちろん、そういう時期があってもいいと思う。
 そういう経験は決して無駄ではない。
 何故なら、
「私にも似たような経験があるけれど、そこに安住しなかったおかげで、今では・・・」
 と正面切って言えるからである(笑)。

■生きていく上での漠然とした不安の根っこには、「死」への恐怖があるのだ

 
話を戻す。
 知識や技術を人より多くストックすることが、幸せへの近道だ、そう思っている人、信じて疑わない人が多いはずである。知識人や政治屋(政治家ではない)や職人・芸人・芸術家である。
 そこに生きがいを見いだせない人は当然いるわけで、そういう人達は、お金をストックする生き方を選ぶのである。サラリーマンを含む起業家や企業家である。
 もちろん、農業や漁業や林業、芸術家といったそれ以外の生き方の人たちもいる。
 常日頃抱いている生きることへの不安を解消する手段として、知識や技術やお金をストックすることは、実は、そこそこ有効なのだ。不安感を解消するまでは行かずとも、減らすことは出来る。
何故なら、色々な保険にはいりさえすれば、多少、不安は薄まる筈なのだ。
 だが、決して根本的な解決にはならない。

 生きることへの不安というのは、経営する店や勤務する会社が倒産するかもしれないとか、結婚できないかもしれないとか、夫婦関係がうまくいかなくなるかもしれないとか、数え上げたら色々あるのだろうが、それらを突き詰めれば、病気や老いや死への不安なのである。
 つまり、生きていく上での漠然とした不安の根っこには、
「死」
への恐怖があるのだ。
 次回に続く。


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