■「心術は本、文章・学問は末」

 私淑する荒木見悟先生から、年賀状を頂戴させて頂いた。
 先生は、陽明学左派の世界的な研究者でいらっしゃる。
「新年早々、体調悪しく」
 とあった。
 お身体をご慈愛頂きたいものである。
 そんなわけで、原稿執筆の傍ら、久々に荒木先生の御著書を手に取った。
 以下は、大慧宗杲(だいえそうこう)の「江給事に答える」にある言葉。

「善人と親しくするのは、霧露(むろ)の中を歩むようなものである。着物は濡れないが、いつも潤(うるおう)うものだ」
(荒木見悟『大慧書』筑摩書房)

 上記は、「い(さんずい偏に為)山霊祐(いさんれいゆう)」の言葉とのこと。

 大慧宗杲(1089~1163)は、士大夫、つまり政治家や官僚の腐敗を嘆き、
「心術は本(もと)、文章・学問は末(すえ)」
 と主張し、朱子や陸象山にも影響を与えた禅僧である。
 その説くところは、陽明学とまるで同じで、
「心を正せ(正心)

 と説いたのだ。
 政治家や官僚が、知識や技術を蓄積することは、商人がお金を蓄積することとまるで同じで、貯めれば貯めるほど、彼らは傲慢になっていく。
 陽明学左派の王龍渓は、この大慧宗杲に私淑していた。

■人生の半ば以降の、つまり35歳頃以降に出会った人とは、一生の付き合いになる

 人生長いようでいて、短い。
 この年になってみて、つくづくそう思えて仕方がない。
 人との出会いは色々とあるが、誰と交友を継続するのかは、生きていく上でとても大事なことである。
 誰であれ、一日は24時間しかないのだから、出会えた人皆と交友することは出来ない。
 その場合、私などは、人柄の良さや向上心の有る無しで判断してきたつもりである。
 勿論、相手にも、友人を選ぶ権利があるのだから、選ばれるにふさわしい人間性と教養の持ち主になることを心がけてきた。
 それでも、お互いに日々変わり続けているので、本意ではなく、交友が途切れてしまうことがある。
 R・シュタイナーは、人生の半ば以降の、つまり35歳頃以降に出会った人とは、一生の付き合いになる、と語っていたように記憶している。
 但しがつく。
 35歳以降になると、知人・友人が亡くなっていくので、ずっとはお付き合いができない。
 私の友人の一人は、今年すでに2人の友人が亡くなったと、嘆いていた。


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